第114話 海神と蒼 2

 「あっぶねー!都古、良く間に合ったな。」


 ゆっくりと水の球を手に乗せ、小さく息をついた都古みやこの元へしょうが駆け寄った。


 「命逢みおの水は癒しの効果もある。いつでも使えるように準備はしておいたんだが・・・・。」


 都古は眉間に皺をよせ、水球の中に浮かぶ水穂の魂を見つめた。

 砕け散りはしなかったが、ヒビだらけになった魂はところどころ欠け落ち、悲鳴を上げているようだった。


 さきほどまで浮かんでいた水穂の霊は顕現する力を失い、跡形もなく消えうせてしまっている。


 「このままじゃ、まずいな。」

 『お願い。なんでもするから、水穂を助けて。』


 俺がつぶやくと、音楽室の少女がすぐ横に姿を現し、必死の形相で頼み込んできた。

 そう言われても、残念なことに俺にその力はない。

 身体の小さな傷を癒すような術は徐々に使えるようになってはいたが、魂の治癒となると話は別だ。


 俺の知る中でそんなことが可能なのは、たった一人、俺の大切な友人である光弘だけ・・・。

 しかもそれは、命の危険を伴う行為なんだ。

 頼む気にはなれない。

 光弘を失いたくはないのだ。 


 ようやく普通に動けるようになったバスと自動車が、無人の乗用車をよけながらゆっくりと通り過ぎていく中、腕を組んで考え込んでいると、光弘が俺の肩に手を置いてきた。

 俺はビクリと身体を震わせた。

 俺の目をまっすぐ見つめてくる光弘に向かい、大きく首を横に振る。


 「絶対だめだ。させないからな。」


 俺の言葉に、光弘が口を開く。

 ゆいのものと思われる、いつもよりかなり大きな結界が張られていた。


 「頼む。このままじゃ、彼女は死んでしまう。」

 「たとえそうだとしても、俺はお前を止める。お前を失ったら意味がないんだ!」


 俺は珍しく声を大きくした。

 どこかで、光弘を止めることができないのが分かっている自分がいて、いら立ちが抑えきれない。


 勝と都古も、表情を険しくしてうなずいている。


 「ありがとう・・・・・。だけど、これはきっと俺に託された依頼なんだ。今回の依頼を受けてから、俺はずっと考えてた。・・・なんで急に、こんなにも難しい依頼が俺たちに告げられたのかって・・・・・。」


 俺は息をのんだ。

 俺もずっと同じことがひっかかっていて、結局答えを見いだせずにいたことだからだ。


 「ようやくわかった。魂の治癒・・・・・今回の依頼にはそれがかかわる可能性があったんだ。だから、俺たちへ・・・・俺へ依頼が告げられた。・・・・これは彼呼迷軌が、俺に依頼した仕事だったんだ。」


 俺は奥歯を噛みしめた。

 なぜ、彼呼迷軌はこんなに残酷な依頼を告げてきたりした。

 そもそも俺たちは、執護の卵なのにこんな命がけの依頼を託してくるなんて、どういうつもりなんだ。


 俺がなにも言葉にできずにいると、海神が光弘に声をかけた。


 「光弘。お前、命が惜しくはないのか。私は2年前お前が魂の治癒をする場に居合わせた。そこの癒が何かしら力を貸したから助かったようなものの、その術は人の身で耐えうることのできる術ではない。」


 海神の言葉に、光弘はなぜか黒衣の青年へと視線を向けた。


 「確かに、俺1人じゃ無理だ・・・・・今は、彼がいる。」


 そう言うと、光弘は刻印のある胸元を少しはだけさせ、二年前のあの時と同じように、音楽室の少女へ声をかけた。


 『おいで。』


 光弘が言葉を紡いだ途端、その甘やかな声音に誘われた少女は、光弘の首筋に刻印された鎖骨の印へ触れる。


 「辛いよ。それでも本当に君は・・・・。」


 光弘が最後まで言い終わるのを待たず、少女はハッキリ頷いて返した。

 光弘は少女の目を見つめ返し「わかった。」と短くこたえると、言葉を紡いだ。


 『祝印しゅくいん。納めよ。』


 刻印から光が漏れ始め、2人を繋ぎ包み込んでいく。

 光弘は静かに目を閉じた。


 しばらくすると、光弘の表情がわずかに歪み、その場に崩れるように地面に片手をついた。

 力を預け、虚ろになりかけている少女の霊をもう片方の腕にしっかり抱き止めている。


 「この人をお願いします。」


 光弘の言葉を受け、海神に寄り添って立っていた青い衣の青年が、すかさず少女を受け取った。

 光弘はホッとした表情を浮かべると「行ってくる」と言って、姿を消した。

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