第145話 最初の異変

 宵闇よいやみが意識を失ってから、数日後・・・・・。


 神妖界の空を数百の黒い影が舞った。

 影は神妖界へ舞い降りようとしたが、強固な結界に阻まれ弾けとばされる。


 群れなす影の正体は、妖鬼だった。


 神妖と妖鬼は生き物としての形態が異なるうえ、神妖は神妖界から外に出る術を自らが持ち合わせていないため、関わることはほとんどない。


 妖鬼にしても、血肉を求めて舞い降りる者は時折あったが、神妖界は神妖のおさ龍粋りゅうすいを筆頭に、妖月と呼ばれる強力な個体が複数存在し、目を光らせていることで知られている。

 命の危険をおかしてまで、神妖の血肉を欲する者は少なかった。


 龍粋は、空を駈け結界を飛び出すと、妖鬼の群れの前を塞いだ。


 「我が名は、龍粋。ここは、お前たちが勝手をして許される世界ではない。・・・・何をしに来た。」


 「はっ・・・・何をしに来ただと?・・・・馬鹿が。聞くまでもないわ。お前らを喰らいに来たに決まっているだろう。・・・・その美しい身体を使って、お前らが我らをもてなしてくれると言うのなら、話は別だがな。」


 群れの中から前に進み出た、ひときわ身体が大きく、禍々しい姿をした黄色の衣の妖鬼が、いやらしい笑みを浮かべ舌なめずりをした。


 「一度だけ機会をくれてやろう。今すぐに立ち去れ。・・・・ここに残れば、即刻滅する。」

 「貴様1人で、この数を相手にか?」

 

龍粋の言葉を聞き、黄色の衣をまとった妖鬼は、大げさに驚いた表情を見せると、盛大に噴き出した。

 周囲を囲む妖鬼たちまでも、黄色の妖鬼に合わせるように笑いたて、高低入り乱れた耳に障る笑い声の渦は、ゴウゴウと耳を塞ぎたくなるほどの騒音となって空を侵した。


 「よかろう。それが答えなのだな。」


 龍粋は、流れるような仕草で印を組むと、黄色の妖鬼を除く全ての妖鬼へと意識を集中した。


 『れろ』


 龍粋の美しい唇が、その言葉を紡いだ直後。

 空を汚していた不快な轟音が、ピタリと止んだ。


 突然の静寂に襲われた黄色の妖鬼は、焦った様子で後ろを振り向いた。

 

 黄色の妖鬼がそこに見たのは、彼の引き連れてきた活きのいい妖鬼の群れではなく、全ての水分が吸い取られ、枯れ木のようにカサカサと蠢く、不格好な樹木のような物の集まりだった。


 龍粋は、舞を舞うように優雅に腕を振り、掴み取るように宙を掴んだ。


 黄色の目の前に広がっていた枯れ木の群れは、龍粋の動きに合わせ、ひとつ残らず一瞬のうちにまとめられると、醜く禍々しい球体を成した。


 手のひらを上に向けると、龍粋は静かに口を開いた。


 『ともせ』


 龍粋の手のひらの上に、青白い炎が燃え上がり、渦を巻いて天へ昇る。

 同時に黄色の妖鬼の目の前に浮かぶ巨大な醜い塊が、一瞬のうちに青い炎で飲み込まれ灰と化した。


 黄色の妖鬼は、カラカラに乾き何も飲み込むもののなくなってしまった喉を、鈍い音を立てて上下させた。


 「君に裂いてやれる時間は少ない。私と殺し合いたいのならば受ける。退くのならば、冥府へ戻り、今目にしたことを、皆に伝えよ。」


 冷たく耳に刺し込む言葉に、黄色の妖鬼はギリギリと奥歯を噛み鳴らしながら、憎々し気に龍粋を一瞥すると、その場から消えうせた。

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