第303話 外店 6

 「それじゃぁ、始めようか。」


 言うが早いか。

 と言うよりも、あおがそう口走る前に、とっくに大男は彼に殴りかかっていた。


 巨大な拳がうなりを上げ、あおの顔に容赦なく叩き込まれる。


 小男が言っていた通り、その勢いはすさまじかった。

 まともにくらえば顔の形が変わってしまうどころか、命さえ危ういだろう。


  この男の力の強さが口や見せかけだけのものではないとすぐさま理解した真也しんやたちは、思わず声を上げかけた。


 だが、叩き込まれた拳は無念にも、仮面の前一寸ほどというところでピタリと動きを止めてしまったのだ。


 ぶるぶると震えたまま、こめかみに破裂しそうな太い筋を浮かべ大男は固まっている。


 「呆れた奴だな。まだ君から金をもらってない。」


 あおの言葉をすっかり無視して大男は怒りの形相で吠えたてる。


 「貴様!術を使うとは卑怯だぞ!」


 「卑怯?術を使うのは反則なのか?」


 どうやらあおはなんらかの術を使い、拳を止めてしまっているようだ。

 あおの問いかけに懇たちは頭を並べ、ふるふると横に首を振っている。


 「問題ないそうだ。」


 あおは大げさに肩をすくめてみせる。


 「だけどまぁ、きみがそう言うのなら、ボクはやり直してやってもかまわない。肉弾戦が望みなんだろう。」


 あおは一歩後ろに下がると馬鹿にした様子で口を開く。


 「どうぞ。もう一度君が打っていい。・・・ハンデだ。」


 もはや怒りで言葉のひとつもでないでいる大男は、ギリっと奥歯を噛みしめ、またもや遠慮なくあおに襲い掛かる。


 だが、あおの頭ほどありそうないかつい拳は、今回もやはり彼の仮面に触れることを許されなかった。


 大男の岩のような拳をあおが人差し指の一本で、そっと止めてしまったのだ。


 あおは心底つまらなそうに鼻から小さなため息を漏らす。


 「気が済んだかい。それじゃぁ次はボクの番で、いいのかな。」


 大男の身体は変わらず震えていたが、先ほどの震えとは全く種類が違っている。

 得体の知れない力を前に、ついに恐れを感じ動けなくなってしまったのだ。


 だが、この冷徹な蒼い妖鬼がこんな些末なことで満足するわけがない。


 よりにもよって、彼が何よりも大切にしている海神わだつみを、この大男は汚すところだったのだ。


 怯え切って震える瞳をみれば、真也しんやの心の内に少しばかり気の毒な思いが滲んだが、全ては自業自得というものだろう。 


 わずかに顎をあげたあおは、瞬時に大男の目前まで躍り出て、もじゃりと鉄だわしのような剛毛を生やしている顎先を、指先で軽やかに弾いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る