第124話 蒼の苦悩

 「黒・・・・君は・・・・」

 「・・・・。」


 蒼は思わず深いところまで話に触れようとしたが、自分を見つめる黒の瞳が酷くそれを咎めていることに気づき、口を閉じた。


 他の者に関心を持つことがほとんどないのに、一度深みにはまるとお節介が過ぎてしまう節があることを、蒼は自身が理解していた。


 余計なお世話ってやつか。


 蒼は首を傾けうなじをなでながら、場を仕切り直すように話題を変えた。


 「黒・・・ショクは、ボクの獲物だ。あいつには手を出すなよ。」

 「だったら奴に紐でもつけておけ。僕はあれが、あの人に触れるのを許さない。近づけば迷わず、殺す。」

 「わかったよ。紐ね・・・考えておく。」


 軽口をたたくように言いながら、蒼は向かいのイスへ腰かけ、大きく1つ息をついた。

 

 「ボクも・・・・君のように、完璧に海神を守れたらよかったな。ボクは守り切れなかった。・・・・今でも、彼のそばを離れたことを、心の底から後悔しているんだ。君には理解できないかもしれないけどね・・・・・。」


 あえて大した事でもない口ぶりで話しながら、蒼は自分の傷口を深くえぐっていた。

 この話は、彼が誰にも口にできずにため込み続けてきた心のおりだった。


 2年前。

 蒼が海の神殿を離れた一瞬の隙をつき、ショクが海神をとらえ、なぶり、ひどい心の傷を負わせた。

 海神の気持ちに蒼が配慮したため、その出来事の詳細を知る者は当人たち以外いない。

 だが代償として蒼は、海神を守り切る事が出来なかった事実を誰かに吐き出すことも、贖罪しょくざいをすることもできなくなったのだ。


 海神の傷を癒すことに心血をそそぎ、彼を慈しみながら、蒼は自分の心にできた深すぎる傷を癒そうとはしなかった。


 強大な力を持ちながらも、唯一無二の愛する者ですら守ることができなかったその事実は、誰に知られることもないまま、蒼の心に深い傷を作り彼をさいなみ続けてきた。


 それが今、黒という同胞ともいえる存在を前に、蒼は意図せず口が滑らかになってしまっていた。


 「しゃべり過ぎだな。・・・・・今の話は無しだ。忘れろよ。」


 蒼がやってしまった・・・という表情で自分の額を拳でコンコンと軽くこづいた。


 その様子を少し目を細め眺めると、黒はイスへもたれ、頭の後ろでゆったりと腕を組んだ。


 気だるげに退屈そうに見えるそのしぐさのまま、ゆっくりと目を閉じ、黒は形の良い艶やかな唇を少しためらいがちに開いた。


 「いや。・・・・・わかるよ。」


 彼の口から洩れる切なく濡れた響きに、蒼は思わずドキリとした。


 慌てて顔をみたが、黒はすでに腕をほどき、前髪をかき上げるように額に手を当て、顔を伏せてしまっていて、長いまつ毛が頬に落とす影がわずかに見えるばかりだ。


 次に顔を上げた時には、黒は何事もなかったかのように、少し人を食ったような可愛げのない表情で蒼を見つめてきた。

 不敵な笑みを浮かべ、投げるように言葉をぶつけてくる。


 「それにしても、蒼。・・・・お前は、なかなかに残忍な真似をするんだな。」

 「なんのことだ?」

 「とぼける必要はない。真美のことだ。」


 その名を出され、蒼は噴き出すように笑った。


 「なんだ・・・そいつのことか。とぼけているわけじゃない。忘れてたんだ。君、良く覚えているなぁ。名前まで・・・・すごいな。」

 「僕は記憶力には困っていない。お前、わざと真美を家に置いてきただろう。彼女にはショクの呪印が、ついたままだった。」


 黒が面白そうに笑みを見せると、蒼も明るく微笑み返した。


 「ばれてたのか。・・・・特に理由はないよ。ボクの守りたい者の中に、あれが入っていなかった・・・ただそれだけのことさ。届けてやっただけマシだろう。あれを届けている間、ボクは海神から離れるしかなかった。・・・・死ぬほど辛かったし、不安だったんだ。」


 蒼がつまらなそうに吐き出すのを、黒は先を促すような目でみつめた。

 椅子に浅く座り直し、手を前で組むと生き生きと目を輝かせ蒼を覗き込んでくる。


 「それに、ボクはきれい好きなんだ。あんなに汚れ切った心の持ち主を、いつまでも懐にいれておいたら、身体がかゆくなっちゃうだろ。」


 黒は、ますます面白いとでもいうように、口の端を少しあげ、美しい顔を少し傾けてくる。


 「妖鬼としては異端だから、生まれたばかりのころはそのせいで、よく命を狙われた。おかげで獲物に不自由することなく、一気に妖力を上げることができたんだけどね。・・・って、・・・・・君、聞くのうまいなぁ。余計なことまで、思わずしゃべってしまいそうになるよ。」


 思いがけず再び話し過ぎてしまったことに驚き、蒼が感嘆の声をあげた。

 その言葉を聞いた途端、黒はほんの一瞬、傷ついたように瞳を揺らし、瞳を伏せ不機嫌そうにつぶやいた。


 「僕じゃない。」

 「ん?」

 「お前が、話好きなだけだろう。」


 蒼は黒の仕草に興味を覚えながら、遠い過去の記憶をぼんやりと思い出していた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る