第210話 叱るなら

 「白妙しろたえ・・・・様。」


 「・・・・・・どうした?」


 腕の中から自分をそう呼ぶ翡翠ひすいに、白妙しろたえは寂しさをにじませた微笑みを見せたが、恥じらいうつむいたままの翡翠にその表情は見えない。


 「きついか?」 


 白妙はささやくと、翡翠の細い身体を柔らかく抱きなおした。


 「いえっ。大丈夫です。・・・・・あの・・・・」


 口ごもる翡翠を急かすことなく、ゆっくりと足を進めながら白妙は言葉の続きを待った。


 「・・・・・白妙様。ここへ連れてきて欲しいと願ったのは、私たちの方なのです。海神様は多くを語ることもなく・・・・『すまない』とおっしゃって、私たちを救い連れてきてくださいました。」


 胸の奥を塞ぐ岩のような重い何かを吐き出したくて、翡翠は鉄砲水のごとく飛び出す言葉のまま、事の成り行きを全て白妙に語って聞かせた。


 「海神様は、私たちの町を救えなかったことを深く悔やまれているようでした。あの方はご自分がとても傷ついているのに、私たちのことばかりで・・・・。仲間の死を悼むことすら自らに許さず、それどころか私たちに不安を与えまいと、微笑んで見せてすらくださいました・・・・。」


 いつの間に着いたのか、湯殿と思われる部屋の前で、白妙は足を止めていた。


 「私たちがここへ来たことに障りがあるのなら、どうか私を叱ってください。海神様は、私たちの無理をきいてくださっただけなのです。」


 音もなく湯殿の戸が開き、白妙と翡翠の姿を戸の内側に納めると、再び静かに閉じた・・・・・。


 脱衣場の床へと・・・・。

 まるで壊れ物を扱っているのかと思うほど大切に下ろされた翡翠は、無言のままでいる白妙に、丁寧に礼を言った。


 乱れた翡翠の髪を手で優しく撫でながら、白妙は、熱く乾いたままの翡翠の瞳をじっと見つめる。


 「名を・・・・・聞いてもいいか。」


 突然の問いかけに、翡翠は初めて、自らの名を明かしていないことに気づいた。


 「ご無礼をいたしました。・・・・私は名を、翡翠と申します。」


 白妙は苦し気な笑みを見せ、一つ切ないため息をつくと、翡翠の頬を片方の手のひらで暖かく包み込んだ。


 「・・・・困ったものだ。海神を叱っておきながら、私自身が、お前を好ましく思ってしまっている。あれを叱るのならば、私はまず自らを罰しなければならないな・・・・・・。」


 白妙は翡翠の頬をしなやかな親指でなでた。


 「翡翠・・・・。私は遠い過去に、大切な存在を失った・・・・・。あのころの私には幼かった海神がいたから、強く生きていられた・・・・だが逆に、あれの優しさに甘え涙を流すこともできたのだ。あれは、そういう男だ・・・・・。」


 「海神は自らのことを多くは語ろうとはしない。よく、伝えてくれたな。・・・・ありがとう。」

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