第31話 光弘と楓乃子>5年前

  5年前のあの日。


 初めて触れた呪印じゅいん禍々まがまがしい力と、自分のしてしまったことの持つ意味の重さに、俺は誰もいない夕暮れ時の公園で、ベンチに腰掛け震えて泣いていた。


「みーくん・・・・。」


 制服姿のまま、慌てて俺を探しにきたであろう8つ年の離れた姉の楓乃子かのこは、何も言わずそっと寄り添うように隣に腰をかけた。


「姉さん。僕・・・・・。」


何を話してよいかわからず言葉に詰まる俺の頭に、姉さんは優しく触れた。


「みーくん。何があった?」


 俺は先ほどの出来事を涙で息を詰まらせながら、ポツリポツリと話し始めた。


 公園で、制服姿の数人の青年が花火を持って猫を追い回していたこと。

 茂みに隠されていた、猫の子供たちが彼らに見つかってしまったこと。

 猫たちの声にならない悲鳴が伝わってきたこと。


 真剣な表情で黙って話を聞いてくれる姉さんに、俺は少しためらいながらも話を続ける。


 猫たちを助けたいと思った俺に、草むらの中から1匹のバッタが呼び掛けてきたこと。

 お願いすると、そのバッタが信じられないほどの力で青年たちを転ばせ、不気味な音を出して彼らを追い払ってくれたこと。

 そこまで話し、俺は思わず黙ってしまった。


 「大丈夫。私はみーくんの味方だ。」


 姉さんの真剣な眼差しと言葉に背中を押され、俺は話す覚悟を決めた。


 「バッタがね、僕がお願いする時に約束をしてきたんだ。願いを叶えるから歌をきかせてって。だから僕、約束どおり歌を歌ったんだ。バッタは凄く喜んで・・・それから・・・・・消えちゃった・・・・・。僕が歌ったせいで。僕がバッタを消しちゃったんだ。」


 俺の話を聞いた姉さんは、しばらく考え込んでいるようだった。

 まだ残暑が厳しいとはいえ、9月の日の暮れは早く、夜が瞬く間に辺りを包み込みはじめる。

 草むらから、虫たちのにぎやかな歌声が響き始めた。


 「姉さん?」


 それまでに見たことのない、険しい表情を見せる姉さんに、俺は不安を覚え声をかけた。

 姉さんは、ハッとして俺を見つめると、微笑んで頭をくしゃくしゃに撫でてきた。


 「ごめん。ちょっと考えてた。・・・・・みーくん、バッタにお願いした時や歌を歌ってあげた時、ここ、熱くならなかったかい?」


 姉さんはそう言って、自分の鎖骨辺りを指さした。


 「どうして?なんでわかるの?」


 俺は何度もうなずきながら、驚いて姉さんに詰め寄った。

 姉さんはシャツのえりをずらすと、右の肩のあたりを見せてきた。

 そこに、俺とよく似た印が刻まれているのを見つけ、俺は言葉を失った。


 「私も、同じだからさ。」


 そう言って、姉さんは少し寂しそうに笑った。


 「たぶん、今日起きたことはこの印が原因なんだろうね。みーくんが生まれた時から、この印はすでに君と共にあったのだよ。こいつはやっかいなことに、みーくんと私以外の人たちの目には映らないんだ。映らないから、信じてもらえなくてウソをついていると思われてしまうことも多い。苦しいかもしれないけど、このことは私とみーくんだけの秘密にしておかないか?」


 姉さんの言葉にうなずきながら、俺は哀しかった。

 俺が生まれた時、俺の身体に同じ印を見つけたこの姉は、何を思ったのだろう。

 さきほどの苦い表情を見れば、姉がこの印を歓迎していないことがわかる。

 今日までどんな気持ちで俺と過ごしてくれていたのだろう。

 俺には今こうして姉さんがいてくれた。

 だけど、姉さんは?

 今日までどうしていたんだろう。


 「私にはみーくんがいて、みーくんには私がいるんだ。私は幸せ者だ。」


 そう言って本当に嬉しそうに笑顔を見せる姉の姿に、俺はたまらない気持ちになり声を上げて泣き出した。


 「困ったな。泣かせたいわけじゃないんだ。」


 姉さんは慌てた表情で俺の頭をなで、きつく身体を抱きしめてくれた。

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