9話 「ヨーベルとストプトン」 前編

 ヨーベルが宿の窓から外を見ている。

「やっぱり、みなさんについていったほうが良かったかなぁ。すごく退屈です……」

 客室でひとり溜め息をつくヨーベルは、憂鬱そうだった。

 ベッドに大の字で伸びると、何もない天井を見つめる。

 すると、外の庭に気配がする。


「あっ! あの子!」

 何度か餌をあげた仔猿が、窓の外に来ていた。

 仔猿は可愛らしく、顔を洗うような仕草をしている。

「あの子、どうなるんだろう? やっぱり駆除されちゃうのかな?」

 ヨーベルは、不安そうに窓の外の仔猿を眺める。

「あれ?」

 外の仔猿が、手に何かを持っているのをヨーベルは見つける。

 その手に持つ何かが、一瞬キラリと光ったような気がした。

 ヨーベルが目をこらす。

 その何かを地面に置くと、仔猿はヨーベルに視線を向ける。

 まるで訴えかけるような、潤んだ目を向けてくる。


「あれは、なんだろう?」

 気になったヨーベルは、さっそく外に出てみる。

 その際に、人の気配がないかを調べる。

 また猿に会いに、森の近くに行こうとしてるのだ。

 宿の主人に見つかったら、困ると思ったのだ。

 優しそうな人物だが怒ると怖いと、ヨーベルは宿の主人をそう見ていたのだ。


 ヨーベルは森の猿が危険だという情報よりも、仔猿の置いた何かが気になって、それを確認したいという思いが先に立ってしまっていた。

 いつもの注意力散漫、視野狭窄の気が、また表に現れていたヨーベル。

 仔猿の姿はもうなく、さっきまで仔猿がいたそこには植物の種らしきモノが落ちていた。

「あれ? なんだろう? この綺麗な石じゃなくて、種?」

 ヨーベルが謎の種らしきモノを拾い上げて、しげしげと観察する。

 種の表面は、加工したように虹色に輝いていたのだ。

「種……? なのかな? あれ? これって……」

 虹色の種らしきモノを掲げて、ヨーベルは首をかしげる。

 どこかで見たような気がする。


 すると、森の向こうにまたさっきの仔猿がいるのを見つける。

 しかも、また手に同じ種らしきモノを持っている。

 それをまた地面に置く仔猿。

 キキッっと可愛い鳴き声を上げて、また森の中に入っていく仔猿。

「えっ? またくれるの?」

 ヨーベルが仔猿にむけて歩いていく。

 周囲を警戒することもせずに、ヨーベルは森の中へ侵入していく。

 森の中には猿の群れがいて、ヨーベルを爛々とした目つきで見ていた……。


 ふたつ目の種に手を伸ばした瞬間、後方で人の気配がするのにヨーベルは気づく。

「いけないっ! お嬢さん!」

 いきなり声をかけられて、ヨーベルはビックリする。

「ご、ごめんなさい!」

 反射的に慌てて謝るヨーベル。

「またひとりで、森の中に来ちゃいました」

 謝るヨーベルの元に、バンから出てきた黒いコートを着た男が走ってくる。


 その人物を見て、宿の主人じゃないことにヨーベルは安心する。

 宿の主人は、猿の話題になると目の奥が笑っていないのを、ヨーベルは感じていたのだ。

「わかっていたのなら、どうして」

 黒いロングコートを着たまだ若い男が、ヨーベルのそばに駆けよってきて尋ねる。

 猿が凶暴だということを知っているので、すかさず周囲に目を光らせる男。

「なんだか仔猿が、こんなのをくれたんです……。それでつい……」

 ヨーベルが、虹色の綺麗な種を男に見せる。

「ああ、これですか……」

 男は種を見て、合点がいったようにうなずく。

「何の種なのかは知らないですが、これは奴らの手口です」

 男が懐から銃を出して、周りをさらに警戒する。


 男が突然銃を出してきたので、ヨーベルは驚く。

「危ないところでしたね」

 男がヨーベルにそう話しかけてくる。

 森の中から、猿の群れが移動する音がする。

「あの~、手口?」

「ええ、興味を引くもので人を誘いだし、やってきたところを集団で襲うんですよ」

 男がそう話すとヨーベルは驚く。

 まさか猿たちによる悪意のある行為だとは、ヨーベルは思いもよらなかった。


「先日、それで村人がひとり重症を負いました。猿ごときに、ここまでやる必要はないだろうと思ってはいたのですが。どうもここの猿は、生きるためではなく、人を襲うことを娯楽のように感じだしているようでしてね。恐ろしく危険な連中ですよ」

