第153話 神妖界の凶事

 抗うことのできない激流は、怒涛のごとく彼らを襲った。


 始めの凶事は、仮面の子供が神妖界から姿を消したことだった。


 ある日。

 宵闇からもらった楽器を手に、彼を探しに出た幼子はそのまま帰ってこなかった。


 長は、一睡もすることなく探し続けたが、幼子を見つけることは叶わず、長が仮面の子を呼ぶ哀しい呼び声だけが、幾日も神妖界へ響き渡り、皆の胸に突き刺さった。


 数日の後。

 長に宛て、突然地界に住む人の王から、伝言が届いた。


 人の王は、迷い込んできた仮面の子供を預かっているというのだ。

 それを聞いた長は、いてもたってもいられなかった。

 白妙が止めるのも聞かず、すぐさま王の召喚を受け人の世へ渡ってしまったのだ。


 それ以来、長がそこから帰ることはなかった・・・・・。


 しばらくすると、長から「王の力で仮面は消える。もてなしを受けていて帰れない。彼の力になる。」と短い伝言があったが、白妙がこの内容の異常さに気づくことはできなかった。

 気づくための余裕が与えられなかったのだ。


 長が神妖界から姿を消した直後。


 まるでその機を狙っていたかのように、冥府から妖鬼が湧き出し雲霞うんかのごとく、何度も繰り返し押し寄せてきた。


 その度に龍粋が全てを祓っていたが、長くは続かなかった。


 ある時、神妖界の空を黒く濁らせながらいつものように現れた妖鬼の群れだったが、少し様相が違っていた。


 巨大な陣を描くように連なった妖鬼の群れの中心から、耳障りな笛の音が神妖界を切り裂くように鳴り響いたのだ。


 笛の音は、近くにいた全ての神妖の心を毒し、身体を強烈に麻痺させた。


 この日。

 神妖界から龍粋と幼い海神の気配が消え、同時に、神妖界を覆うように張られていた強固な結界が砕け散っていった。


 歓喜の叫びを上げながら、神妖界へなだれ込んできた妖鬼のどす黒い群れは、数えきれないほどの神妖の命を、瞬く間に散らし神妖界を蹂躙していった。


 異常を感じ駆け付けた白妙は、不吉な笛の音に飲み込まれた。


 頭が割れるような激しすぎる頭痛と身体中を痺れさせる痛みに、意識が揺れて遠のきそうになりながら・・・・何体もの妖鬼が自分に向かってくるのが目に映り、白妙は歯ぎしりしながら、ふらふらとした足取りで身構えた。


 そんな白妙をあざ笑うように、笛の音は、更にけたたましく耳朶を侵し、彼女はついに耐えきれず、意識を手放し崩れ落ちていった・・・・・。


 真っ暗な闇に意識を取り込まれ、倒れていく白妙の背を、切ない温もりが力強く受け止めた。

 無意識のうちに・・・ただ一人の、大切な者の名をこぼしながら、白妙は意識を失った・・・・・。


 数刻後。

 静寂と血の匂いに包まれた森の中、意識を取り戻した白妙は、自分がなぜここにいるかもわからないまま、呆然と霞がかった意識の中で、重い身体を無理矢理起こした。


 神妖界の結界の消失・・・・・それはつまり、術の発動者に対する異変を告げていた。


 龍粋が自分の意思で結界を解くことは絶対にない。

 残された可能性としては、彼が深手を負ってしまったか、すでに・・・・・。


 独り不安に押しつぶされそうになりながら、神妖界を護ると心に誓ったその強い想いだけが、白妙を動かしていた。


 大切な者たちと共に生きたこの場所を守れるのは、もはや自分しかいない・・・・彼らを失った今、白妙にはもう、この場所を守り彼らを待つことしか、出来ることはなかったのだ。


 白妙は、命逢の大樹を社とたまよりに任せ、生き残った神妖たちを神殿に避難させた。

 次にあの妖鬼の大群に襲われれば、自分では食い止めることはできないだろう。

 彼女がそう覚悟を決めた時・・・・神妖界へ朗報が届いた。


 妖鬼の王が、蒼と呼ばれる妖鬼に打ち倒されたのだ。


 その知らせを聞いても、白妙は、気持ちを緩めることはできなかった。


 長も、仮面の子供も、龍粋も、海神も・・・・・宵闇も。

 自分の指をすり抜けたまま、誰一人として戻らないのだ。


 彼女は平穏が戻ると同時に、溢れそうな涙をのみ込み、再び大切な者を探し始めた。

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