第224話 現在>悪夢を祓う者

 「・・・・・・宵闇よいやみ。」


 固く瞼を閉じたまま、白妙は再び、かすれる声で想い人の名を漏らした。

 

 白妙の力は強力だ・・・・・・。

 だが、だからこそ。

 強過ぎる力が、もがいた時に自らに負わせる傷もこの上なく深い・・・・・・。


 翡翠は重いため息をついた。

 すっかり女の身体に姿を変えてしまった白妙の柔らかな背をなでながら、もはや戻ることの無い宵闇よいやみを呪い、翡翠は表情を暗くした。


***********************


 「こんな時間に悪いが、入らせてもらうぞ。」


 彼呼迷軌ひよめきへ来たばかりの夜・・・・・・。

 大切な者を失った悪夢にうなされ震えながら目覚めた翡翠が、哀しみにくれ眠れずにいると、温かいお茶を淹れた白妙が突然訪ねてきた・・・・・・。


 翡翠は、こんなに良くしてもらっているのに、それでも泣いている自分が恥ずかしくて、慌てて目をこすった。


 「こら、こするな。腫れてしまう。」


 涙に濡れた顔を乱暴にこする翡翠の手をやんわりと包み込んだ白妙しろたえの手は、ひんやりと乾いているのに、とても温かかった。


 ほのかに湯気を漂わせる湯飲みを翡翠の手に渡し、しゃくり上げるその背を白妙はゆっくりとなで続けた。


 「涙を恥じることなどない。言っただろう。私にも、大声で泣き叫び死を悼む者がいる。・・・・・・いつも一緒にいてくれた。涙の時も、笑顔の時も・・・・・・。」 


 哀しい瞳を潤ませ宵闇のことを口にする白妙は、この世の何よりも美しい・・・・・・。


 白妙は翡翠を柔らかく抱き寄せると、幼子をあやすようにトントンと背をたたき始めた。


 「失った者と代われる者など、一人としていない。泣ける時にはこらえるな。私に、妙な気を遣ってくれるなよ。・・・・・・嫌ならば、私はしないのだから。」


 白妙の染み入る様な優しさを胸の内で聴きながら、ぬくもりに安堵した翡翠は、穏やかな眠りに柔らかくくるまれていった。


 久遠くおんと暮らすようになるまでの間、白妙は嫌な顔ひとつせず、そうやって翡翠に寄り添い、数えきれない悪夢を祓い続けてくれたのだ・・・・・・。


***********************


 妖艶を放ちながら、凛とした空気を漂わせる、哀しいほど美しい白妙・・・・・・。


 翡翠ひすいは、「誰か、彼女を助けて」と心の中で悲鳴を上げながら、苦しみに悶え小さく丸められた白妙の身体を守るように、どこまでもきつく抱きしめた・・・・・・。


 白妙は、最愛の人を何度失えばいいの・・・・・・。

 なぜ白妙だけが、こんなにも酷い仕打ちに耐え続けなければならないの・・・・・・。


 翡翠の苦しみに満ちた問いかけに応えられる者は、ここには誰もいなかった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る