11話 「頼りない上官」

 時刻は午後の四時になっていた。

 チル中尉はデスクに向かいつつも、足を組み替えたり、上半身をモゾモゾとさせながら本を読んでいた。

 今日クルツニーデでポーラーから貸してもらった、キタカイ地区の遺跡の図鑑を眺めていた。

 チルは集中すればするほど、身体が挙動不審なまでに揺れ動く体質だった。

 今まであまり縁がなかった遺跡の数々に、チルの知的好奇心が刺激される。

 本来は植物学を目指していた人物なのだが、偶然知り合ったポーラー博士の影響で、遺跡へのロマンのようなものにも興味が出だしてきたのだ。


 そんなチルのところに、来客が訪れる。

「チル中尉、よろしいですか?」

 ゴスパンとメンバイルのふたりの曹長がノックをして、厳つい表情のまま入ってくる。

 椅子の上に膝を抱えてちょこんと座るような態勢になり、両腕で図鑑のページを押さえながら、内容に没頭していたチルがふたりに気がつく。

 あまりにも怪しい姿勢で本を読むチルを、毎度のごとくヤレヤレといった顔でゴスパンとメンバイルが見る。


「おっと、これは失礼~」

 本に没頭していたチルが我に返る。

 急いで通常の姿勢で椅子に腰掛けると、ふたりの曹長に要件を訊く。

「そうそう、例の来客さんだけど、偶然お昼前に会ったことはもう聞いたかい」

「ええ、旧友だそうで」と、ゴスパンがいう。

 端正な顔立ちをした、長身の色男を思い返す。

 もちろんアートンのことである。

「うん、数年ぶりに再会してね、募る話しで盛り上がって、戻ってくるのが遅れて本当に申し訳なかったよ。でも、僕がいなくても特に何もなかったろう?」

「チル中尉がいなかったものですから、部下が楽しみにしていた三時のティータイムがお流れになりましたよ」

 ゴスパンがクスリとも笑わずにいう。


「アハハ、そりゃあ悪いことしちゃったね。今日のお客が持ってきたお茶があるから、夕食後きちんと振る舞うといっておいてよ」

「フフ、それで部下たちも機嫌を直すでしょうね」

 口元を少しだけつり上げて、メンバイルがいう。

「ところで、そちらは?」

 メンバイルが、チルの読んでいる図鑑を指差す。

 いつもなら植物図鑑を読み込んでいるのに、今日は違うのでメンバイルは気になったのだ。

「これはクルツニーデの、ポーラー博士からお借りした図鑑だよ」

「……キタカイ周辺の遺跡図鑑ですか」

 ゴスパンが、図鑑のタイトルを読み上げる。


「ついにそっちの分野にも、興味をお持ちになったのですね。植物学への夢は、どうされるのですか?」

「まさか本命を、いまさら捨てたりはしないよ」

 チルが、メンバイルに上半身をクネクネさせながらいう。

「ほら、僕らエンドールの人間にとっては、ハーネロの遺跡なんて、滅多にお目にかかれないじゃない。でも、フォールにはこういうのが多くあるでしょ。しかもクルツニーデが厳重に保管してて、詳細に調査を徹底してるんだよ。はじめて見る、こういった遺跡に触れて、知的好奇心が疼かないわけがないよ。今夜は徹夜しちゃおうかな~。明日朝、起こしてくれると助かるよ」

「遅刻常習犯のチル中尉が、いまさら何をいうのですか」

 ゴスパンが呆れたようにいう。


「ところで、ふたりしてどうしたんだい? また僕の、失態を見つけちゃったかい?」

「チル中尉は、もう何が失態なのか正常なのか、分かりませんよ」

 メンバイルが、上官に無表情で語りかける。

「ちょっと、お話しがありましてね」

「おや? なんだろうか? ふたりして、やけに今日は上機嫌なような気がするけど。うれしい話題かい?」

「どちらとも、いいにくい話題ですね……」

 そういって、ゴスパンとメンバイルが顔を見合わす。


「部下たちに聞いたのですが。チル中尉、この戦が終わる前に、退官されるとお聞きしましてね」

「ああ、その話か……。まいったな、おふたりには、怖いから黙っていてとみなにはお願いしてたのになぁ。ひょっとして、僕、今までのお礼参りでもされるのかな?」

「子供ですか」と、ゴスパンが呆れたようにいう。

 チルは頭をかいて、いいにくそうにする。

「うん、実はそうなんだよ……。黙っていて悪かったよ。その、ちょっと、いいだしにくくってね……。その、ぶっちゃけ怖くって、ハハハ……」

 ゴスパンとメンバイルが、困ったように顔を見合わせる。


「まあ、真面目な話しをするとだね。ようやく大学への、入学資金も貯まってね。良いきっかけだから、本格的に勉学の道に、進もうかと思ったんだよ」

 チルが椅子にきちんと座り直し、ふたりの曹長を見据えるように真面目にいう。

「やはり植物学なのですね?」

「ああ、そうだよ」

 チルは、ゴスパンの質問に即答する。

「フィールドワークを重点的にやる学科でね、そこの教授とは長い期間文通で、いろいろ相談にも乗ってもらっていたんだ。デスクワーク専門の僕にしたら不向きかもしれないけど、あちこち飛び回って、植物の生態を調べるってのはやっぱり魅力的でね。一応へっぽこだったけど、軍隊経験も活かされるかと思ってね」

