第167話 切り裂かれた闇

 楓乃子のかすれた声は、魂を震わせる響きをもって俺たちの心に迫った。


 俺は光弘の肩に置いた手に、グッと力を込めた。

 黒の元へ光弘を返してやるべきだという根拠のない想いが、ジワリと腹の底から滲み出してきて、俺は光弘の瞳を真っ直ぐ見つめた。


 光弘の瞳は暗く揺れていた。

 

 きっと・・・・光弘には選べない。

 昔からそうだ。

 昔・・・から・・・・?


 俺の脳裏を、1本の高い塔がはえた、見知らぬ場所の景色がかすめた。


 その時。

 光弘の背後の闇に一筋の線が入り、例の腕が不気味に顔を覗かせるのが目に映った。


 「こいつ!」


 俺はとっさに光弘の腕を強く引き、自分の後ろへ下がらせると、ここへ来る時に使った刀を再びにぎり、すかさず腕のやつに切りつけた。


 腕はひらりと攻撃をかわしたが、俺の狙いはそこじゃない。

 

 一閃に鋭く振り下ろした刀は、腕の奴を逸れると、そのまま腕の根元辺りを斬り裂いた。

 ほんの一瞬、切り裂かれた闇から光がチラリと漏れたが、すぐにじわじわと塞がってしまった。


 「ちっ!」


 腕の周辺の領域を壊すことで、あわよくばその持ち主を引きずり出せないかと思ったのだが、考えが甘かったようだ。


 腕の奴は、自らの周辺に強固な術を巡らせていた。

 そのため俺の攻撃は威力がほとんど殺され、腕の近くの空間にわずかに傷をつけただけで終わってしまった。


 「真也っ・・・・。」


 俺の後ろから、都古のかすれた声がかすかに聞こえたきがしたが、攻撃の直後に腕から放たれた、雷光のような一撃を間一髪のところで刀で受け、神経を張り詰めていた俺は、その声に気づかなかった。


 楓乃子は別段慌てた様子も見せず、俺たちを自分の後ろへ下がらせると、わずかに振り返り、鋭い視線を送ってきた。


 「真也・・・みーくんを連れて、ここを出ろ。すぐだ。」

 「姉さんっ!」


 光弘の悲鳴のような呼び声に、楓乃子は切ない微笑みを浮かべると、腕を警戒したまま、片ほうの手を光弘の目の上に乗せた。


 『おやすみ』


 楓乃子の言霊に憑かれ、光弘が足元から崩れ落ちる。

 彼女はその身体をしっかりと・・・まるでとても大切なものを包み込むかのように抱き止めると、俺たちへ受け渡してきた。


 「黒の元へ、みーくんを戻したい。・・・この領域から出れば、自然に身体へと引き戻される。ここから、出してやって。」


 俺は楓乃子の言葉にうなずいた。


 勝と都古に視線を送り、三人でうなずき合う。

 ビリビリする空気が、ここに俺たちがいては足手まといになるのだと告げているようだった。


 奥で宵闇と対峙したままの海神と蒼も、視線で早く行けと告げている。


 光弘。今逃げることは恥でも・・・裏切りでもない。

 癒の・・・・お前の姉ちゃんのためにも、俺たちはここを離れるべきなんだ。

 ・・・・・ごめんな。


 俺は再び空間を切り裂き、闇の世界から光弘を連れ、その場を逃れた。

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