第8章 『海を越えて』
1話 「帰路途中」
ミアリーは、ここ数日そわそわしていた。
「お嬢様、またこんなにも作られたのですか?」
執事のジェドルンが驚いている。
目の前には大量に作られた、甘い匂いを漂わせるお菓子が広げられていた。
「ええ、もう少しでヨーベルさんたちが、帰ってこられるでしょ? いろんなお菓子を、食べてもらいたくって。ほら、これなんか新しいものよ。昨日さっそくレシピを仕入れて作ってみたの。どうかしら?」
ミアリーがふんわりとした柔らかそうなケーキを、笑顔で手に取って見せてくる。
しかし、屋敷の使用人たちはミアリーのウキウキ気分に反して、困ったような顔をしている。
「お嬢様の、ここのところのお菓子作りブームは何なの?」
「この前来たお客さんたちに、ふるまうんだってさ」
「ああ、あの人たちね」
「劇団の人って話しだったわよね?」
使用人たちが困惑したように、コソコソと話している。
「いくらなんでも作りすぎよ。ここのところ毎日でしょ」
「味見役として食べさせられる、わたしたちのことも少しは考えてもらいたいわ」
ここ数日連続して、お菓子を食べさせられているせいで、使用人たちは少しふっくらしている。
「お嬢様、元気になられたのはいいんだけどね……」
「ハイテンションな気分の時のお嬢様も、少々面倒なのよね……」
キッチンでひとり張り切るミアリーは、オーブンからまた新しく作ったお菓子を取りだしてくる。
ミアリーの頬は紅潮し、リアンたち一行の帰りを楽しみにしていた。
ヨーベルは鏡を見て、新しく作ったメガネのチェックをしている。
場所はキタカイ郊外のレストランの、トイレの鏡前だった。
男どもの反応が見たいからといって、完成していたメガネはキタカイに到着するまで、アモスはお披露目を止めていた。
新しいメガネを掛けたヨーベルが、アモスの反応をうかがう。
「あら、似合うじゃない!」
アモスが本心でヨーベルを褒める。
「はい~。シルバーのフレームが大人な感じです。アモスちゃんありがとうございました」
「前のヤツは、どうしたの?」
「え~と、ここにありますよ」
新しく作ったメガネケースの中に、古いメガネが収納されている。
「貸してごらん」
アモスはヨーベルから、ケリーから奪ったメガネを手渡される。
手にした瞬間、アモスはそれをゴミ箱に捨てる。
「あれ?!」と驚いて、ヨーベルは目を丸くする。
「それ、返さなくてもいいんですか?」
「そんな細かいこという娘嫌いよ。ヨーベルはいちいち気にしなくていいの!」
ピシャリとアモスはいい、捨てたメガネをさらにゴミ箱の奥に突っ込む。
「ううう。アモスちゃんに嫌われたら怖そうです」
「そう、あたしは怖いからね。余計な詮索するような悪い子は、とんでもない罰がくわえられるわよ。ほら、新しいヨーベルをみんなに見せに行くわよ! 見習いの神官ふたりが、どんな反応するのか楽しみだわ」
アモスがヨーベルの手を引っ張る。
「おいっ! いつまで猿のことで湿気た顔してるのよ! 新しいヨーベルよ! これで元気を取り戻しな!」
アモスが席で待っていたリアンたちの前に、ヨーベルの手を引いて引っ張ってくる。
席にはリアンたちいつものメンツと、今回はパローンとネーティブのふたりがいる。
ふたりの神官見習いが色めき立ち、腰を椅子から浮かせてヨーベルを迎える。
「おお、いい感じですね!」
「よく似合いますよ!」
「なかなか似合ってるね。落ち着いた感じでいいと思うよ」
バークが、ヨーベルの新しいメガネを見て褒める。
「なんだよ、淡泊だな。そっちのふたりみたく、もっと情熱込めて褒めてやれよ。女褒められない男は、もてないわよ!」
アモスはバークを馬鹿にしたようにいう。
「リアンくんどうでしょうか? 似合いますか?」
ヨーベルが、ニコニコしているリアンに感想を求める。
「いいですね! ヨーベル、前のも似合ってたけど、今度のもいいね。フレームのセンスもいいなって、これ選んでいた時思っていたよ」
「そうですか~」と、ヨーベルがうれしそうに破顔する。
「できたらメガネ、もう数個買って、バリエーション増やしたらいいかもね。洋服とのバランスとか考えてみたりさ。ヨーベルならどんな服着ても似合いそうだしね、みなさんもそう思いますよね?」
リアンの提案に、「なるほどです」とヨーベルがうなずく。
「さすがリアンくん。たいしたものだわ」
「え?」と、アモスの言葉にリアンは驚いたようになる。
「自然に女性を褒めることとかできるんだな、リアンは」
バークがリアンのことを褒める。
「え? 僕そんなに特殊なことしました?」
リアンが困惑したように声を上げて、キョロキョロと辺りを見回す。
「いや、ほんと。きみの才能はたいしたもんだよ。女性を自然に褒められるというのは、才能のひとつだからね」
パローンが、リアンに向けて軽く拍手をする。
「え? なんのことなの?」
純朴なリアンは、意味がわからずに困惑している。
キタカイの中心街に到着したのは、その日の夕方だった。
同乗させてくれたパローンとネーティブとは、街の広場で別れた。
コーリオの花の件について、お礼を改めていってくれるふたりの神官見習い。
