第204話 無力

 「・・・・妖月ようげつ海神わだつみよ。若いのに大したものだな。」


 男は少しおどけたように言うと、人を食った笑みを見せた。

 男の周囲に浮く鬼火が、その顔を闇夜に妖しく照らす。


 「ながれ・・・か・・・・。あれはお前のためのにえだ。・・・・四肢の数本切り落とし、お前を生きたまま捕えようかと思ったのだが・・・・。興が冷めてしまったな。」


 「海神様!」


 翡翠が悲鳴じみた声で海神を呼んだ。

 先ほど久遠の父の攻撃をはじいた海神の手の甲が大きく引き裂かれ、そこから赤い流れが雫となり滴り落ちている・・・・・。


 流の攻撃では傷一つつくことのなかった彼の白雪の肌に残された赤い裂け目が、久遠の父が流よりもはるかに格上である事を示していた。


 海神は、自分の名を抵抗もなく口に出し、さらには彼を若い者として認識している久遠の父に、わずかに戦慄を覚えた。


 「お前・・・・・妖鬼か。私の名を口にできるということは、かなりの強者にあたる者なのだろう・・・・・。何者だ。目的はなんだ。・・・・・なぜ、人の器を求める。」


 「フッ・・・。お前は無口な男と聞いていたのだが、どうやらそうでもないらしい。・・・・さて、どう答えたものか。長く同じことを続け過ぎて、些末な理由など忘れてしまったのだ・・・・。」


 男は小さく笑うと、なれなれしい口調で語り掛けてくる。


 「さあ・・・・。二人を預かろう。それは私の可愛い子供たちだ。」


 久遠と翡翠は、身震いした。


 なぜ、これほどの邪悪の隣にいて、何も気づかず今まで過ごしてこられたのかと思う。

 そんな凍てつくような残忍さが、男のギラギラとした瞳からあふれ出していた。


 久遠は翡翠の冷たく震える手を、きつく握りしめた。

 翡翠は火の玉のように怒るだろうが、自分を餌に捨て置けば翡翠は助かる。

 犠牲は少ない方がいい・・・・・。


 久遠が海神に「翡翠を託す」と告げようとした瞬間。

 海神は、手で久遠を制すると、男の前に立ちはだかった。


 「おいおい。海神よ。お前、親から子を奪おうというのか。妖月ともあろう者が、道理を知らぬにもほどがあるぞ。」


 「・・・・・・。」


 男の大げさなまでの反応に、海神は眉間に険を寄せたが微動だにすることはなかった。


 「まあよい。人の器もそろそろ窮屈になっていた。久遠はお前にくれてやる。・・・・・さて、異形の者に愛しい我が子を奪われた傷心の父は、悲嘆にくれる中、非情な惨劇に巻き込まれ消えるとするか。」


 男の言葉に、海神は目を見開いた。


 「やめろっ!」


 「遅い・・・・」


 海神が印を組むより、男の口から耳慣れない言葉がボソリとこぼれる方が早かった。


 地響きとともに轟音が鳴り轟き、空気を震わせる。

 不気味な地鳴りが闇を揺らしていった。


 「貴様っ・・・・」


 海神が表情を歪め、鋭く男を睨みつけた。

 すぐにでも地響きの鳴る方へ向かおうと身体を浮かせた海神を「まあ待て」と引き止め、男は涼やかな表情を浮かべ宙に舞い上がると、高く笑った。


 「安心しろ。お前を煩わせないよう、すでに町の者は全て食らいつくしてきた。救うべきものなど何も残してはおらん。お陰でここへくるのが少し遅れたのだ。その間・・・・・流から久遠を守ってくれたこと、礼を言うぞ。」


 男の姿は、不吉に耳にまとわりつく声と共に、闇の中へと溶けて消えた。

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