8話 「違える現実」 後編
レンロはポーラーと別れ、「魔の巣」のクルツニーデ事務所から出てくる。
停めてあった車に乗り込もうとすると、前方の通りに、シュプレヒコールを上げているデモ集団の行進を見た。
反エンドールを訴える、無力で無能なデモ集団を見て、レンロは口元を歪める。
「ウフフ、あれが噂の扇動デモ集団ってヤツね。手口が見え見えなのよね、あの無能ども。そのうち首謀者も、とっ捕まるでしょうね。いや、案外エンドールが煽動してるって説も、本当かもしれないわね」
停めていた車に乗り込もうとしたら、レンロは気になる男を見つける。
すぐそばの洋菓子店の前で、怪しくクネクネしながら、洋菓子を選んでいる若い男を見つけたのだ。
メガネを掛けたその若い男は、大学生ぐらいの年齢に見えるが、挙動不審な感じからもっと幼く見えた。
そして、レンロはそのクネクネしている男を知っていた。
名前は確か、クレッグ・チルとかいう男だったはずだ。
正体についてはいっさい知らないが、ここ数日、ポーラの元を尋ね、遺跡の話しを聞きにくる男として記憶していた。
おそらく、考古学関連の学生なんだろうと、レンロは勝手に思い込んでいた。
「ポーラー博士なら、そのバームクーヘンがお好みですわよ」
レンロは戯れ気分で、チルという男に向けて声をかける。
「おおお~! そうなのですか~。甘いもの、特にこのお店のお菓子がお好みとは聞いたのですが、どれがいいのか悩んでいたところです。失礼ですが、博士と同じクルツニーデの職員さんですか?」
チルがそうレンロに尋ねてくる。
メガネの奥の目がキラキラと輝いた、純真そうな溌剌とした男だった。
好みではないが、なんだかいじりたくなる魅力を持つ男に、レンロは怪しい笑顔がこぼれる。
「お仕事の関係で、ご一緒していますのよ。あなたは学生さんかしら? 若いのに熱心なのね。いずれ、クルツニーデに入社することでも、考えてられるのかしら?」
レンロの言葉に、ポカーンとしているチルだが、「はい」とうなずいた。
実はエンドールの軍人なのだが、チルはこの街の反エンドール感情を意識して、学生ということにしておいたのだ。
「贈り物攻勢は、あの人には効き目はなさそうですけど。あなたの純真な情熱には、きっと心動かされるかも、しれませんわね。鬼のポーラーと呼ばれる人ですが、遺跡に対する熱い情熱があれば、気に入られると思いますわよ」
レンロが、完全にチルのことを、学生と思い込んでアドバイスしてくる。
「なるほど~、そうなのですね。頑張ります」
チルは屈託のない笑顔でそういうが、心の中では誤解されていると思っていた。
しかし、それを正そうとせずに、今は話しを合わせておくことにした。
「それにしても、騒がしい連中ですわね」
レンロがデモ集団の騒ぎを、不快そうに口にする。
「あなたは、ああいった活動に興味はないの?」
「ああ、あれですか~」
チルは、ぼうっとデモ集団を眺める。
「僕には、別の興味がありますので、ああいうのはあまり……」
そういって照れくさそうにチルは笑う。
「そうね、この街には素晴らしい遺跡が、多くありますものね」
「えへへ、そうですね~」とチルは破顔する。
「ところで、あなたは今後起こる、フォールとエンドールの大海戦はどう思われます?」
「え? 海戦ですか?」
「ええ、新聞でも取り扱っている話題でしょ? 学生さん的にどう思っているのか、聞いてみたいわ」
レンロが、チルに何故かそんなことを訊く。
「僕としては……。エンドールに勝ってもらえたほうが、ありがたいのが正直な気持ちですね。でも、このことはご内密にしてくださいね」
「ウフフ、珍しいのね、エンドールを贔屓するなんて。でも、海戦は結果はどうあれ、もう少ししたら劇的な展開で、幕を終えますわ。その瞬間を見逃さないようにね。海戦がどういった結末を迎えるのか楽しみに、しているといいわ」
不敵に笑うレンロの言葉に、チルは目を丸くする。
「へぇ、そ、そうなんですか?」
「ええ、その瞬間を目にした時、あなたは心からクルツニーデに、入りたいと思うようになるでしょうし、ますます遺跡について、勉強もしたくなるはずですわ。だから、そのバームクーヘンは三個ぐらい買って、ポーラー博士に会いに行くことを、お薦めしますわ。あの人は、甘いそのお菓子が本当に好物ですからね」
レンロはそういうと、車に乗り込む。
「じゃあ、学生さん、いろいろ頑張るのよ。早ければ数日のうちに大きな出来事が起こるでしょうから、それを楽しみにしておくといいわ」
運転席からそう言葉をかけると、レンロは車を発進させる。
取り残されたチルは、走り去る車を眺めていた。
「正直に、いえなかったけど、別にいいか」
軽くそういい、チルは洋菓子店でバームクーヘンを五個注文した。
ポーラー博士用と自分の部下たちに配るものだった。
「そういえば、劇的な展開とかいってたけど……。あれ、どういう意味なんだろ?」
首をかしげるチルが、代金を店に支払う。
「えええ~! あの掃除のオジサンが、アシュンちゃんの、お父さんなのですか?」
ベンチに座ったヨーベルが、驚いたように声を上げる。
隣に座ったリアンが、微妙な表情をしてうなずく。
