第117話 水穂の家

 ショクがかかわっている以上、紅葉くれはは何もためらうつもりはなかった。

 場合によっては呼ばれるのを待たずに自らが出向く心づもりだった。 


 ショクという妖鬼について得ていた情報は吐き気がするようなものばかりだった。


 この悪趣味な妖鬼が好む行いは、紅葉の最も嫌悪するものだ。

 獲物とした相手を想い人の前でなぶり、心身が絶望の底で狂い壊れてゆく様を眺め、辱めてから魂を喰らい殺すのだ。


 光弘に隠し名を呼ばれ顕現した紅葉は、ショクが水穂の魂を隠し持っていることに気づいていた。


 気づいてはいたが、紅葉はとにかくこの卑しい妖鬼を、例え一瞬でも光弘に近づけたくはなかったため、今のうちにさっさと葬ってしまおうと考えた。


 印を組み、魂の根源まで消滅させるための術を立て始めたところで、ふと、後で光弘に知られれば取り返しがつかなくなるのではと思い至り、とどまったというのがさきほどの真相だった。


 光弘の視線を受け、その意味をくんで都古みやこの手の中から水穂の魂を持ち去ると、紅葉は水穂の本体がいるこの場所へと転移した。


 水穂の家の前では丁度、母親がドアを開け外出するところだった。


 光弘はすぐに駆け寄り、状況を説明しようとするが、上手い言い訳が見つからず言葉につまってしまった。

 紅葉は、こんな時でも適当な嘘をつけずにいる光弘に苦笑し、光弘をかばうように水穂の母親の前に出た。


 『聞け。』


 紅葉の瞳が紅く煌めくと同時に、水穂の母親の瞳が虚ろになった。


 「娘を助けたい。部屋に入らせろ。」

 「・・・・・はい。」


 水穂の母の答えに、冷たい笑みを浮かべると、紅葉は光弘をともない家の中へ入った。

 2階の水穂の部屋を開けると、床に倒れ痙攣している彼女の姿が目に入った。


 光弘がすぐさま駆け寄り、紅葉を見つめる。

 紅葉は、険しい表情の後でため息をつきながら、水穂の魂でできた石を渡した。


 「ありがとう。」


 光弘の微笑みに、紅葉は愁いを含んだ笑みを返す。

 光弘が石を水穂に当てると、石は吸い込まれるように身体の中に溶けていった。


 恐らく、以前魂を癒した際の記憶がよぎったのだろう。

 とはいえ、止めたところで光弘は決してやめることは選ばないのだ。

 不安げな表情で深く息をついている光弘に、紅葉は声をかけた。


 「大丈夫・・・僕がついてる。安心して。」

 「・・・・・勝手な事ばかりしてすまない。君の力を貸して欲しい。」

 「わかっている。・・・願う必要はない。・・・頼まれなくても、僕は君を助ける。」


 紅葉はそう言って吐息交じりに笑った。

 光弘は暗い表情で紅葉に頭を下げると、水穂の身体を仰向けにし、彼女と自分の額を重ねた。


 『いやせ』


 光弘が言葉を紡ぐと同時に、2人を淡い光が包み込む。


 たちまち、水穂の顔に赤みがさし、呼吸も穏やかに戻っていく。

 水穂の魂の治癒を終えると、光弘は苦悶の表情で倒れ込んだ。

 肩で息をし、喉の奥で喘ぎながら耐えがたい激痛を必死でこらえている。


 紅葉は、光弘を抱き上げると舌を噛んでしまわないよう、すかさず口の中に指を入れた。


 『閉じろ』


 痛みで我を失っている光弘が紅葉の白く細い指に思い切り歯を立てる。


 紅葉はわずかに眉間をひそめたが、滞ることなく結界で時間と空間を閉じた。

 そのまま、鎖骨の祝印へ強く口づけ、光弘の中で暴れ魂を傷つけている術を、無防備にした自らの中に全て移していく。


 意識が飛びそうな激痛に耐えながら術を移し終えると、紅葉は光弘から唇を離し自らの能力を全て戻した。


 紅葉の身体の中を食い破っていた術が黒い炎に焼かれ、一瞬で霧散する。

 紅葉は哀しい瞳で光弘を見つめ、光弘の額に自らの額をそっと重ねた。


 『やせ』


 光弘は自分を危険にさらすことより、できることをやらずに見過ごすことにより苦しんでしまう質だ。

 だから、紅葉は光弘を止めることができない。

 光弘が傷つかないよう・・・自分が彼を失わないよう・・・守ってやる事しかできないのだ。


 吸い付くようにして魂の力を受け入れ始めた光弘に、紅葉は少し安心し、染み渡るような喜びを感じていた。


 光弘の姿を持つ以前の彼は、自分の助けを受け入れてはくれなかった。

 転生を繰り返したことで、何かが変わっているのだろうか。


 とにかく今は、生きることに執着してくれていることが重要だ。


 光弘が望むなら・・・全てを吸い尽くされてしまってもかまわない。

 彼が存在しない世界など二度と見たくはなかった。

 もう、そこに独り残されるのはごめんだ。


 光弘の魂が完全に癒されても、紅葉は額を離せずにいた。


 紅葉は光弘に触れるのが好きだった。

 けれど、過去に負い目を感じている彼にとって、光弘に触れることは許しがたい罪に思えて仕方がないのだ。


 痛みと、虚脱感に襲われている今ならば、それを理由に触れることが許される気がして、紅葉はそのまま目を閉じた。


 『紅葉』


 光弘に隠し名で呼ばれ、紅葉はゆっくりと目を開き、ごく間近にある彼の瞳に目を向けた。


 「すまない。・・・大丈夫か。」

 「君は・・・無茶をしすぎだ。」

 「・・・・・・ごめん。」

 「謝らないで。・・・怒っているわけじゃない・・・・・。僕はただ・・・君を失くしたくないだけ。」


 紅葉は、目を伏せそっと額を外すと、身体を伸ばした。


 「まゆは持っている?水穂を納めて、僕たちも行こう。」

 「・・・・・?どこへ?」

 「彼呼迷軌ひとめき。恐らく、みんなそこにいる。」


 

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