第277話 光弘の支度 5

 『彼がきみに飢えるのは、当然のことじゃないか。』


 白銀のつややかな髪を揺らしそんなことを語っていた、恥を知らない小憎たらしい青い妖鬼の声が、楓乃子かのこの脳裏をかすめる。

 息苦しいほど胸を引き絞られ、楓乃子かのこはこのうえなく哀し気に目を伏せた。


 ・・・・・・寂しさを抱いていたのは、光弘みつひろだけではない。


 なによりもくろ自身が、尋常ではない寂しさと、どうしようもないほど膨れ切ってしまった氷のような不安を抱えたまま、光弘みつひろの傍らで過ごしていたのだ・・・・・・。


 ・・・・・・くろに名付けを終えたその時から。

 光弘みつひろが望めばいつだって、くろの過去をこじ開け、それをたやすく覗き見ることができるはずだった。

 それなのに、光弘みつひろときたら、くろの過去にはほんの少しも見向きもしなかったのだ。

 暴くどころか、一切触れようとすらしなかった。


 実のところくろは、名づけを行い過去がさらされることとなった時のために、周到に準備を整えていた。

 ゆいくろは別の者であると、魂までもしっかりと分けて隔離し、光弘みつひろを完璧にたばかることを強く心に決めていたのだ。


 その用意が徒労に終わったことに対して、黒が特に思うことはない。

 

 だが、こと光弘みつひろに関して全く自分に自信の持つことのできないでいる愚かな黒は、その結果にひたすら自らの心を傷めつけていた。


 過去など顧みてどうする。

 それを知って欲しいと思うのは、ただの自分のわがままだ。

 ようやく手にすることができた二人過ごせる今を、味わい尽くしていられればそれでいい・・・。

 頭ではどうにかそんな考えをひねり出してみるのだが、心が酷く抗い一つの真実を無理矢理目の前に突き付けてくる。


 「光弘みつひろは自分に対して、さほどの興味は持っていないのだ」・・・・・・と。


 今にいたるまで、その真実をわずかすら疑うことなどなかった。

 だが、光弘みつひろの赤裸々な言葉によって、自らのそのくだらない子供じみた不安は、あっけなく打ち消されてしまったのだ・・・・・・。

 そうしてみれば、くろの心の中に残るのは、ひたすらに切なすぎる光弘へのあふれ返った想いだけだった。


 こんなにも光弘みつひろから深く求められていながら、彼の双眸に映る温かすぎる寂しい光に、気づいてやることができなかった。

 こんなにも光弘みつひろを求めておきながら、彼をなによりも深く・・・誰よりも残酷に、自らの手で傷つけ続けていた。


 なんてことはない。

 全く、あおの言っていたとおりではないか。


 あおの館で褥に伏せていたくろは、身もだえながら頭を抱え込んだ。

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