12話 「聖者の忘れ物」

 ハーネロ戦役後、大体的にハーネロン討伐や、ハールアム狩りが行われたのは先述の通りだ。

 その際、聖ベーレ主教が、ヒュルツの方面の討伐隊に同行してきたらしかった。

 ヒュルツには、ハーネロ神国の幹部の別荘があり、奇跡的に美しい海は手つかずのままだったという。

 悪鬼羅刹の人外とされるハーネロの連中も、美しい海はお気に入りだったのだろう。

 討伐部隊に同行していたベーレ主教も、この地の海をいたく気に入ったようだった。

 村の再建事業の際も長く村に滞在し、オールズ主教としてでなく、村に帰ってきた村人たちと同じように、いち労働者として汗を流したという。

 その後エンドールに帰ったベーレ主教は、ハーネロ神国討伐の戦功と民衆の支持により、オールズ教会の大主教にまで上り詰める。


 そして月日は流れ、高齢を理由に大主教の地位を引退した聖ベーレは、諸国漫遊の旅にでるのだ。

 数十年ぶりにフォールを訪問した聖ベーレは、ヒュルツの村にやってくる。

 久しぶりに訪問した村には、村人たちが聖ベーレへの感謝を込めた、オールズ教会が建立されていたのだ。

 聖ベーレは、そのことをとてもよろこび、村の今後の発展を祈ったという。

 そして帰国した後に、聖ベーレが自分の外套を、村に忘れていたのが判明する。

 村は聖ベーレに外套を返そうとするが、聖ベーレはその申し出を断る。

 村のために、せっかくだから贈呈する、といってくれたのだという。


「それが、あのオールズ教会にあるっていう、外套なのか……」

 夕食を食べ終えたバークが、リアンたちの話しを聞き、納得したように村の紹介パンフレットを見る。

 パンフレットには、オールズ教会の紹介と、その中にある聖ベーレ像と外套の写真があった。

 簡単な説明が書いてあり、リアンたちが話してくれた内容と同じだった。

「あのオールズ教会は、扱いをどうしようか、村でもけっこう議題に上がってたんです!」

 アシュンが、テキパキと食器を片づけて、キャリーに乗せながら教えてくれる。

「時勢が時勢だから、オールズ教会の紹介を勝手にするのは、マズいかもって。そのパンフレットも古いヤツで、今は教会の紹介は、削除したのを使っているんです」

 アシュンが、キャラに反して不安そうに眉を下げる。


「ほら、オールズ教会って、いろいろ怖い噂を聞きますから……。もし、観光に利用してるとか知れたら、どんな目に合わされるかとか、けっこう心配してるんですよ。お客さんたち、サイギンから来られたんですよね?」

 アシュンが不安そうに尋ねてくる。

「オールズ教会って、実際どうでしょう? 村としては、特に宗教に拘りがあるわけでもないので、改宗を迫られても平気なんですけど。なんだか、エンドール軍よりもオールズ教会のほうが怖いって、よく聞きますから」

 アシュンは、眉を下げて一団の代表者のバークに尋ねてくる。

「そうだなぁ……」と、バークが腕を組んで考える。

 けっこう重要な話題だと思ったので、バークは真剣に考え込む。

 安易に回答するのも、失礼と判断したようだった。


「オールズっていっても、別に異教徒を迫害するとかしてるわけじゃないわよ。そこまで、気にする必要なんかないわよ。あいつらのことだから、適当に金握らせてやれば、納得してくれるんじゃない。バーク! あんたまた変に難しく、考えようとしてるでしょ。あんたの、その考え込むポーズと表情、シリアス過ぎて不安を煽るのよ、ほんと止めてくんない」

 アモスがタバコの煙を吐きかけながら、考え込んでいたバークにいう。

 アモスの言葉を聞いて、バークが苦笑する。

「そうそう、その頼りなさげな表情が、あんたには似合ってるわ。一応、あんたがいざって時に役に立つ人間だって、あたしは理解してるつもりよ。そのいざって時以外は、柔和なオッサンでいろ、バカ」

