第121話 双凶の黒

 翡翠の問いかけに、蒼が不敵な笑みを浮かべた。


 「餌を諦めても惜しくないと思えるほどの、デカイ獲物がかかったのさ。」

 「獲物・・・・ですか?」

 「そ。海神と・・・黒だ。」


 俺は黒と呼ばれた青年と海神を見つめた。

 黒は名前を出されたことを全く気にも留めていないようで、自分に集まった視線を無視し、ショクについて説明を始めた。


 「僕の知識の中で・・・・ショクという奴は、妖鬼の中でも特に趣味が悪い妖鬼のうちの一体だ。・・・・通じ合う者の心身を互いの見ている前で引き裂き、執拗になぶることに愉悦を感じる・・・。そして同様に、名高い者を手中に堕とすことにもまた・・・・奴は心を、くすぐられる。」


 黒衣の青年の説明に、さらに蒼が言葉を続ける。


「海神は以前からショクに狙われている。そして、そこにいる黒は、超を何個つけても足りないくらいレアな妖鬼だ。・・・・かかった魚は2匹。しかもあまりにも大きすぎたのさ。今回は見られただけで、奴は十分満足できたんだろう。奴を追っていたボクたちにとっては、ようやく見つけたショクにあっさり逃げられたことは、不本意でしかなかったけどね。」

 「あのまま留まれば、奴は確実に消されるのが分かっていた。ショクは用心深い・・・。危険を冒すような真似はしない。」


 海神がそう言って黒衣の青年を横目でチラリと見る。


 黒衣の青年は、柱によりかかり腕を組んで話を聞いていたが、小さく息をもらし口の端で笑うと、少し顎をあげて言った。


 「僕のせいで逃げられたと、そう言いたいの?」


 青年は、光弘の横に腰掛け、彼の湯呑を手に取り一口お茶をすすると再び湯呑を茶托に置いた。

 たったそれだけの行為が、まるで舞のように優雅で・・・俺は思わず目を奪われた。

 

 「そうかもね。」


 黒衣の青年は、ドキッとするような美しい笑みを浮かべると、光弘を見つめそっと頭をなでた。


 「僕は大切な者を守っていたいだけだ。そのために生まれてきた。それ以上は何も望まないのに・・・・・なぜあんたたちは、いつも僕を責める。」


 俺は、黒の言葉から、どこまでも澄んだ想いを感じとっていた。

 黒の言葉は、海神と蒼だけに向けられたものではない・・・・・そして、恐らく今だけのものでもないのだ。


 気づけば、いつの間にか目から涙が溢れていた。

 俺は慌てて涙を手で拭った。

 勝と都古も俺と同じように涙をあふれさせている。


 誰もが言葉を失い、青年を見つめている。


 青年は困ったような笑みを光弘に向け、何かささやくと、大きく息を吐いて身体を伸ばした。


 「冗談だよ・・・・。本気にしたの?」


 そう言って再び不敵な笑みを浮かべる。


 「まぁ、いい。・・・・・それより、水穂と少女の霊をどうする気?もし、水穂が契約を実行していたら、事故の状況をトレースできた範囲にいる魂は全て彼のものになるところだった・・・・。わかっている?」


 黒衣の青年の話に、俺たちは息をのんだ。


 「それって・・・・どういうことなの?」


 水穂が青年に問いかける。


 「契約にはたくさんの縛りがあった。違う・・・・?」

 「その通りよ。とても細かく指示をされていた。なるべく全て守る様にって。」

 「縛りを1つクリアするごとに、術が強化される。クリアできれば、あの場を中心にアリジゴクの巣のような、凶悪な術が完成する。大きさは縛りの数で決まる。大きければ街一つ分の魂が、いずれショクに、流れ込むようになる。」

 「そんな・・・・・。」


 ゾッとした・・・・・・。

 ショクという妖鬼のおぞましさに言葉を失くす。

 同時に、俺はこの黒という妖鬼に畏怖の念を抱いた。


 街一つ分の魂を諦めてでも逃げなければならない相手・・・・会えただけで満たされてしまうほどの存在。

 それがこの黒という妖鬼なんだ・・・・・。

 

 「あんたは救われたんだ。死んでしまった友人に。心も・・・・魂もね。」


 水穂は声も無く肩を震わせて泣いた。

 すすり泣く嗚咽の合間に、少女への謝罪と感謝の言葉を口にしながら・・・・・。

 


 水穂から彼呼迷軌での記憶を抜き取ると、久遠は意識を失くした彼女を繭に納め連れて行った。


 少女の霊は、魂の力が著しく弱まっているため、やしろたちに暫く預け回復した後、転生できるよう導くことになった。


 一通り片が付くと、蒼が黒を呼んだ。


 「少し、話がしたいんだ。いいか。」


 黒は光弘に視線を送り、何かあったら呼ぶように伝えると、静かにうなずき海神と共に蒼について行ってしまった。

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