 チルが、聞いたことのない大学の資料を見せてくる。


「いちおうね、次の任務が決まって、後任が決定したら、おふたりにもお話しする予定だったんだよ。君たちには、こんな頼りない上官の下で働いてもらって、本当に申し訳ないと思っていたよ。現場のすべてを、丸投げしていたからね。僕なりにできる後方支援を頑張って、現場は果たすべき役割を心得ている人に、全任したほうがいいと判断していたからね」

 チルが申し訳なさそうにいう。

「怠慢な上官だということは、今でも否定しませんが……。隊が、それで上手く回っていたのは、チル中尉のバックアップがあったからなのは、紛れもない事実ですよ」

「われわれの隊の連携は、あなたの見えない努力と、放任主義の怠惰によるところが大きいですからね」

「な、なんだろう? 僕、責められている? いやぁ、褒められていると考えたいな」

 チルは身体をユラユラさせながら笑う。


「我々としては、最大限の賛辞ですよ」

 厳つい、ふたりの曹長の口元がほころぶ。

「ところで、話しは変わりますが、チル中尉はこれを御存知ですか?」

 ゴスパンが、ずっと脇に抱えていた書類を出してくる。

「今日は、中尉にこれをお持ちしまして。部下が、偶然仕入れてきた情報なのですが。中尉が、よろこびそうだと思いまして」

「おや? なんだい?」

 チルが、ゴスパンの渡してきた書類に食いつく。


 その書類は、「猿の楽園」と書かれた、観光パンフレットだった。

「あ~、これ知ってるよ! バスカルの村だよね。なるほど、これだね」

 チルは植物図鑑のページを急いでめくる。

 そしてそのページを、ふたりの曹長に見せる。

 ページには、コーリオの花のモデルとなった草花の図解が描かれていた。

 なんだか奇っ怪な学名が図の脇に書かれてる。

「なんだ、ご存知でしたか……」

 ゴスパンとメンバイルが、少しガッカリしたような感じでいう。

 互いに顔を見合わせ、ため息をつくふたりの曹長。


「職務は怠慢だけど、こういうことには耳が早いよ。植物バカのチル中尉という悪名は、伊達じゃないよ、風に吹かれた草花のように、常に上体ユラユラしてるしね!」

「なるほど、流石ですね」

 ゴスパンとメンバイルが軽く二、三拍ほど拍手をする。

「コーリオの花のモデルとなった、花らしいですね。なんでも、オールズ教では聖なる花として、存在が幻だとか」

「やはり知ってて、当然でしたか」

 ゴスパンとメンバイルがため息をつく。

 そんなふたりの落胆した様子を見て、チルが頭を抱える。


「ああああ……! そうか……」

「ん? どうしました?」

「いや、失敗したなぁって思ってね。知らない振りでもしておけば、おふたりをガッカリさせなかったなぁと思ってね」

 チルが軽く頭を抱えながら、伏し目がちにいう。

「それはそれで、性格が悪いですぞ」

「ん~、それもそうかな。いや、でも、優しい嘘ってのもいいものだよ」

 チルがふたりに笑いかける。

「で、わざわざ、この情報を、教えてくれにきてくれたんだね。ありがとう、その気持ち、すごくありがたいよ!」

 チルがふたりに感謝する。

 手にしたパンフレットをゴスパンに返す。


「ところで、どこでこんな辺鄙な村の情報を、お知りになったのですか?」

 ゴスパンが、「猿の楽園」のパンフレットを見て訊いてくる。

「これもポーラー博士だよ。確かバスカルの村、だったかな? 昔、そこにハーネロ期の遺跡があったんだって」

 チルが部屋に貼ってある地図上の、村の位置を指差しながらいう。

「でも、ハーネロ戦役終結後、村の施設はフォール軍に、徹底的に破壊されたんだって。若い頃ポーラー博士は、その地に出向いたそうだけど、すでに綺麗さっぱりなくなっていて、悔しい思いをしたんだって。遺跡を愛する博士の怒りは、相当だったらしいよ。あの人、怒ると怖いみたいだからね。おふたりよりも怖いかもね」

 そういって、ふたりの曹長に指を差してクククと、チルは子供のように笑う。


「その話しを聞いた時に、この村が猿との共生をしている、観光地だって知ったんだ。確かそのチラシの裏、村のもうひとつの観光名物の、コーリオの花についても書いてるんだよね。そのことも、ポーラー博士が教えてくれたんだ。せっかくだから、コーリオの花を探してはどうかね? って」

 チルがそういって、図鑑のコーリオの花のページを視線で追う。

「なるほど、中尉は退官後も、お忙しくなりそうですな」

 少しうらやましそうにゴスパンがいう。

「充実の人生だよ。柄でもない軍人になって、後悔したことも多かったけど、諦めなければなんとかなるもんだよ。僕は、残念だけどフォールとの戦いを、最後まで見届けられないけど……。おふたりや、部下たちが無事、生き延びていることを願っていますよ」

 後半は珍しく神妙な顔になりながら、チルはいう。

「お別れには、まだ早いでしょう。退官のその時まで、しっかり後方支援とティータイムの準備は、こなしてもらいますからな」

「楽には退官させたりしませんからね」

 ゴスパンとメンバイルの言葉に、苦笑うチル中尉。

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