 アモスは、短くなったタバコを灰皿で揉み消す。


「実は、サイギンに行ってる村の人たちが、ネーブ主教っていう人に、いろいろ相談っていうか、面談をしにいってたんだって」

 アシュンの口から、突然ネーブ主教の名前が出てきて、一瞬その場が沈黙する。

 その空気に気づかず、アシュンが腕を組んで目を閉じる。

「その、いいにくいけど……。ネーブ主教さんって、お金が好きって聞いてたから、村としては、その……、賄賂的な予算を出してたんだって。あと、女の人も好きとか、よく耳にしてたから……」

 モジモジしながらアシュンが、村の戦略を教えてくれた。

「フフフ、村の選択は、間違ってないわよ」

 アモスがニヤニヤしながら、新しいタバコを取りだす。

 ヨーベルがその様子をチラチラ見ながら、ライターを取りだすタイミングをうかがう。


「アハハ、なんかとてもいい感触だったらしいです……」

 乾いた笑いを浮かべるアシュンの頬が、少し紅くなっていた。

「でも……」と、アシュンがまた眉を下げる。

「そのネーブ主教さんって人、殺害されたっていうでしょ? 新しく来るオールズの偉い人が、どういう人かによって、また対応を一からやり直すのって大変だなぁって。どんな人来るんだろう? そこが村としては不安なんですよ」

 アシュンが不安そうにいう姿を、食後ソファーに座っていたリアンが眺める。

 リアンの手には新聞があり、一面に大きくネーブ関連の記事が記載されていた。


 その記事には、ネーブ主教惨殺事件の追加情報が記載されていた。

 記事には大きく「刺殺」の文字が踊っており、それ以外の情報に目新しいのはなかった。


 この記事を見て、リアンはホッとため息をついて安心する。

 リアンはアシュンと話している、バークとアートンを眺める。

 ふたりとも午前中に比べて、はるかに表情が明るくなっている。

 ふたりの笑顔の理由は簡単で、ネーブ主教の死因が「刺殺」と断定されたからだった。

 バークはネーブを締め落とし、その後放置したといっていた。

 それが原因でバークは、もしかしたら自分の行為が原因で殺してしまったのかと、気に病んでいいたのだ。

 しかし、警察やエンドール軍の正式な発表で、ネーブの死因は状況こそ不明だが「刺殺」と断定されたのだ。

 これでバークが殺したという可能性が、一気になくなったのだ。

 新聞を読んだ時、バークとアートンは一気に安堵したという。


 もちろん犯人などわかりようもないが、バークがヨーベルを救出後、別の誰かがネーブを害したのだろう。

 同じ日に二組の侵入者に襲われるとは、ネーブも不運ねと、アモスだけゲラゲラ笑っていた。

 夕食までの時間は、リアンたちはネーブ主教の一件で話し合っていた。

 バークが直接、ネーブ主教を殺した可能性は消え去ったが、それでもヨーベルが容疑者から外れたわけではないので、安心できなかった。

 報道には、謎の女性の存在を、ほのめかす記事があったりしたのだ。

 確実にこれは、ヨーベルのことを指しているのだろう。


 でも、村に来てから懸案事項のひとつだった、バークによるネーブ主教殺害の疑惑は解消されたのだ。

 それだけでも、リアンたちにとって心穏やかになる情報だった。

 新聞を折りたたんで、明るい表情になっているバークを見て、リアンは安心する。

 今はさっきまで、オールズ関連の件で不安そうになっていたアシュンも、いつもの元気さを取り戻していた。

「あの教会や外套、村にとっても、とっても大事な存在なんだ! 聖ベーレさまもね!」

 アシュンが元気にいう。


「子供の頃から、お爺ちゃんにあの教会のこととか、外套のこと、ベーレ様のこと聞かされていたから。聖ベーレさまって、とっても気さくな方で、お爺ちゃんや他の村人のことも、全員覚えてくれていたんだって。すごいよね~、出会ってから何十年も経っているってのに!」

