第211話 涙 1
だが、なぜだろう・・・・心の奥をふさぐ岩のような重い塊は、溶けることなく居座り続け翡翠の心を暗く凍らせたままだ。
そんな翡翠をまっすぐ見つめ
「
白妙はどこからか大きな白い毛皮の敷物を一枚取り出し、床へ広げてそこへ座った。
「おいで。」
白妙の雅な動きにすっかり目を奪われていた翡翠の腕をぐっと引き寄せ、白妙は倒れ込んできた彼女を力強く受け止めた。
「白妙様。衣が・・・・敷物まで・・・・泥で汚れてしまいます。」
「気にするな。些末なことだ。・・・・固い床へ座っていたのでは、お前が足を痛めてしまうだろう。敷物が気になるのなら、このまま私の膝の上に座っていればいい。」
翡翠は顔を赤らめ、慌てて白妙の膝から下り、柔らかな敷物の上に座り直した。
白妙は、「残念だ」と言って小さく笑うと、まるで他人のことを話すように淡々と、千年以上も前に失った、彼の大切な者たちの話を語っていった。
白妙の唇から紡ぎだされた残酷過ぎる結末を胸に・・・・翡翠は言葉を失ってしまった。
「・・・・・皆を失くした後、愚かな私はようやく思い知った。
一度言葉を途切れさせた白妙は、わずかに首をすくめ、深い哀しみを纏った
「彼らが与えてくれる穏やかな時や、温もりは・・・・・変わらぬものでも、永遠のものでもなかったのだと・・・・・」
さらけ出された傷口から、滴り落ちる血の流れが見えそうなほど、深く生々しい心の傷を、目の前で微笑む白妙は独り抱き続けているのだ。
「なぁ、翡翠・・・・。私は人ではない・・・・。だが、大切な者を失えば心に傷を負うというのは、恐らく人も
白妙の唐突な言葉が何を指しているものかわからず、翡翠は小首を傾げた。
「翡翠・・・・・。お前、海神が救えなかったという町の者の中に、大切な者がいるのではないか。」
翡翠の心臓が大きく脈を打った。
無意識のうちに見て見ぬふりをしていた、重い塊の正体が何であったのかを突き付けられ、翡翠は初めて哀しい現実に目をむけた・・・・・。
父も、母も・・・・屋敷の人々も全て、自分は本当に失ってしまったのだ。
心の奥を塞いでいた重りが砕け、凍てつくような哀しみと黒々とした虚無が濁ったうねりとなってせりあがってくる。
身体を震わせる
「千年も経つというのに、私は未だ悪夢ばかりを見る・・・・。だが、なぜだろう。こうして思い出すのは、向けられた笑みや、摘んできてくれた小さな花・・・・。私のために降ろしてくれた美しい
白妙の濡れた声に驚き、暗い感情に飲み込まれつつあった翡翠は、ハッと我に返った。
翡翠の目の前を、透明の雫が通り過ぎ、衣にぽつりと小さな染みを描いていく。
白妙の顔を見上げようとした翡翠の頭は、彼のしなやかな胸にそっと押し付けられてしまった。
「見なくていい・・・・。私は人に涙を見せるのは、少しばかり苦手なのだよ。」
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