第110話 真美の真実

 2年前。

 少女の亡くなったその日は、真美のピアノの稽古日だった。

 

 新しく手に入れた化粧品で顔をいじくりまわすのに夢中だった真美は、時間ギリギリまでそうしていたために自転車では稽古に間に合わなくなり、母親に車出しを頼んだ。

 神経質なピアノの先生に小言を言われるのがいやな真美は、母親をせかした。


 運転にあまり自信のない真美の母親は、平時であればそんなにスピードを出したりしない慎重なタイプなのだが、この日は化粧をしていたせいで遅刻をしそうになった、高慢な態度の娘にとてもイライラしていた。


 「最悪。バスじゃん。これじゃ間に合わなくなるし・・・・・。ママ。さっさと今のうちに抜いちゃってよ。向こうの車止まってるし・・・。早くー!」


 真美に急かされるままに、母親は止まっていたバスをすれすれのところで勢いよく追い抜いた。


 注意深く見ればわかることだった・・・。

 バスの前にある横断歩道、その手前で停車している対向車。

 渡り始めた者がいたから、その車は止まっていたのだと・・・・。


 だが、遅すぎた。

 バスの影から左右を確認するために少女が出した頭を、車のバックミラーが勢いよく弾き飛ばした。


 母親は急ブレーキを踏んだが、それはぶつかった後のことだった。

 地面に叩きつけられた少女は、身体を揺らしながら、ゆっくりと顔を上げた。

 その顔を見た真美は、それが自分の友人だと知り驚愕してその名を叫んだ。


 「お母さん!車出して!早く!私が乗っている事がばれたらどうしてくれんの!」


 怖くなった真美は、血の気を失い震えている母を、怒りのままに怒鳴りつけた。

 パニックに陥っている母親は、車を急発進させ、その場を走り去った。


 ひき逃げの容疑で逮捕された母親は、助手席に娘の真美が乗っていた事実を隠した。

 真美もこの事実を誰にも伝えたりはしなかった・・・・。



 俺たちは言葉を失った。

 少女の霊を見ると、彼女の虚ろな目に少しの光が宿っていた。

 彼女は涙を流し、つぶやくように言葉を口にした。


 『聞こえてたよ。真美が私の名を呼ぶ声も・・・自分が乗っているのがバレるから、車を出せと言ったのも・・・・・。』


 そう話す彼女の顔は、怒りではなく悲しみに満ちていた。


 「なぁ、お前、何に怒ってるんだよ?真美の事殺すったってさ、お前真美に怒ってる感じしねーし。」

 『それは、あいつが・・・・・』


 勝の問いかけに、少女の霊は怒りを宿した瞳で口を開いた。

 その時。


 音楽室のドアが勢いよく開き、赤黒い霧をまとったネズミのような動物が飛び出して、少女の霊に襲い掛かかった。


 『捕らえろ!』


 勝がとっさに闇色の術でそいつを縛りあげた。


 癒がネズミの出てきた先を睨みつける。

 バシ!っと何かが弾ける大きな音がした。

 目をやると、ひずみのある音楽室の出入り口の床にそれは姿を現していた。


 床に空いた黒い切り込みのような場所から、1本の腕が伸びていた。

 先ほどの音は、癒の力でその腕が爆ぜたものだったのだ。

 腕についていたものと思われる肉片が辺りに飛び散り、シューシュー音を立てながら蒸発していく。

 骨だけになった手が蠢き、赤黒い炎をまとってそこにあるひずみへと手を伸ばした。


 「しまった!」


 俺が叫んだ時にはもう遅かった。

 禍々しさを放つその手は、ひずみを掴み、そのまま一瞬で暗い裂け目に消えていった。

 同時に少女の霊が音楽室を飛び出して行く。


 「やられたな。」


 都古が、ため息とともに吐き出すように言った。


 「さっきのは一体なんなんだよ。」

 「わからない。でも・・・良いものではないと思う。」


 勝の問いに対する答えを俺は持っていなかった。

 その時、俺たちの後ろで真美の声が聞こえた。


 「いい加減私を離せ!化け物!!」


 真美が放った言葉に、光弘は傷ついた顔をして術を解いた。

 真美は一度も振り替えることなく、一目散に音楽室を出て行った。


 光弘は悲しい表情をすぐに消し、鋭い瞳で言った。


 「2人を追おう。このままじゃまずいことになる。」

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