19話 「ハサミと少女」

 水溜りにパシャリと靴が入る。

 スボンの裾が水で濡れてしまう。

「ああ、ヨーベル、ダメだよ」

 リアンが慌てて、ヨーベルの足元を指差す。

 不思議そうな顔をして、ヨーベルはリアンを見る。

「靴底薄くなったんだから、水溜りは避けて歩こうよ。せっかくのおろしたての靴も汚れるし、ほら、裾がビショビショだよ。もったいないですよぉ」

 リアンがヨーベルに、水溜りを避けるよういう。

「リアンくんは、相変わらず気の利く男の子です」

 ヨーベルがニコニコと笑いかける。


「ほんとリアンくんはマメな子ね。料理覚えたり、家事全般できるようになったら、専業主夫になれるかもね。ダメ人間ぽいと思って不安だったけど、そういう生き方目指すといいかもね」

 アモスがそんなことをいってきたので、リアンは少し顔が曇る。

「人間誰だって、得手不得手があるものよ。君は社会に出て、バリバリ働くようなタイプじゃないかもね。そういう生き方も、視野に入れておけば? そうすりゃ、あたしもリアンくんのこと、主夫に考えてあげるわよ」

 アモスがニヤニヤ笑いながらいってくる。


「今のままだと、リアンくんダメ人間まっしぐらですか~。わたしに比べると、けっこうしっかりしてると思いますけど~」

「比べる対象があんたじゃねぇ。あんたは生粋のダメ人間よ、そこは自覚してるんでしょ? ダメ人間なのも、完全に抱擁してくれる男でも見つけることね」

 アモスがヨーベルに、直球めいたことをいうが特にヨーベルは傷つくような感じはない。

「じゃあ、やっぱりわたしも、リアンくんキープしとこうかな。リアンくんとなら上手くやっていけそうです」

 勝手に進行する話しに、リアンは引きつった笑いを浮かべていた。

 でも、今までなんとなく流されて、漠然と生きてきたリアンにとって、この旅を通じで語られるいろいろな人生指南は、リアンにとって新鮮だった。


 いろいろな可能性を示され、しかも自分で選べるという自由さに、リアンはどこか希望に似た何かを見出してもいた。

 つらい経験をして、ここまで苦難の道を越えてきたが、この冒険で得るものは、リアンにとってとてもかけがいのないものに感じられた。

 最初は一緒するのも不安だったヨーベルとアモスも、徐々にだが普通に接することのできる女性になってきていた。

 特に凶暴性の塊だったアモスも、キタカイではその片鱗を潜めだしていた。

 凶器を取り上げたというのも大きいだろうし、リアンの勇気を出してお願いする説得にも、耳を傾けてくれるようにもなってくれていた。

 時々まだ気性の荒さが顔をのぞかせ、危なっかしい状態にもなるが、幾分マシになったのは実感していたリアン。


 さっきまでの買い物でも、サイギンの時のような「何かしでかすのでは?」という恐怖心からは、かなり解放されていたのだ。

 これで、あとはバークやアートンとの関係ももっと良好になればいいのになと、リアンは期待していた。

 そのためにも、明日以降のバスカルの村への小旅行のような、お使いイベントは、一行の絆を深めるいいきっかけになることを願っていた。

 まるでこれからの展望を示すように、天気はすっかり晴れ模様になって、リアンの気分も晴れ晴れとしてきていた。

 この人たちと、これからも一緒に冒険みたいなことができたらな、リアンはそんなことを思ってしまう。


「なんだか、この辺りは高級住宅街って感じね。一軒一軒の家がデカいわ」

 アモスが周囲を見渡してそういう。

 確かに豪邸が立ち並ぶ、住宅街っぽい場所だった。

 生け垣が敷地を覆い、色とりどりのハイカラなデザインの豪邸が立ち並んでいた。

 住宅街のすぐ側には、海に注ぐ河が流れており、各豪邸の船着き場の姿も見ることができた。

 船着き場には中型の船が停泊している。


「アモス、嫉妬したりしないでよ」

 リアンが不安になって、豪邸をにらんでいたアモスに先制する。

「あたしの気持ちを読むとは、なかなかやるわね、さすがよリアンくん」

 アモスの言葉にリアンは苦笑いする。

「じゃあ、ここはアモスの精神に良くないから、元の商店街方面に引き返そう。この先、ずっとこういう住宅地みたいだし」

 そういってリアンが引き返そうとする。

「そうですね~、嫉妬に狂ったアモスちゃんが点け火したら大変です」

「しねぇよ!」

 アモスがまた、ヨーベルにチョップをかます。


 リアンは振り返って、十字路を確認した。

 すると、右手側の大きな家の前で、ひとりの華奢な長い金髪の女性が見に飛び込んでくる。

 白いワンピースを着て、大きな帽子を被った、良家のいかにもなお嬢さまといった風貌の女性だった。

 その女性は植木鋏を手にして、植木の剪定をしていた。

 使用人がやるような仕事を、身なりのいい女性がやっていたので、やけに目立ったのだ。

 リアンはその女性のことを、アモスとヨーベルにも教えた。


「また美人を見つけたのねぇ。リアンくんは意外とそういう女運あるわね。あら、ほんとムカつくぐらいいい女ね」

 アモスが女性を見つけて忌々しそうにいう。

「うわぁ、細くて羨ましいです~」

 ヨーベルが指をくわえて、女性を眺める。

「お人形さんみたいですね……」

 リアンが女性の後ろ姿を見ながら、ポツリとつぶやく。

「なんかそのフレーズ好きね、君やっぱ華奢なタイプが好みなの?」

 アモスがリアンに悔しそうに尋ねる。

「せっかくだわ、顔も確認するわよ。せめて顔ぐらいドブスじゃないと、この世の中不公平すぎるわ。金持ちで美人で華奢って、何様よ!」

