10話 「極悪」

 そのブティックは、高級感にあふれていた。

 店内にはピシっとスーツを着た店員が闊歩し、来店している客まで身だしなみが洗練されていた。

 そんな豪奢な店内で、高価そうなスーツを仕立ててもらっている、ひとりの大男がいた。

 おしゃれな店には不釣り合いな大男の威圧感に、店員の誰もがおののいていた。

 大男は店員の怯える表情を眺めながら、満足げにしていた。

「仕上げは今すぐやれ、いいな。そのための料金は払ってやる」

 身長が二メートルを超えるような大男が、チラリと懐から大金を見せてくる。

「了解しました!」

 慌てた店員たちが、バタバタと店内を走り回る。

 大男は威圧感があるものの、金払いのいい上客のようだった。

 大金を目にして、店内がざわついたように盛り上がる。


「ありがとうございました~!」

 大男は、店員たちの直角に近いお辞儀を背に受けて、堂々と店を出てくる。

「ククク。……もっと勝利を知りたい」

 そんなことをつぶやく大男。

 さっそく新調したスーツを着込んで、大男は街を歩きだす。

「潮の香りが、ムカつく過去を思いださせるな……」

 海の方向から漂ってくる潮の香りを身体に浴びて、大男は人通りの多い道を歩いている。

「忌々しい街だ……。だが……」


 大男は、その場に立ち止まると、眼下に広がるカイ内海をじっと見つめる。

 カイ内海では、連日フォールの艦隊が軍事訓練をしていた。

 それを見物するキタカイの市民たちが、山のように岸壁に殺到していた。

 露天商まで現れて、戦争特需が生まれているかのようなにぎやかさだった。

「これからは違う。そう、それを実践していくんだよ。新しい俺の物語のはじまりだ! つまらん過去なんて、すべて忘れてしまえ……」

 海から目を逸らすと、大男は強く自分にいいきかせる。

 そして、懐から一粒の錠剤を取りだす。


 それを水もなしで飲みこむ。

 ややあって、頭にガツンとした刺激が突き抜ける。

 と同時に、覚醒したように視界が開けるような感覚を得る。

 眉毛のない人相のヤバい顔が、さらに凶悪になる大男。

 大男はショーウィンドウに映った自分の顔を見る。

「おい、誰だお前は? 本当に俺か? フハハ……」

 往来の人目を気にすることもなく、大男は笑う。

 ガラスに向かって笑う大男を、街の人々が気持ち悪そうにして離れていく。


 そこに子供が走ってくる。

 子供は手にジュースを持っていた。

 その子供が、大男の近くで転ぶ。

 おろしたてのスーツの裾に、ジュースがかかる。

 母親が、その光景を見て慌ててやってくる。

「も、申し訳ありません!」

 大男の厳つい顔を見て、怯える母親。

「ほらっ! あんたも謝りなさい!」

 親が子供に怒鳴る。

 子供が地面に倒れたまま泣きだす。


 すると、大男が子供をすっと立たせる。

「まずお子さんを、心配したほうがいいのでは?」

 大男は怖い顔のまま、そんなことをいう。

「ス、スーツ代は弁償しますので……」

 母親は怯えてそういってくる。

 大男の身体の大きさに、おののく母親。

「なあに、それにはおよびませんよ。子供は元気なほうがいい、あまり叱りつけないように」

 強面の大男は、こんなことをいって泣いている子供の頭をなでる。

 デカい手の平が子供の小さな頭をすっぽり覆い、ワシャワシャと髪をなで回す。


 謝りまくる親子と別れた大男が、次の路地を曲がろうとした時だった。

 目の前に、いきなり男がふたり飛びだしてくる。

「わっ! すまない!」

 すぐに謝罪が飛んでくる。

 が、イラっとする大男。

「急いでいたんだ! ほんと申し訳ない!」

 ふたりいる男のうち、長身の男が振り返り謝罪をする。

 そして焦ったように、中心街に向かって走っていく。

 長身の男は、もう一人の中年の男と一緒に逃げているようで、額に汗をにじませ全力疾走していた。


 走り去る男ふたり組を見ながら、少し湧き上がった殺気を押さえつけ立ち止まっていると、そこにさらに数人のエンドール兵がやってくる。

 今さっき逃げたふたり組を、追っているような感じだった。

「どっちへ行った!」

 隊長格らしい、厳ついふたりの軍人が大男に尋ねてくる。

 グラサンがずり落ちていたのを直す、ふたりの軍人。

 その後ろには、ふたりの部下らしき数人のエンドール軍人の姿があった。


