第280話 準備完了

 それどころかあおという男ときたら・・・・・・自らの腕に巻き付いている毛むぐりが身じろいで、その尾の先の柔らかな毛の一筋がいたずらに海神わだつみの首筋をくすぐることさえ、これっぽっちも我慢できないでいる。


 つまり、つい先ほどあおが笑ったのは、全く楓乃子かのこのことなどではなく、間の抜けたセリフをこぼした哀れなしょうのことに他ならなかったということだ。


 あおは非常に肌触りの良い上品な薄絹を1枚取り出して海神わだつみにそっと羽織らせ、長い髪を丁寧に整えている。


 真也しんやしょうは諦めたように一つ息をつくと、こちらはその場でさっさと仲良く着がえを済ませた。


 ほどなく、着替えるために姿を消していた都古みやこが戻り、全員がその場にそろったところで、あおが淡い光を帯びた手を一人ずつかざしていく。


 「人の匂いは隠しておく。あとはうまくやれよ。人の子だとばれたら面倒だ。」


 「面倒?」


 「うん。」


 極めて真剣な表情でうなずいた海神わだつみの様子にただならぬものを感じ、少年たちはごくりと息をのんだ。

 あお都古みやこの身体に手をかざしながら、続きを話す。


 「人の身体は余すことなく使えるからな。・・・高く売れるし。飼うことを楽しむやつもいる。異種にもかかわらず、神妖と違って交わっても異形へ変わる心配がないし。色々と使い勝手がいいんだよ、人ってやつは・・・。それにそもそも・・・。」


 全くもって聞き捨てならないセリフを、さらさらと砂をこぼすような軽やかさで流暢に吐き出すと、あおは唐突に言葉を引っ込めてしまった。

 真也しんやは意味深に口角をあげたあおに、恐る恐るたずねてみる。


 「そもそも、なに?」


 「聞きたいか?」


 さも楽し気にしているあおに目くばせした海神わだつみが、続きを口にする。


 「・・・人の肉や魂は嗜好品だ。喰らうことを好む妖鬼は、少なくはない。彼らは酷く残忍だ。」


 真也しんやのとがった耳をなでたりつまんだりして遊んでいたしょうの手がとまった。


 「さぁ。行こうか。あまりボクから遠く離れるなよ。結界は張っているが、穢れを祓うものだ。防御の効果はないからね。ゆい、何かあったらよろしく。」


 極めて明るいあおの声に、ごくりと息をのみながら、喜怒哀楽を複雑に混濁させた一行は、冥府へと移動した・・・・・・。


 あおに誘われ移動した先は、豪奢な建築物の前だった。

 

 「照射殿しょうしゃでんだ。ここは冥府で一番の、ボクお気に入りの場所なんだ。」


 昼間と見まごうばかりに眩しいその場所は、巨大な建物の中央から天に向かって真っ直ぐに伸びる光の柱によって照らされていた。

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