第215話 現在 >弔い 1

 「白妙しろたえに・・・・・宵闇よいやみを返してあげて・・・・。」


 久遠くおんの温もりに抱かれたまま、翡翠ひすいはたくましいその胸に、叶うことの無い・・・・届ける先すらも見つけられない祈りの言葉を、ひっそりとうずめた。


 再び痛みが増してきたのだろう、白妙しろたえは身体を小さく丸め、荒い呼吸を漏らし始める。

 翡翠が、悶える白妙の背をすかさず撫でてやると、眉間に寄せられていた深いしわがほんの少し緩んだように見えた。


 「海神わだつみの元にあおが現れたように、白妙しろたえにも、支えてくれる誰かがいてくれたならいいのに・・・・・・。」


 翡翠ひすいの口からポロリと零れた言葉に、心の中をわずかに掠める者があったが、久遠はそれを口にはしなかった・・・・。


  海神が白妙しろたえに寄せる情は、肉親に対するそれに近いものに見えた・・・・。

 だがそれでも、あれほど情の深い海神わだつみに、二千年もの間傍らで求められ続けてなお、白妙の気持ちは少しも揺らぐことがなかったのだ。

 それほど強い白妙の宵闇よいやみへの想いを、あの者がおいそれと変えられるはずもない。

 それを望むのは、あまりにも浅はかというものだろう。


 言葉にしたことはなかったが、あおが現れるまで、久遠は密かに海神わだつみ白妙しろたえが結ばれることを、願い続けていたのだ・・・・・。


 白妙に寄り添う翡翠を見つめながら、久遠は海神と出会ったころの遠い記憶に想いを馳せた。


********************


 久遠くおん翡翠ひすい海神わだつみに救われ彼呼迷軌ひよめきへと逃れた、その翌日・・・・・。


 二人は町の者を弔うため、海神わだつみ白妙しろたえに連れられ、町へと戻った。

 そこで目にした故郷の変わり果てた情景は、一切の容赦なく、二人の心を哀しみと絶望でえぐった。


 激流に流された町は全て泥水に埋もれた瓦礫と化し、見る影もない。

 そこに、生きるものの気配を見つけることはできなかった・・・・・・。


 海神は長く息をつき目を伏せると、胸の前で印を組んだ。

 彼の色を失った唇が小さく何かをつぶやくと同時に、青白い指先が淡く輝きを帯びる。


 近くで・・・・遠くで・・・・・一つ、また一つと泥水や瓦礫をかきわけながら、大きな塊が宙へと浮かびあがる。

 人の形をしたそれらは、全てこの町の者の亡骸だった。


 目の前に集まり始めた数知れない遺体を目にし、久遠と翡翠は、互いに顔を見合わせそして、海神をじっと見つめた。


 「海神わだつみ様・・・・」


 「久遠くおんっ!」


 久遠が海神わだつみに何かを言いかけた瞬間・・・・・。

 ちょうどその呼びかけに重なるようにして叫び声を上げた、翡翠ひすいの動揺に、久遠は彼女の大きく見開かれた目が見つめる視線の先を追って、思わず振り返った。


 久遠がそこに見つけたのは・・・・・自らの、愛する母の姿だった。


 久遠の母とさほど遠くない場所にいたのだろうか。

 翡翠の父と母・・・・そして使用人たちの亡骸も同じ方面から次々と運ばれてくる。


 死んでいるとは思えないほど生き生きとした姿のままの母の、冷たくなった手に触れ、久遠は深い哀しみに目を伏せた・・・・・。

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