「男がふたり、走ってきただろう! どっちだ教えろ!」

 ぶしつけな命令口調に内心イラついた大男だが、無言でふたり組が走っていった方角を指さす。

「よし! 追うぞ!」

 ともにグラサンを掛けた厳ついふたりの隊長が、部下を引き連れ追走を開始する。

「エンドール兵が、あそこまでしゃかりきになっているのは珍しいな。住民感情に配慮している、という話しだったはずなのに話しが違うじゃないか」

 大男は土埃を巻き上げながら、追跡をしているエンドール兵たちを見てつぶやく。


「ああ、ワススさん、こんなところで奇遇ですね」

 背後からいきなり声をかけられて、ワススと呼ばれた大男が振り返る。

 そこには、自分の組織の仲間のフッカーとアラルがいた。

 仲間内で、カップルのようにいつも行動をともにする、男女のふたり組だった。

 まるで本物のカップルのように、ひとつの買い物かごの取っ手をそれぞれ分担して持っていた。


 声をかけてきたフッカーは、いつも白衣を着ている。

 医学を志している身らしかった。

 一方のアラルは常に、ぼやっとした「ド天然」の女性といった感じだった。

 しかし容姿が秀でているため、トロそうな印象をあまり与えない。

「あら、スーツが汚れていますわ。どうされたのですか?」

 アラルが清楚な声で、ワススに声をかけてくる。


 しかし、ワススは無言。

 微妙な間が生まれてしまう。


「……もしよろしければ、ご一緒に帰りますか? 今後の展開が少し見えてきたようですので、それをお話しいたしますよ。会ったら伝えて欲しいという、ロイさんからの言付けもあるんですよ」

 背の低いフッカーが、ワススに下からそういってくる。

 フッカーがロイの名を出したように、彼らはロイ・ロイステムスを中心にした組織の一員。

 つまりエンドール王国の、内務省に属する特殊部隊のメンバーなのだ。

 その任務は極秘扱いされ、その存在もほぼ隠密扱いになっていた。

 しかし、ロイという人物、生来の目立ちたがり屋らしく、幹部会にふらりと現れてはその存在をアピールしてくるのだ。


「いや、俺はもう少し外を散策する……」

 フッカーからの問いかけに、ワススは小さい声でそんな言葉をつぶやく。

 巨体からは想像もできないような、か細い声だった。

「そうですか、じゃあ無理はいえませんね。お夕食の際に、またお会いしましょう」

 フッカーが残念そうにそういって、ワススに一礼する。遅れてアラルも軽めの会釈をする。


 フッカーとアラルが、ワススと別れて別々の道を歩きだす。

「あの方は、どういった人なんでしょうか?」

 アラルが若干不安そうにフッカーに尋ねる。

 相当厳つい大男なので、アラルは少し引き気味だったのだ。

「っていうか、うっすら存在を記憶はしてるんですが、よく思いだせないの」

 アラルが困ったようにいう。

「ロイさんが、直々に連れてこられた武闘派のひとりですよ。無骨な感じですが、剣術が相当なものらしいですよ。あのみてくれ通り、大剣を振るう剣士としては超一流といってましたね。キルスクの流派の人らしいです。キルスクはご存じで?」

 フッカーがそう教え、質問してくる。

 アラルは少し考えると、「この前教えてもらったハーネロ戦役の時に、活躍した剣術流派でしたっけ?」と解答する。


 正解を引き当てたアラルだが、フッカーはここで考え込む。

「……でも、なんか今日は印象が違ったなぁ。初めて会った時は、もっと凶暴そうな人だったのにな。さっきの彼は、まるで別人のように紳士でしたよ」

「そうなんですか? でも乱暴そうな人よりも、紳士な態度の人のほうがいいですわ」

「ハハハ、違いないですね。最初彼を見たときは、なんかすごくヤバそうなのを、また連れてきたなって思ったほどですよ」

 遠ざかる、ワススの大きな背中をフッカーは見つめる。


「わたしたちの仲間って全員危ない感じの人ですよね? あの人に限らず……」

 アラルがそんなことをつぶやく。

「僕はいたって普通の人間ですので、ご安心を」

「わかっていますわ。そうじゃなければ、わたしご一緒しませんもの……」

 アラルがクスリと笑う。

 見つめ合うふたり、フッカーの顔が紅潮する。

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