第288話 脚休め 5

 今にも息がかかりそうなほどのあおと小男の距離に、団子の皿を手にした海神わだつみの雪のように白い指先が、ぴくりと震えた。


 そんなことには全く気付かず、小男は透き通るように白いあおの耳に生暖かい息を吹きかけながら低い声でこそりと告げる。


 「お客様も人がお悪い。当店の裏の品書きをご存じなのでございましょう。・・・

店違いなどではございません。特別なお客様に限った極秘のものなのです。声を低め、くれぐれもご内密に願います。」


 男が言い終えると、あおは静かに一つうなずいてやった。


 どうやら物わかりのいい辺境出身の上客であるとあおを判断したのだろう。

 小男の顔に再びニタリと笑みが戻った。


 調子を取り戻した小男は、一つ咳払いをすると芝居じみたもっともらしい言葉を口にする。


 「ここでは卓が置けませんので、鍋を振る舞うには非常に不向きだ。・・・本来お客様をお通しできるような場所ではございませんが、調理場の奥でよろしければ、特別に席をご用意させていただきます。」


 「いいのかい。無理を言ってしまったようで悪いが、頼むよ。凄く楽しみにしてきたんだ。」


 「なんの。腕を振るわせていただきますゆえ、いましばらくお待ちください。」


 あおが極めて自然な流れで小芝居につきあってやると、男は満面の笑みを浮かべたまま深く頭を下げた。

 女たちを連れ、鼻歌でも歌い出しそうに機嫌のいい小男がこの場を去ると、再び穏やかな空気が戻ってくる。


 あおは面をずらし、よもぎ色の団子をひと串、無造作に口に運んだ。


 極めて自然体で飾ることのないあおの所作は、不思議なことに華やかで、たまらない色がある。


 隣に座る海神わだつみも、こちらは極めて正しく座したまま面をそっとずらし、しとやかに団子を口にしているのだが、その姿は妙に雅やかで、変に艶めかしい。


 真也しんやたちが、対照的な二人の美しさに思わず目を奪われていると、ふいにしょうが、ハッとしてあおに声をかけた。


 「なぁ。のんきに団子なんて食ってるけどさ、さっきのあれ、なんなんだ?」


 「きみはせっかちな奴だな。そうくな。すぐにわかるさ。・・・食わないのか?冷めたら固くなる。ほっといたって奴は来るんだ。そんなことよりも今は間違いなく、こっちの方が一大事だよ。だってこんなに旨いんだから。」


 腑に落ちないまま、真也しんやしょうが串に連なった黄色い団子をひとつ口にすると、炭火で焙られた香ばしい皮を歯がパリっと突き破り、もっちりと柔らかな団子の自然な甘みが、口いっぱいに広がった。

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