 興奮気味にいうアシュンをアモスが、じっとりと眺める。

「ずいぶんベーレってヤツ、あんたの中で高評価なのね」

 呆れたように、アモスがアシュンにいう。

「お爺ちゃんと一緒に、教会のお掃除とかしてたんだ! だから子供の頃から、あの教会は馴染みがあったの。だから聖ベーレさまも!」

 アシュンのうれしそうな言葉を聞き、アモスがタバコの煙を吐きだす。


「わたしにとっては、もうひとりのお父さんって感じなの……」

 小声でそういってから、アシュンはあっ! という顔をして慌てて首を振る。

 リアンたちは「どうしたの?」と訊くが、アシュンは元気にごまかした。

 アシュンのつぶやきは、小さすぎて誰の耳にも入らなかったようだった。


「でもさ~」と、ソファーに大きくもたれかけ、伸びをしながらアモスがいう。

「オールズ教徒ではないのよね? あんたも、他の村人もさ」

「うん、そうですね」

 アモスの質問に、アシュンは少し考えたように答える。

「神官さんとしてのベーレさまじゃなくて、ひとりの人間としてのベーレさまを、たぶん敬っているって感じなのかな? たぶんっていうか、きっとそうだと思います!」

 アシュンが強い口調で、まるでいいきかせるようにいってくる。

 アシュンにとっても、今まで深く考えたことのなかった話題なのだろう。

 会話を通じて、彼女の中でおぼろげだったベーレ像が、固まってきたようだった。


「ベーレさまは、布教を強要したりもしなかったみたい。信仰は自由だからっていってね。あと秋には、オールズ教の生誕祭やったりするんだよ、この村では」

 自分でいって、アシュンは少し笑う。

「信者でもないのに、それまた珍しいね」

 バークが興味深そうに尋ねる。

「エヘヘ、お祭り好きだからね、この村。いろんな宗派があるから、それぞれの祝い事はおしなべてやってる感じ。その宗派の信者さんがいなくても、勝手に村で盛り上がってる感じなんだ。学校で、そういうお祭り事が大好きな人が多いから、いろいろ企画してるの。けっこう昔から継続してるの、うちの学校のお祭り部。そういうお祭り好きの人たちが大人になって、このリゾート化計画を発案したりした、っていう経緯があったりするんだ」

 アシュンが、村の特殊な事業の成り立ちを説明してくれた。


「なるほどね、企画を立てるのが好きな人間がいる下地が、昔からつづいていたんだね。面白い村だね、なんだか、おまえは気に食わなさそうだけどさ」

 アートンがアシュンの話す内容を、アモスが忌々しそうな表情で、聞いているのに気づいていう。

「フフフ、よくわかったわね。あたし、正直、そういうワイワイガヤガヤな、賑やかしな集まり、嫌悪感覚えるのよね」

 アモスの言葉を聞いて、アシュンが苦笑いする。

「こいつは特殊な性格だから、気にしないでな。きっとそういうのとは無縁の、陰気な、学生時代を過ごしたんだろうよ」

 アートンがそういうと、タバコの箱が飛んできて頭に直撃する。


 アモスが投げつけたタバコをリアンが拾い、アートンとふたりの間をリアンは取り持つ。

 アモスの凶暴性がどこまで本気なのかわからないアシュンは、この一団の関係性を目の当たりにして、苦笑いするしかできなかった。

「すまないね、このふたりは、いっつもこんな感じさ。びっくりさせてゴメンね……」

 バークがアシュンに、申し訳なさそうに説明する。

「あんたが一団では最下層! 立場忘れて調子こいてると、後が怖いわよ!」

 着火したようなアモスの感情を、リアンが必死になだめる。


 ヒュルツの村二日目は、こうして何事もなく過ぎていく。

 懸案事項だった、バークによるネーブ主教殺害疑惑も、完全とはいえないがとりあえず否定された感じだった。

 元気になっているバークの様子を見て、リアンはほっとひと安心のため息が出ると同時に、なんだか頭がクラクラするのを感じる。

 お風呂から出てから、リアンは妙に頭がぼやっとしていた。

 今夜は早めに休むといい、リアンはベッドに潜り込もうとする。

 それを受けて、アシュンとハイレル爺さんが気を遣って、今夜は部屋をあとにする。

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