第178話 帰るべきだけれど・・・・

 「別に、君たちに隠していたわけじゃない。海神わだつみに仕官するためには、その方が都合がいいんだ・・・・。」


 蒼は小さなため息をもらした。


 「・・・・・神妖界は、ボクら妖鬼に蹂躙された過去がある。長い時が経ち、彼呼迷軌によって出入りが自由になった今も、神妖たちが妖鬼を恐れる気持ちや恨みの念が薄らいだわけじゃないだろう。・・・・・二つの種族を隔てる溝は、深い。」


 「蒼・・・・・。」


 海神が何か言いたそうにして、口をつぐんでしまった。

 それに気づき、蒼は切なげにほほ笑んで、その頭を優しく撫でる。


 「ボクは海神と、死んでも離れたくない。だから本当は彼呼迷軌のみんなにはボクのこと、黙っていてもらえると助かるけど・・・・・。それはボクだけの、わがままだから。」


 蒼は俺の後ろにいる都古に目を向けた。


 「都古・・・・黙っていることが辛ければ、久遠たちには、話してしまっていい。君の、好きにしろ。」


 都古が瞳を揺らしながら、蒼を見つめた。


 「だが、彼呼迷軌以外の者には話すなよ。それはダメ・・・・。ショクやその仲間には知られたくないからね。ボクはあくまでも、海神の配下の神妖ということにしておきたい。」


 蒼の言葉に、黒が苦しそうな呼吸の合間に悪態をついた。


 「だったら君は・・・・もう少し、大人しくすべきだ。誰が見たって・・・・怪しいこと、この上ない・・・よ・・・・・・」


 ぐったりと力を抜き、そのまま意識を手放してしまった黒の手を、光弘は強く握りしめた。


 「大丈夫。ボクの悪口を言って力を使い果たしたんだろう。眠っているだけだよ。」


 蒼は片方の眉を呆れたように上げてため息をつくと、黒を光弘から預かり、小さな繭の中へ納めた。


 「今日は遅い。あとはボクらに任せて、君たちはもう休め。」


 俺が黙ったまま光弘を見つめるていると、蒼は苦笑した。


 「そんな顔をするな。神妖界最上位の海神に、双凶のボクたちまでそろっているのに、光弘を危険にさらすと思うのか?」


 「そういうつもりじゃ・・・・・。」


 俺は自分の気持ちを測り兼ねていて、蒼に言い返す言葉が見つからなかった。

 何かが無性にひっかかって、不安が湧き出してくるのだ。

 とにかく、光弘から離れたくなくて・・・傍らにありたくてたまらないという気持ちだけが強く居座り続けている。


 それはしょう都古みやこも感じているようで、二人とも俺と同じように動くことができず、誰一人として「戻ろう」と口にすることはなかった。


 「それに、もう一体・・・・強力な奴も戻ってきたみたいだ。」


 ふいに、ふわりと微かに空気がゆらめいた。

 いつの間に繭を抜け出したのか、ゆいが光弘の肩に舞い降りる。


 「癒っ・・・・姉さん?」


 光弘はどう呼ぶべきか混乱しつつ、ほっとした表情を見せた。


 癒は楓乃子へと姿を変えると、小さく吹き出した。


 「この姿の時はどちらでもいいけど・・・・。本来の姿の時は、癒と・・・・そう呼ばれていたいな。」


 楓乃子が光弘の頭をなでると、光弘はくすぐったそうに微笑んだ。


 癒が戻ってきたのをきっかけに、ボクらはどうにか無理やり気持ちを切り替えた。

 これ以上、寝床を空にしておくわけにもいかないのだ。

 俺は胸の中のもやを心の奥に押し込めながら、のどの奥から言葉を吐き出した。


 「光弘・・・・・待ってる。」


 「うん・・・・。」


 何を・・・・とは言えなかった。


 濃い霧で覆われた得体のしれない不安を抱えたまま、俺たち三人は、俺の部屋へと移動した。

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