 アモスがイライラしながらいう。

 こういう台詞はもう慣れっこのリアンだが、以前に比べると棘がだいぶ消えた感じがする。

 長く一緒にいすぎて感覚が麻痺しただけかもしれないが、アモスのこういう発言にもリアンは寛容になりだしていた。


「あれ? なんか変じゃない?」

 女性に近づいていたアモスが、そんなことをつぶやく。

 女性は、後ろを向いたまま、一心不乱に植木の剪定をしていたのだが……。

 明らかに植木を、切りすぎているような気がするのだ。

 一本の植木にひたすら植木鋏を入れていて、足元には切り落とされた植木が散らかっていた。

 このまま切っていれば、植木一本を丸裸にしそうな勢いだったのだ。


 リアンたちは、バチンバチンと音を立て、植木を切り落としている女性の後ろまでやってきた。

 リアンたちが、呆然とその奇行を眺めている。

 どう声をかけたものかリアンが迷っていると、アモスが女性に近づく。

 そして、女性のすぐそばまできたアモスが、不意に立ち止まる。

 女性がブツブツと、何かを延々つぶやいているのだ。


 そして、初対面の名前も知らない女性に、いきなり背後からアモスがチョップをかました。

 リアンが驚いてしまう。

 女性は動きを止め、ゆっくりと振り返る。

「あれ?」

 我に返ったような口調で女性がいう。

 そして、その表情を見てリアンが驚き、アモスが不快そうな顔をする。

 予想通り、見た目に釣り合った、美しい美貌を持った女性だったのだ。

 予想していたよりは若干幼く、まだ十代のようだが、切れ長の瞳に端正な鼻筋と若干大きめの口をした美少女だった。

 帽子が飛び、長い金髪が風に揺れてなびいている。


 アモスはいきなりパッと、女性の手から植木鋏を奪い取る。

「あんた何してんのよ? 自分が何してるのかわかってる? それとも、この家に恨みでもあったての?」

 アモスが美少女に尋ねる。

 手にした植木鉢を取られ、しばらく呆然と空手になった手を見つめていた女性。

 ぼんやりと、アモスやリアンたちを眺める。

「あの、大丈夫ですか?」と、飛んだ帽子を手にしたリアンが心配そうに声をかける。

「え? あ、あれ?」

 ここで少女が驚いたような声を上げる。


 自分の足元に散らかっている、切り落とされた植木に驚いたようだった。

「わたし、いったいどうしちゃったんだろ」

 そんなことをいう、少女の視線は虚ろだった。

「ひょっとして、悪い霊に乗っ取られているのですか!」

 ヨーベルが手を打っていうが、リアンにすぐ制止される。

「これ、あんたがやってたのよ、覚えてないの?」

 地面に散らばる切り落とされた植木を指差し、アモスが比較的優しめのトーンで少女にいう。

「こ、これを? まぁ! 植木が! どうしましょう、敷地が丸見えですわ」

 ここで少女が、ようやく自分のしたことに気がついたように声を上げる。


「この家の人ですか?」

 リアンが、おそるおそる少女に訊いてみる。

「は、はい、そうです……。えっと、ミアリーといいます。どうしましょう、なんでこんなことを……」

 少女はミアリーと名乗り、リアンから帽子を受け取り、足元に散らばる植木を見てオロオロする。

「とりあえず、これ返すわよ」

 アモスが、植木鋏をミアリーという少女に返す。

「何があったのか知んないけど、ストレス溜め込んでるみたいね。一度病院でも行って診てもらうのお薦めするわよ。無意識でこんなことしでかすなんて、あんた相当ヤバいわよ」

 アモスにいわれ、オロオロとする少女。


「もう大丈夫ね?」

「は、はい、ありがとうございました……」

 アモスの問いかけに、礼をいうミアリーという少女。

 その時、吹いてきた風でミアリーの帽子が再び空に舞い上がる。

 帽子はミアリーの屋敷の敷地内に飛んでいってしまう。

 その時の光景を見て、リアンは先日、どこかのホテルの前で見かけた赤いドレスの女性を思いだした。

 ちょうど、このミアリーと同じぐらいの華奢な女性で、今の状況とまったく同じだったからだ。

 しかし、リアンはそのことは口にはしなかった。

 口にすると、またアモスから何か冷やかしのような台詞を、いわれると危惧したのだ。


「じゃあ、あたしらはもう帰るけど、病院は行っておきなよ。ストレス溜め込んで精神壊しちゃ、結果的に碌なことにならないわよ」

 本当に珍しいほど、アモスが少女を心配するような台詞を口にする。

 リアンとヨーベルもミアリーに一礼して、その場から立ち去ろうとする。

 すると、ミアリーが弱々しい声で呼ぶ声が聞こえた。

 振り返ると、ミアリーは顔を真っ赤にして、モジモジとしながら何かをいっている。

「ん? 何? 聞こえない?」

 ミアリーの恥じらいのこもった小声は、確かに聞き取れなかった。

 そこで、ミアリーは大きく深呼吸する。


「も、もし! よ、よろしければ、お礼にお茶でもご馳走させていただきませんか! お話ししてもらえると、うれしいです! お時間、ありますでしょうか……」

 ミアリーは勇気を振り絞ったような声で、リアンたちを誘ってきた。

 赤面して、モジモジとしたミアリーは、視線を合わせるようなこともしてこない。

 良家のお嬢さまのようだが、極度の人見知りのようでもあった。

 リアンたちは顔を見合わせ、しばらく考え込む。

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