第165話 白妙の苦悩

 「お前は・・・・なにがしたい。」


 突然背後から降ってきた問いかけに、黒はビクリと身を震わせた。

 

 「海神・・・・か。君に気づけないなんて。白妙が気を失い君を捕らえていた術がとけてしまえば、君がここへ来るのは、当然だというのに・・・・。」


 今の自分には、海神の攻撃を防げるだけの体力は備わっていない。

 この場を切り抜ける方法はないだろうかと探りながら、黒は、深いため息をついた。


 「海神。君は・・・・僕を、殺したい?」


 「なぜだ。」


 「恨んでいるだろう?僕を・・・・・。」


 「必要ない。・・・・私は水妖だ。お前の偽りを知っている。・・・・もう戻れ。白妙が目を覚ます。」


 黒は驚きでわずかに目を見開いた。

 この若い神妖は、龍粋りゅうすいほどの力は持ち合わせていないが、彼の高潔な魂と善の心を、確かに受け継いでいる。


 だが・・・・。


 「・・・・・そうだね。もう、行くよ。僕は君とはかかわりたくないし。少し、恨んでいるんだ・・・君の存在を。逆恨みだと、わかっているけれどね。」


 恐らく、定められた未来であったのだろうが、それでも、海神がいなければもう少しましな現在を望めたのではないかと・・・・どこかで思ってしまうのは止められなかった。


 硬く目を閉じたままの白妙の頬をそっとなで、黒は、痛みにたえながら立ち上がった。


 「白妙のこと・・・・君に預けてもいい?・・・・君の心が、自由でいる間だけでいいんだ。彼女を、支えてやって。」


 「うん。」


 海神の素直な返事に、痛みをこらえながら黒は苦笑した。


 「君はいい子だね。・・・・ありがとう。」


 黒は立ち上がって海神の濡れた髪に触れ、頭の上に手を置いた。


 「ごめん。少し、痛くするよ・・・・・」


 直後。

 黒の瞳が紅く煌めくと同時に、海神は柳眉を歪め、意識を失ってその場に崩れ落ちた。

 海神の中のいくつかの記憶を、黒が壊したのだ。

 海神を抱きとめると、黒は寂しそうにつぶやいた。


 「余計なことは、覚えていなくていいから。」


 黒は海神を横たえると、再び白妙に治癒の術を施し始めた・・・・。


 日差しを感じ、ズキリと痛む頭に手をあて海神が起き上がった時、そこには横たわったままの白妙の姿があるだけだった・・・・。


 白妙の心を支えるのだという、強い想いは湧きあがってきたが、海神は、なぜ自分と白妙がここに寝ているのかは分からなかった。



 それ以来、白妙は男の神妖になる事はなかった。

 白妙は今までの容姿を変えることはしなかったが、性別を男に変えて過ごすようになった。


 宵闇を手にかけた姿でいることや、彼を愛していた女でいることに耐えられず、かといって彼が愛してくれた自分の姿を手放すこともできない白妙の苦悩が、そこに現れていた。


 『白妙は、本当に美人さんだ。そうやって、もっとたくさん笑って、いろんな人に話しかけるようになれば、誰もが君に夢中になる。俺のこの図々しいくらいの人懐こさを、君に少し移せたらいいんだが。』


 過去に宵闇が紡いだ言葉が、標となって白妙の自我を支えていた。


 愛おしい者の、心だけが残された世界・・・そして海神と彼呼迷軌という、託された2つのものを、白妙は2千年もの間、一途に守護し続けていった。

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