第245話 誘導 1

 完全に暴走した出来事はその一度のみだったが、白妙しろたえの心を無慈悲に襲うものはそれだけではなかった。


 『舞』だ。


 いつのころからか、宵闇よいやみという最凶の穢れ堕ちを倒した白妙の話が、武勇伝として神妖たちの間で伝わり、気づいた時には誰もが好む美しき『舞』へと姿を変え、彼らの世界で広まりきっていたのだ。


 二人の真実を知る者など当事者の他にはなく、客観的に見れば、その舞が語る内容は、神妖界を救った唯一無二の英雄の輝かしい物語なのである。


 当然、主人公である白妙しろたえ本人にこの素晴らしい物語を舞ってもらいたいと思う者は多かった。


 白妙しろたえが自分の口で真実を語ることなどあるわけがない。

 それにどういうわけか、白妙しろたえの痛みに打ちひしがれた心が泣き叫びながら舞うことを拒んでいても、頼まれればそれを断ることができないのだ。


 心を操られているかのように請われるがまま男の神妖に姿を変え、舞を舞ってしまう・・・・・・。

 その度に、白妙しろたえの身の内では、どうしようもないほど酷く気が荒れ狂い、全てを食い破って放たれようとするのだ。


 二年ほど前、子供たちの歓迎のために開いた宴で、加具土命かぐつちの求めに応じ舞った直後も、白妙しろたえは酷い状態だった。


 心が千々に乱れ、あふれる涙がとまらない。

 だが、そんな表情かおなど、誰に見せるわけにもいかなかった。

 なぜなら、長、龍粋りゅうすい、そして宵闇よいやみを失った今の神妖界の心の支えとなっているのは、白妙しろたえという存在だけなのだ。


 泣き顔を隠すため、幻覚の仮面をまとい白妙しろたえは舞を舞った。


 全てを解き放ち、何もかもをめちゃくちゃにしてしまいたい強い衝動に駆り立てられながらどうにか仕舞いまで舞い終えると、白妙しろたえははじけ飛びそうな念を即座に大気へと解き放ち、かろうじて冷静を保ったのだ・・・・・・。


 「君ほど聡い者が、こんなにも鈍感なのはおかしい。君、自分でも違和感を感じたことがあったんじゃないか?」


 あおは再び白妙しろたえの額に親指をあてる。


 「こらえろ。・・・少し、痛む。」


 鋭く細められたあおの瞳が真っ赤な瞬きを見せたとたん、白妙しろたえは眉間に深いしわを寄せ、ビクリと身体を震わせた。


 あおの親指の先は、パチパチと音を立て黒い閃光を弾けさせている。

 白妙の額から背筋を通り、つま先まで余すことなく、身体中を無数の針でつつかれるような鋭く耐えがたい痛みが張り巡らされた。


 白妙しろたえは呻き声一つもらさず、歯を食いしばると、細めた目の奥からあおの行いを冷静に見つめる。


 ゆっくりと額を離れていく彼の指先で、細長い蟲がうねうねとくねりながら、ひき抜かれていった。

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