「そうだ、カンズリーンによるようなことがあれば、是非とも頼ってくれよ。力になれるようなことがあれば、ご助力させてもらうよ」
ネーティブが別れ際、こんなことをいってくれる。
リアンたちは、ふたりにはエンドールに帰るという旨を伝えていない。
が、ふたりのこの発言は心強かった。
カンズリーンは、未知の地マイルトロンの都市だ。
この地に立ちよった際に、ふたりの協力を取りつけることができたら、これほど頼りになることはない。
バークがふたりから、詳しい所在を教えてもらい、メモを取る。
バスカルの村に行く前に泊まっていた、「勝利の白黒うさぎ亭」というホテルに再びチェックインするリアンたち。
部屋の窓から、すっかり夜になった海が見える。
相変わらずフォールの海軍が、夜にもかかわらず艦隊運用の訓練をしていた。
「まだ海戦は起きてないのね、いつはじまるのよ! さっさとはじめなさいよね」
アモスが、窓に映るフォール艦隊に向かって悪態をつく。
「で、この次の予定は?」アモスが、荷物をまとめているバークに尋ねる。
「明日クレッグに報告に行くよ」
「結果はどう報告するわけさ?」
アモスが、バークに興味なさげに訊いてくる。
「彼は別に、あのふたりの神官見習いみたく、花を採取したいわけじゃないよ。花の確認を依頼していたんだ。自生していたって事実を知ったら、それできっとよろこぶだろうよ」
「それに」といってアートンが胸から手帳を取りだして、バスカルの村で採取した花の押し花を見せてくる。
「これもあるし、ヨーベルが仔猿からもらったっていう種まであるからな。これだけ持ち帰ればクレッグも大満足だろうよ」
「クレッグがどういうプランで、帰国の手段を考えてくれるのか、単純にそこにも期待だな」
アートンが、上着を脱ぎながらいってくる。
「ちょっと時間を要するかもしれないが、きっと悪くないようにしてくれるはずさ、あいつならね」
「じゃあ、もうしばらくこの街に滞在するんですね」
リアンがアートンに確認する。
「ああ、そうなるな。アモスが楽しみにしてる海戦が、観れるかどうかはわからないけどな」
「なんでよ! 海戦観ないっていうの?」
不満そうにアモスがいう。
「チルもちょうど、進退忙しい身だろう。こっちの予定に合わせてくれるのも、悪いだろうからな。彼が用意してくれたら、すぐにその計画に乗っかったほうがいいと思うよ」
「海戦が、はじまるまでは待ってられないよ、そこは妥協しておくれよ」
バークとアートンにいわれ、アモスは不愉快そうな表情になる。
そのアモスをなだめるリアン。
「そういえば、パローンとネーティブがカンズリーンによるようなことがあれば、声をかけてくれっていってたが、時間が作れるようなら、会っておくのも悪くないだろうな。彼らからも何かしら協力取りつけれたら、もっと旅が楽になりそうだ」
バークが、ここに来るまでに買った酒を飲みながらいう。
「そうだな、軍だけでなく、教会の支援まで受けれたら、さらに安全に帰れるからな」
アートンもバークから炭酸飲料をもらい、それを一口飲む。
「あのふたりの見習いがいうには、マイルトロンの街って、かなりオールズ教会が信者を増やしているんですって?」
アモスが、窓の外の艦隊を見ながら訊いてくる。
「ああ、みたいだな。死んじまったネーブ主教は評判こそ悪いが、布教に関して一番貢献したからな」
「まあ、金の力は偉大ってことなんでしょうね」
アモスが不快そうに、そうつぶやく。
「教会からも保護を受けながら帰れるんだとしたら、危険とされているマイルトロンの横断もきっと安全だぜ」
バークがうれしそうな声でいう。
「でも、オールズの力を借りるなんて、なんか嫌だわ!」
アモスが、眉間に皺をよせてキッパリという。
「お前はそういうが、リアンやヨーベルもいるんだぜ」
やれやれといった感じで、バークがため息をつく。
「そうだ、そんなに嫌ならお前ひとりで帰ればいいだろ」
アートンの言葉にアモスの表情が曇る。
同時に部屋の空気が、一気に緊張したように張り詰める。
「ほう! 久しぶりにそういう言動してくる? やりあおうってなら、受けて立つわよ」
アモスの好戦的な言葉に、アートンが困惑する。
隣にいたバークが、アートンを軽く諫めている。
「どうしたの? もっと聞かせてよ、あんたの口撃。従順すぎると、あたしも退屈だからね」
「まあまあ」と、リアンがアモスをなだめる。
「そうだ、あのお嬢様にまた会いに行くのもいいですよね」
アモスを椅子に座らせながら、リアンが思いだしていう。
「クレシェド市長の娘さんかい?」
バークが訊いてくる。
「ミアリーちゃんですね。そういえば、また会いにきて欲しいっていってましたね~」
ヨーベルも思いだし、ニコニコしながらリアンの頬を突いてくる。
「ああ、あのちょっとネジの吹っ飛んだ娘ね」
「せっかくだから、明日会いに行ってきたらどうだ? こっちはアートンとふたりで、クレッグに報告に行ってくるよ」
そういうプランを、バークが提案してきた。
けっこういいと思ったアモスが、そのプランを採用した。
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