第141話 龍粋と長 1

 神妖界に最初の異変が起きたのは、龍粋りゅうすい海神わだつみを連れ帰ってから半月ほどたってのことだった。


 榊の占いの導く答えに変わりはなく、むしろこの数日は更なる凶事を示し始めるようになっていた。

 長の身を案じる相が現れたのである。


 そのことを告げるため、龍粋が長の屋敷を訪れると、長は臥せっている仮面の子供の手をにぎり、静かに歌を歌っていた。


 熱があるのか、仮面の子供は苦しそうにゼェゼェと短い呼吸を繰り返していたが、歌を聴くとたちまち呼吸は穏やかになり、赤みを帯び少し腫れていた顔もすっきりと落着きを取り戻してきた。


 人の子は弱い・・・。

 長はこの子の元気が失われる度、ためらう事ことなく能力を使っていた。

 

 神妖の長の力は、とても強力だ。

 妖力自体は龍粋の方がはるかに上回ってはいたが、能力としては長に適う者はいない。


 長は、言葉や歌、音色を通して相手を支配することができるのだ。


 この神妖の長は本質が善であったため、その力を癒しなどの善行にしか使わず、さらには常日頃から自らの能力を強力に縛っていたので、世は平穏に保たれていた。


 健やかな呼吸を取り戻し感謝の言葉を口にする仮面の子を、心から愛おしそうに見つめていた長は、そこでようやく龍粋に気づき、嬉しそうに笑みを浮かべ歩み寄ってきた。


 「龍粋。君はいつも遠慮が過ぎる。・・・・声をかけてくれて構わなかったのに。」


 「いえ。ボクも貴方の歌が聴きたかったのです。・・・・邪魔をしたくはなかった。隠れ聴くような真似をして、申し訳ない。」


 「そんな言い方をしてはだめだ。私は君がそう言ってくれて、心から嬉しく思っているんだから。」


 長はそう言いながら、何かを思い出したのか、弾むように手をポンと一つ叩いた。


 「そうだ。あの子に消化の良い物をと思い、茶碗蒸しを作ったんだが・・・・。」


 長の言葉に、龍粋の瞳がわずかに揺れ、かすかに顔が青ざめた。


 「良かったら君も一緒に食べていかないか。」

 「・・・・・感謝します。」

 「・・・・少し、間があったのが気になるところだが。」


 長はそう言って、子の寝室に卓と椅子を用意させると、自らが茶碗蒸しと呼ぶ食べ物をそこに並べた。


 龍粋は、小さくため息をつき、悲壮な表情を浮かべる。


 この長は器用とは言えないうえ、大雑把な質でもあり、なんでも感覚で実行してしまうきらいがある。

 卓に並べられたソレも、見た目からして明らかに味の保証をできるものではなさそうだった。


 「ありがたく、いただきます。」


 木製の匙ですくい、龍粋が恐る恐る口に運ぶと、やはりそれは茶碗蒸しという名のものではなかった。


 「長・・・・中には何を?」

 「うん。病み上がりの胃が受け付けやすいよう、具は入れていない。臓腑を痛めない身体に優しい食材を選んだんだ。」

 「・・・・・。」

 「卵と、ヤギの乳、ハチミツをまぜて蒸したんだ。この子は甘い物が好きだからね。」

 「これ・・・とっても美味しい!」


 幼子の弾んだ声に、長は無邪気に笑った。


 「本当かい。それは嬉しいな。・・・褒められたのは、初めてかもしれない。」

 「確かにとても美味しい。・・・・ですが、名を改める必要はあるでしょうね。茶碗蒸しを頼んでこれが出て来たのでは、あまりにも刺激が過ぎる。」

 「君が言うのであれば、そうなのだろうね。」


 三人の温かな笑い声が、部屋の中を満たした。

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