第217話 願望 1

 町の者を弔い、自室へ戻った海神わだつみは、部屋の明かりを灯すことすらせず、静かに姿勢正しく椅子に腰かけた。

 静寂の中、冷たく乾いた表情のまま重いため息を落とす・・・・・・。


 一人として救うことのできなかった自分が、さらに弔いの場で無様に倒れることなど、あまりにも不誠実が過ぎる・・・・・・。

 海神は何も言わず、独りその場を後にしていた。


 二人のことは白妙に託してきた。

 白妙は人の子を好いているし、このうえなく情の深い者でもある・・・・・・。

 自らの未熟さと無力の結果を白妙に負わせるのだといううしろめたさを強く感じたが、自分と共にあっては、翡翠ひすい久遠くおんはいつまでも穏やかに過ごすことはできまい。


 それに・・・・・・。

 二人が共にいてくれるのならば、宵闇よいやみのいない白妙の寂しさも、少しは癒されるのではないか・・・・・・。


 感謝を伝えてくれた静かな青年のことを想いながら、海神は目を閉じた。

 今までにも同じようなことは幾度もあったのだ・・・・・・なのになぜ、こんなにも心と身体が乱れ、沈み込んでいるのだろう・・・・・・。


 ふいに感じたみずはと白妙の気配に、海神は顔を上げ、戸に視線を向けた。


 「開いている。入っていい。」


 声をかけると、ゆっくりと開いた戸の隙間から、幼い少女が顔を出す。

 すかさず部屋の明かりを灯すと、海神は青ざめたみずはの小さな顔に、頭を下げた。


 「みずは・・・・・・すまない。ながれは」


 「聞いた。・・・独り、辛かったのはお前だろうに。なぜ謝る。」


 幼い口調でそっと言葉を遮り小さな手で海神の身体を起こすと、みずはは哀しみに染まった双眸で彼を見つめた・・・・・・。


 みずはと流は時を同じくして生まれた神妖だ。

 生き方を違えてしまっても、共に過ごした温かい記憶まで恨むことはできない。


 海神と共に市を回った時、彼に買ってもらった青いかんざし・・・・・・。

 それをこのうえなく大事そうに胸に抱き頬を紅に染めていた、大人びた流の愛らしい笑顔が思い出され、みずはの目はたちまち涙で溢れそうになった。


 彼女の小さな頭をいたわるように撫でながら、海神は憂いを帯びた瞳を白妙に向ける。


 「彼らは・・・・・・」


 「ああ。二人ともお前に会いたがっていたのだが、今日は大分疲れているだろう。彼呼迷軌ひよめきへ置いてきた。・・・連れてくるか?」


 「いや。無事であるならばいいのだ。・・・もう、会うつもりもない。」


 「会うつもりもない?なぜだ。」


 「・・・白妙しろたえ。お前、今更それを私に聞くのか。」


 いぶかし気に白妙を見つめた後、海神は暗い瞳を伏せ、重い口を開いた。


 「・・・・・・私を憎むことが二人の生きる力になるというのならば、私は彼らのかたわらにあろう。・・・だが、彼らは違う。目の前をうろついて、いたずらにその平穏をかき乱すべきではない。」


 あの場で町の者たちを救うことができる力を持つ者が、自分だけであることは明白だった。

 それを叶えることのできなかった自分の存在は、重い過去の証として、二人の心を傷つけ続けるだろう。


 そのうえ、心の内で二人の仇であるながれの死を嘆かずにいられない自分は、あまりにも不誠実だ。


 『どうして救ってくれなかった!』

 『我が身可愛さに手を抜いたのだろう。』

 『代わりに死んで願いを叶えろ!』

 『所詮お前も奴らの仲間だ!』

 『いっそ殺してくれ!』


 過去救えなかった人々の声が、呪いのように蘇り海神の胸を闇色に染め上げていく。


 『感謝しているのです。・・・・・・心から。』


 ふいに、歪み切った罵詈雑言の波をかき分けるように、久遠の昨日の言葉が吹き抜け、海神の心を打った。

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