 男がそんな物騒な話しを教えてくれる。

「今回の駆除は、やはり妥当な判断なのかもしれませんね。ここの猿を放置しておくのは、危険きわまりない」

「そ、そうなんですか……」

 男の言葉に怯えたように、ヨーベルは身を固くする。

 種を手にしたままの右手が、胸の懐中時計をいじる。


「ええ、お嬢さんも危なかったかもしれま……せ……」

 そこで男が、急に驚いたような顔になる。

「どうされました?」

 ヨーベルが男に話しかける。

「い、いや……、そのなんというか……」

 口ごもる男の正体は、ストプトンだった。

 ダノンのところ逃げでたストプトンは、すぐさま村から逃避しようと決意したのだ。

 貞操の危機を感じたのももちろんだが、やはりこのままパルテノの元に留まるのは、実害しかないだろうと判断したのだ。


 パルテノの人なりも、わずかな時間だが見ることもできた。

 あれは普段はおとなしいが、何か自分の気にくわないことがあると、豹変してしまうタイプの危険人物だというのがわかったのだ。

 会うまでは歴史に残るような宗教家かもしれないと、少しは思っていたが、どうもそういうのでもないようだった。

 身近にいるとやっかいな、危うい狂人という結論が自分の中で出たので、早々に見切りをつけさせてもらったのだ。


 そして黒いコートを僧衣の上にまとい、宿から抜け、村から逃げだそうとしたのだ。

 ストプトンは止まっていた聖堂騎士団のバンを奪うと、それを発進させた。

 彼の中ではオールズ教会から、完全に足を洗う決意を込めた逃走だった。

 次の行き先は、古巣のヨセイジャ司祭の元を想定していた。

 そんな時、偶然森の中に入ろうとする女性を見つけ、バンを降り、危険を伝えるために声をかけたのだ。

 ストプトンにしたら、まさか声をかけた女性が、以前会ったヨーベルなどとは思いもよらない偶然だった。


(何故だ! どうしてここに彼女が?!)


 メガネを掛け、髪を短く切り、一見別人かとも思ったが、その端正な顔立ちと、胸にある懐中時計をいじくる仕草でピンときたのだ。

 この女はあの時の女神官だ! と。


 ネーブ主教殺しは、教会関係者の可能性があるといっていた。


(パルテノと同じ場所にいるということは、まさかこの女、パルテノの手下か何かなのか? いや、待て! ここは落ち着け……)


 狼狽するストプトンは、心を静めようと大きく深呼吸する。

「あの……」と、ヨーベルが赤面しつつストプトンに声をかける。

「は、はい……」

「そんなに見つめられたら、わたし照れちゃいます……」

「あっ、これは失礼。お綺麗な人だったもので。つい……」

 そこまでいって、ストプトンがかぶりを振る。


(いやっ! そうじゃない! 何をいっている俺は!)


 ストプトンは心の中で、自分自身に喝を入れる。

 鉄仮面と呼ばれていたのが嘘のように、今はただ興奮したように狼狽するストプトンだった。



 ストプトンとヨーベルが、宿の外れでふたり話していた。

「では、あなたはエングラスへ向かう劇団員、ということなのですね」

 ストプトンが、納得いったような感じでそう尋ねる。

 ヨーベルの容姿を見る限り、劇団員の女優というのは信憑性の高い話しに思えた。

 本当は違うのだが、ヨーベルはいつもの嘘設定をその時は踏襲した。

 ストプトンは、疑うことなく信じてくれたようだった。


「はい、そうなんですよ~」

 ヨーベルが、不安そうな顔をしながら首肯する。

「キタカイから、どうしてまたこんな場所に?」

 ストプトンが単刀直入に訊いてくる。

 今のところ質問には、すべて答えてくれる目の前の女。

 ストプトンが覚えていた、ヨーベルという名前を使う彼女にいろいろ質問する。

 どうもヨーベルという女性は、目の前にいる男の正体に気がついていないように思えた。

 それ幸いと、ヨーベルに他の仲間、団員のことをストプトンは尋ねる。


「大事なお使いクエストに、今行っているのです。確実にこなしていくのが、冒険する上で大事だと思っています。壮大な物語も、こういう小さい案件がいくつも集まってできてるんです」

「お使いクエスト……ですか?」

「はい! しっかりこなさなきゃダメな、地味ですがとても大事なお仕事なのです!」

 ヨーベルは興奮したようにいう。

「探し物というのは、どういったものなのですか?」

 ストプトンがヨーベルにいろいろ尋ねる。

 ヨーベル本人もそうだが、その仲間も興味の対象のストプトン。

 ネーブ主教を、殺害した容疑がかかっているのだ、重要人物だ。


「あるものを探しに、アートンさんたちは出掛けちゃいました。でも、明日の朝には帰ってくるらしいです。その間わたしは、お留守番をしていまして……。でも、正直ついていけば良かったとちょっと後悔しています」

「えっと、アートン?」

「アートン・ロフェスさんですよ。最近知ったんですが、わたしの名前のローフェとよく似た名前をされているんですよね、彼」

 なんの警戒もせずに、ヨーベルは仲間のアートンのことを口にする。

「格好いい人なんですけど、時々おっちょこちょいなんです。大ポカをやらしちゃう所なんかは、わたしと似てるなぁなんて思っています」

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