第209話 羞恥

 「・・・・・・?」


 無意識のうちに零れ落ちたつぶやきを耳にし、翡翠ひすいが心配そうに白妙をのぞきこんでいる。


 「アオ」を「恨む」という言葉の意味は翡翠にはわからなかったが、海神わだつみのことを話す時、白妙の瞳が愁いを帯び、わずかに影が差すことには気づいていた。

 そのさなかに苦し気に吐き出されたつぶやきなのだ。

 恐らくは海神に繋がる言葉なのだろう。


 そうは思っても、出会ったばかりの自分が無遠慮に踏み込んでもよい話ではなく、かといってこの優しい人を放ってもおけず、翡翠はただ静かに白妙を見守ることしかできないでいた。


 「・・・・・お前は、優しい娘なのだな。」


 翡翠の頭を撫でながら、翡翠は困ったように微笑んだ。


 海神わだつみと共に過ごした長い時は、確かに自分たちの絆をこの上なく深いものにしてはいたが、それは慕情とは別のもの・・・・・。

 海神の熱情の先にいるのは、常に蒼だ・・・・・。


 またそれと同様に、白妙が愛し共に生きることを心から望む者もただ一人・・・・。

 幾歳いくとせ経とうとも、白妙の心を切なく締め付け灼熱で焦がす者は、宵闇だけなのだ。

 海神へ・・・・・とってかわることはない。


 宵闇と生きることは決して叶わず、また、海神に応えることもできない・・・・・。

 そのことが、常に白妙の心を波立たせ、たまらなく寂しくさせていた。


 「さぁ、傷は全て癒えた。痛むところはもうないか。」


 「大丈夫です。・・・・・こんなに心を尽くしていただいて、ありがとうございます。」


 真っ白な手ぬぐいで湯のしたたる足をぬぐうと、白妙は美しく微笑み、翡翠の頭を愛おしそうに撫でた。


 「気にするな。嫌であれば私はしない。・・・・いい子だ。さあ、お前も湯を浴びてよくあったまっておいで・・・・・。案内しよう。私にしっかりつかまっていなさい。」


 その細い身体からは予想できないほどの力強さで、白妙は軽々と翡翠を横抱きに抱え上げた。

 翡翠が慌てて白妙の首にしがみつくと、女性とばかり思っていた白妙のしなやかな筋肉の感触が、熱と共に衣越しに伝わってくる。


 幼いころに両親に抱きあげられたおぼろげな記憶以外、そんなことなどされたことのない翡翠の顔は、瞬時に灼熱を帯び濃い桃色に染まった。


 「あの・・・・」


 「すまないな。他の男の腕に抱かれるなど、面白くなかろう。」


 「いえ・・・・そんな意味では。慣れないことなので・・・」


 翡翠が目を伏せると、白妙はクスリと小さく笑った。


 「愛らしい娘だ・・・・・。恥ずかしい想いをさせてしまったか。だが、お前の衣はあまりにも泥が酷い。・・・・・ここで脱がせるわけにもいかぬだろう。悪いが、湯殿までこらえておくれ。」


 歩き出した白妙が抱えやすいよう、首に回した腕にわずかに力を込め、翡翠は顔に熱をのぼらせたままこくりと一つうなずいた。

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