第156話 宵闇の告白

 龍水りゅうすいの暴走を止めた宵闇よいやみが、長い眠りから目覚めた時・・・・・。


 『白妙は龍粋の元にいる』・・・・たったそれだけの事実が、猛烈な哀しみと嫉妬で宵闇の身の内をたぎらせ、激流となって瞬く間に彼の心を支配した。


 視界を真っ赤に染め上げられ、頭の芯が揺らぎ足元が浮ついて、自分が何者かすらわからないようになってくると、宵闇の意識は抗えない強烈な力に連れ去られ、闇の底へと沈みこんでいった。


 ようやく意識を取り戻した時・・・・。

 宵闇は妖鬼の群れの中で、空気を切り裂くようなけたたましい笛の音を、白妙に向けて吹き鳴らしていた。


 この不吉な笛の音は、神妖の精神を狂わせ、力を奪う。

 そのことに気づいた宵闇の全身は、耐えがたい恐怖に凍えた。

 

 意識を失い崩れ落ちていく白妙が目に移り、その細い身体をとっさに腕の中へ抱き止めると、彼女の口元がわずかに動いた。


 「宵・・・闇。」


 白妙が自分の名を呼ぶ切ないその声に、宵闇の心は引き裂かれるように激しく痛んだ。


 自分を取り巻いていた妖鬼の群れが、白妙を狙い襲い掛かってくる。

 宵闇は白妙を片腕にしっかり抱いたまま、空いている方の手で印を汲んだ。


 宵闇の影から無数の闇色の帯が雷光のごとく飛び出し、先陣を切って躍り出た集団を瞬きの間に切り刻む。

 優雅に舞い踊る闇色の帯に恐れをなした妖鬼たちが足を止めると、今度はその足元の影が不気味にうごめき、粘りをもった黒い液体が包み込むように彼らをからめとった。


 恐怖におののく妖鬼たちの絶叫は、一瞬のうちにかき消され、身体とともに闇にのまれる。

 沈黙の後に吐き出されたのは、魂を失った妖鬼たちの屍だった。


 宵闇は強力な力で、彼女を狙い襲い掛かってくる妖鬼の全てを、ことごとく祓いながら、何よりも大切な温もりを二度と話したくないと言うように、きつく胸に抱き続けていた。


 だが、瞬く間に邪悪を消し去った宵闇を待ち構えていたのは、一筋の光すら射さない絶望だった。

 無数に転がる神妖たちの亡骸には、一切の抵抗のあとが見られなかったのだ。


 恐らく、身動きが取れず戦うことすら許されないままに一方的に蹂躙され、目を引き抜かれ、殺されていった・・・・。

 結界は破られ、龍粋りゅうすいの気配はどこにも感じることができない・・・・つまり彼は、もう・・・・。


 ・・・・俺の笛の音が、神妖界の結界を壊し、神妖たちの命を奪い・・・龍粋を・・・・殺したっていうのか・・・・・。


 あまりにも重すぎる非情な現実に、宵闇は打ちのめされた。


 もう、二度と・・・・・白妙の元へは戻れない。

 こんなことをした自分が、戻っていいはずがない。

 俺は白妙に、触れるべきじゃなかった・・・・。


 眼前に広がる無残な情景に絶望を確かめさせられながら、宵闇は数刻もの間、意識のない白妙を腕に抱き、彼女を狙う妖鬼を滅ぼし続けた。


 周囲から妖鬼の存在を消し尽くすと、宵闇は白妙の温もりと彼女の存在を確かめるように、力を失って重くなったその身体を、凍える身体で強く抱きしめた。


 白妙の首筋に顔をうずめ、清涼とした彼女の甘く懐かしい香りをゆっくりと胸に含み、心の奥深くでかみしめる。


 「白妙・・・・。俺は・・・・君の傍で生きたかったよ。・・・・本当は君と、つがいになりたかった。・・・ただそれだけを、ずっと・・・ひたすら望んでいたんだ。」


 宵闇は柔らかな地面を選び、そこへそっと白妙を横たえた。


 どうしても白妙のそばを離れる決心がつかず、宵闇は彼女の美しい顔を揺れる瞳で見つめ、つややかな長い髪を手で手繰る。


 「こんな時でも・・・・君は本当に・・・・美人さんだね・・・・・。」


 宵闇は、桜色に色づく形の良いふっくらとした白妙の唇へ、そっと自分の唇を重ねた・・・・・。

 

 「君のことが、死ぬほど好きなんだ。」


 白妙の唇を優しく指でなぞり、ようやく宵闇は立ち上がった。


 「・・・・・さようなら。」


 背を向けた宵闇が、白妙の頬を流れ落ちる涙に、気づくことはない・・・・。


 告げられた宵闇の言葉は、樹々の中にひっそりと置き去りにされ、誰も知ることのないまま消えていった。

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