第113話 海神と蒼

 そこには着物に似た漆黒の衣を身に着けた、青年が立っていた。


 雪を思わせる透明な白い肌に、恐ろしいまでに端正な顔立ち、細く長いしなやかな手足。

 無造作に一つに結わわれた髪が、風もないのになびいている。

 姿勢よくたたずむスラリとしたその姿は、まるで絵の中から抜け出てきたように現実味がなく、あまりの美しさに鳥肌が立った。


 黒衣の青年は、車の前に倒れ込んでいる真美を冷たく見下ろすと、腕組みしたまま、高慢に見えるような仕草で少しだけクイっと顎を上げた。


 真美は見えない何かに掴み上げられたように、歩道まで浮き上がり、乱雑にドサリと降ろされる。


 黒衣の青年はいまだにタイヤを空回りさせている車に、冷ややかな視線を送った。

 よくみれば、この車には運転手も含め、ただの1人も人が乗っていない。

 その事実に驚愕し、息をのんでいると青年が口を開いた。


 「引きずり出されたくなければ出てこい。・・・・・ショク。」


 甘やかに柔らかく響くその声がやむのと同時に、車はピタリと動きを止めた。

 突然俺の真後ろから声が聞こえる。


 「うそだろ・・・・?あんた・・・黒か?夢みたいだ。まさかあんたに会えるなんて!しかもそんなに情熱的な目で、僕を見てくれるなんてさー!!」


 驚いて振り向くと、そこには興奮で息を荒くしている綺麗な顔の青年がいた。

 心底嬉しいというようにはしゃいでいるが、目はギラギラと冷たく光り、全く笑っていない。


 黒と呼ばれた青年は、不快でたまらないとでもいうように眉間に皺をよせ視線をそらした。

 そのまま半眼になり、胸の前で印を組むと、何事か唱え始めた。


 「ちょ、ちょっと待ってよ。つれないじゃないか。やっと会えたっていうのに、いきなり僕を魂ごと消滅させようとするなんてさぁ!おい!聞いてるのか!そんなことしたら、後悔するぞ!」

 「黙れ。耳が汚れる。」


 黒衣の青年は再び、ドキリとするような甘く響く声でそう言ったが、何かに気づいたように印を解いた。

 すると、彼の前の空気が揺らぎ、そこに2人の青年の姿が現れた。


 黒髪の青い衣をまとい、青い組紐でつややかな黒髪を束ねた綺麗な顔をした見覚えのない青年と・・・もう一人。

 白い衣を着装正しく着こなし、やや冷たい印象を受けるくらい真面目な雰囲気を漂わせた、美しい青年・・・・・。

 海神だ。


 「海神!」


 俺たちが呼び掛けると、海神は目を細めうすく微笑んだ。


 「久しいな。」

 「うん!元気そうでよかった。」


 祭の日以来、直接会う事がなかった海神に久々に直接会えたことで、俺たちは思わず笑顔になる。

 それを見つめていたショクは、目を細め満面の笑みを浮かべると舌なめずりをした。


 「会いたかったよ。海神。」


 その声に海神は傷ついた表情かおで目を伏せた。

 傍らに寄り添う青い衣の青年が海神をかばうように半歩前に出ると、ゾッとするような冷たい視線でショクを見据える。


 「こっわー。みんな酷いなぁ。僕一人をよってたかってさ。」


 ショクは青白い両手を目の前にかざし、大げさに振りながら周りを見回した。


 「せっかくの再会だ。本当はもうちょっと積る話をしていたいところなんだけど・・・・・。さすがに、分が悪いよねー。」


 ショクの足元を黒い円が囲い、赤黒い霧が彼を包み始めた。

 黒衣の青年が再び印を組むと、ショクは目の前に淡い光を放つ宝玉をかざした。


 「やめた方がいい。これ、水穂の魂を取り出して石にしたやつなんだ。これに僕が力を注ぎ込むことで、彼女は僕の力の一部を使うことができたってわけ。それが壊れれちゃえば彼女がどうなるか・・・・分かるよね。」


 ショクは心底楽しそうにそう言うと、ゆっくりと霧の中に姿を沈め始めた。


 「そんなに焦らなくても、またすぐ会いにくるよ。再会のお祝いだ。こいつは返しておこう。まぁ、僕の手を離れれば守る者がなくなるから、すぐに砕けちゃうと思うけどね。それじゃ、バイバーイ。」


 ショクは手にしていた水穂の魂の石を放り投げると霧の中に姿を消した。 

 石は表面に無数のヒビを作りながら、放物線を描き落ち始める。


 『囲え!』


 都古みやこの切迫した声が響き渡る。

 今まさに砕けそうになっている魂を、都古の術が水の球の中へと包み込んだ。

 都古の手には、あの夏まつりの日にみずはから贈られた竹の水筒が蓋を開け、握られていた。

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