アモスはヨーベルの隣でタバコを吹かしながら、アシュンが渡してきたヒュルツの村のパンフレットを見る。
パンフレットには、「夢を叶えるために頑張るわたしたちを、応援しにきてみてよ」という、アシュンの言伝が書いてある。
その下にある、「夢を叶えたお父さんへ」という宛先が虚しい。
「な~にが脚本家として成功したよ、まったくとんだハッタリ親父だったわね。下手したら微妙な空気になって、あたしらまで大恥かくところだったわよ」
アモスが、煙をモクモクと吐きだしながら、悪態をつく。
「何か、事情があったんだよ、きっと。夢破れたこと、正直にいえなかったっていう気持ちも、わからないでもないし。顔も合わせづらい、ってのも……」
リアンが、しょんぼりしながらいう。
「だいたいあんなバレバレの嘘、どういうつもりでついたってのよ。もしアシュンが来てたら、大恥かくだけじゃすまないでしょうよ」
アモスが不愉快そうに、タバコを大きく吸い込む。
親子との感動の接触を仲介できると思っていたリアンだが、残念な結果に終わって、心底ガッカリしていた。
「まったくもうっ! なんであたしたちが、こんな嫌な気分にならなきゃいけないのよ! リアンくん、これ! こうするわよ」
アモスがリアンにいい、いきなりアシュンの託したパンフレットを破り捨てる。
「ああああっ! いくらなんでも、それは!」
リアンが驚いて、ベンチから立ち上がる。
「いいのよ、これで。アシュンには、ことの真相伝えるわけにも、いかないでしょうし。知りたくもない、現実でしょうしね。これは、渡したってことにしておけばいいのよ」
アモスがビリビリと、パンフレットを容赦なく破る。
「でも、せめて……」
「せめてこれを、あの親父に渡せば良かった? あんな親父どうでもいいけど、それってけっこう、残酷なことかもしれないわよ。それでも、渡したほうが良かった?」
アモスにいわれ、リアンは考え込む。
「それもそうですね……」と、リアンはつぶやく。
「世の中には、知らなくてもいいことがある、これはそういう案件だわ」
アモスはそういうと、ベンチから立ち上がり、そばにあったゴミ箱に破ったパンフを捨てる。
「あのお掃除のオジサンを、お父さんが演じていたのですか?」
ヨーベルがそんなことをいってくるが、今はヨーベルの天然ボケに返す言葉も、リアンには見つからない。
アモスも突っ込みを入れることなく、高台から見える港を見ていた。
カイ内海には今日も、フォール軍の海軍が演習を見せつけるように、大船団を運用していた。
「そういえば、ヒロトちゃんは、上手くやっていけてるでしょうかね~」
さりげなくヨーベルが話題を変える。
「どうだろうね、上手くやっていけるといいんだけどね」
リアンがそういって、またベンチに腰掛ける。
「芸事で、食っていくのは難しいでしょうね」
そういったアモスが、さっき見た汚らしい容姿のアシュンの親父の姿を思いだす。
「でもまあ……」
アモスが吸っていたタバコを捨て、また新しいのを一本取だす。
ヨーベルがそれに気づいて、すかさず火を点ける。
「ヒロトの野郎は、あれじゃない」
もわ~っと、アモスは煙を吐きだす。
「役者として成功が、どうとか関係ないわよ。あのクソ溜めみたいな現状から、抜けださせるのが目的だったわけだしさ。それができただけでも、万々歳だったじゃない。役者として成功するかは、あいつの頑張り次第よ。さっきのオッサンみたく、ならないことを、あたしでも願いたいぐらいにね」
アモスがそういうと、空から雨がパラパラと降りだしてくる。
「あらやだ、また雨かよ。降ったり止んだり、面倒な天気ねぇ」
アモスが空を見上げて、悪態をつく。
「向こうに、傘売ってますよ~」
ヨーベルが指差す雑貨屋に、傘を売っているのを発見する。
「傘なんて、適当なのパクればいいじゃない。金出して、買うような物じゃないでしょ。傘は天下の回り物よ」
アモスがそんなことをいうと、リアンがその腕をつつく。
「そういう考えも、直していこうよ。ね、傘、三人分買おう。僕とヨーベルが、どれがいいか見立てるからさ。だから、盗むなんていう発想も控えていこう?」
リアンがアモスの目を見て、真剣に訴える。
「もう! その目で訴えれば、なんでもいうこと聞くとか、学習したな!」
アモスが、リアンのほっぺたを軽くつねる。
それを見たヨーベルも羨ましいと思ったのか、もう片方のリアンの頬を意味なくつねる。
されるがままのリアンが、特にふたりの手を払うことなく、雑貨屋に歩いていく。
そして、目についた西にある高い建物を指差すと同時に、それとなくふたりの手を振り払うリアン。
「あそこがキタカイの市庁舎ですね、せっかくだから見学しに行きませんか」
近くにあった案内板を見て、リアンは建物が市庁舎ということを知る。
「周りには、いっぱいお店がありますね~」
ヨーベルも、案内板を見てうれしそう。
「なんだか微妙な空気になったし、アモスのチョイスで昼食とか選んでくださいよ」
リアンがそういって、アモスに笑いかける。
「そうね、気晴らしで、美味いもんでも食うか」
リアンたちは、軽やかなステップで市庁舎方面に歩いていく。
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