第243話 物の記憶 1

 「ボクが見た記憶のなかで、宵闇よいやみは呆然自失として命逢みおの大樹の辺りをふらついているように見えた。潜んでいた妖鬼たちにそこを後ろから羽交い絞めにされたんだ。そこで呪符が使われた。効果は短いが、とても強力な呪符だ。・・・一度見てしまえば抗えない。彼は自我を奪われ、囚われの身となったんだ。」


 あおは硬い表情で続ける。


 「恐らく宵闇よいやみという男は、よほど心の強い者なんだろうね。彼を傀儡にするために用意された毒を飲まされ、意識をもうろうとさせているようだったのに・・・・・・並みの神妖であれば錯乱するほどの量の毒を飲まされても、酷い痛みを与えられても、彼は決して笛を吹こうとはしなかった。」


 眉間にしわを寄せ自分を見上げる海神わだつみの頭を蒼は優しくなでた。


 「呪符の役目は終わったんだろう。呪符に残された宵闇よいやみの記憶は、ここで切れた。」


 あおはわずかに肩をすくめ、小さく息をはいた。


 「ここはボクの想像になってしまうんだけど、妖鬼の中には、相手の精神をもてあそぶことに長けた者がいる。あそこまで徹底的に弱らせてしまえば、多少力のある妖鬼であれば彼の精神を直に侵し、操作することなんて造作もないことだったろう・・・・・・。実際、笛の記憶の中で、宵闇よいやみは瞳を紅く光らせていた。君たちが力を使う時、瞳は紫に輝くだろう?紅く光るのは、妖鬼の瞳だ。」


 白妙しろたえは、哀しみにあえぐ瞳であおを見つめ、うなずくことしかできない。


 「彼はただ、笛を鳴らすための道具にされていたんだろうね。・・・・・・そうしてある時突然、彼は吹くことをピタリとやめ、笛を放りだして走り出した。彼の駆けた先には、意識を失い崩れ落ちる一体の神妖の姿が見えた。笛が足元に落ちたため、その位置から顔までは見えなかったが、白妙しろたえ・・・あれは、きみだ。」


 「どういうわけか、自分を取り戻すことができたらしい宵闇よいやみは、数刻の間、その場にとどまり君を守って戦い続けていた。・・・・・・君を襲う者を全て殺し尽くすと、彼は君を抱き上げ、森の奥へと姿を消したんだ。・・・・・・笛に残された彼の記憶はここまでだった。」


 白妙しろたえは息をのんだ。

 けたたましい笛の音に襲われ、意識を失ったあの時・・・自分の背を支え、守り続けてくれた者がいたのだろうことは、ずっと白妙しろたえの心にひっかかっていた。

 そうでなければ、自分は確実に死んでいたのだから・・・・・・。


 「その後、姿を消した彼がどこに隠れていたのかは知らない。だが、自我を取り戻したのであれば、生きることがとても辛かったろうね。一度印をつけられてしまえば、妖鬼から逃れることはできない。ましてやそれが精神を操る術を得意とする妖鬼となれば、目を開いても閉じても心休まることなどひと時もなかったろう。」


 蒼の言葉に震えている翡翠ひすいの肩を包みながら、久遠くおんは表情を険しくした。


 「自身の罪を、精神が引き裂かれるまで幾度となく見せつけられ、絶望を確認し続けることを強制されていたはずだ。・・・・・・再び君の前に姿を現した時。宵闇よいやみの心は引き裂かれ、善と悪の二つにちぎれかけてしまっていた。」

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