13話 「三日目は曇り空」 前編

 リアンは、またいつもの感覚に襲われる。

「この感じ、例のヤツだ……」と思い、身を引きしめる。

 だが、どうすることもできないその状況に、流されるままにすることに。


 リアンはどこかの舞台の上に、一人ぽつんと立っていた。

 自分の周りには誰もいないが、舞台の下にはたくさんの人が、客席に着いて彼を見つめていた。

 観客の鋭い視線を一身に浴びて、逃げだしたい気分に襲われるリアンだが、自分は今は舞台役者なので、それができないと思い込んでいた。

 夢だということがわかっているのに、この状況から脱出できないことで、リアンの焦りがさらに高まる。

「役者なら、さっさと役を演じろ!」

 客席から、いきなりそんなヤジが飛んでくる。

 その声を受けて、同じような言葉が別の観客席から投げかけられる。

 リアンは汗を一気にかき、その場でオロオロしてしまう。


「どうした役者の卵! やる気があるのか!」

「こっちは金払ってるんだぞ!」

「棒立ちなら俺でもできるぞ、早く何か演じてみせろ!」

 攻撃的な観客の罵声が飛び交う。

 リアンにとってさいわいだったのは、観客席が薄暗く、その表情までよく見えなかったことだった。

「何もない状況では、何もできないのなら、こうしよう! 大根役者くん」

 客席のどこかから、声が聞こえてくる。

「ハーネロが、まさに蘇えった! そいつがおまえの目の前にいる! 強大な悪に対峙する勇者ってのを、演じてみるがいいっ!」

 無茶振りなシチュエーションを設定され、リアンはさらに固まってしまう。


 夢だとわかっているのに、逃げだせないリアンは、その場で爆発しそうなほど赤面し狼狽していた。

「なんだっ! これでも棒立ちじゃないか!」

「とんだ大根役者だっ! 金を返せ!」

 観客席のブーイングは、止むことがない。

 リアンは冷や汗を流しながら、その場で昏倒しそうになる。


 そして、視界が大きくゆがんだと思ったら、そこで目を覚ます。

 リアンは、寝汗をびっしょりとかいていた。

 額に乗っていた濡れタオルが、口元にあって息苦しい。

 濡れタオルを取り払うと、ガバリと上半身を起こす。

「リアン、起きたかい? もう熱は下がったのかい。大事をとって、もう少し寝ていたほうがいいぞ。もう少しでお昼だし、昼食まで休んでいていいぞ」

 バークが新聞を手にしながら、リアンに語りかけてくる。

 寝ている分には何事もなかったようで、悪夢にうなされていたリアンに気づかず、バークがいつものように声をかけてくる。


「もう大丈夫です、ご心配おかけしました。熱のほうも、問題ない感じです」

 そういうリアンに、バークは無言で彼の額に手を当ててくる。

「うむ、朝に比べたら、熱はもう引いてるな。朝は驚いたよ。サイギンの時のヨーベルみたく、真っ赤だったからな」

「環境がいろいろ変化したものだから、体調不良になったんでしょうね、すみません」

「もう起きても平気なのかい?」

 読んでいた新聞をたたみながら、バークが不安そうに訊いてくる。

 リアンがベッドから起きようとしていたのだ。

「身体、動かしたい気分なんです。熱はもう大丈夫なので、テラスに出ていいですか?」

 リアンはしっかりとした足取りで、テラスに向かう。

 目の前の青い海を見ようと思ったが、今日はすっかり曇っていて、太陽の光が感じられなかった。

 青い海もどこか深い紺色をしていて、昨日までの美しい海とは別物のようになっていた。


 今朝、リアンは突然の発熱に見舞われたのだった。

 バークがいった通り、今朝のリアンは、サイギンで見たヨーベルのように真っ赤な顔をして、朦朧としていたのだ。

 驚いたアシュンから薬をもらい、リアンは朝から眠りについていた。

 部屋にはバークがひとり残り、リアンの容態を見る役目をしつつ、新聞雑誌で情報収集をしていた。

 バークによる情報収集では、特に目新しいのは見つからなかったが、ネーブの死因であるところの「刺殺」について、軍関係者の情報ソースつきの記事があった。

 そのおかげで、バークの容疑が以前にも増して減り、彼の心境を軽やかにもした。

 ちなみに記事には当然、ネーブ主教の首に突き立てられていた、謎のナイフについては言及されていない。

 この一件については、軍部はまだ箝口令を厳命しているようだった。


 とりあえず自分が、直接的な死因ではないということを再確認し、バークの焦燥していた気分は、昨日にも増してかなり晴れた。

 朝に比べると、バークもかなり気分的に落ち着いていたのだ。

「何か、新しい情報はありましたか?」

 リアンがテラスから戻ってきて、バークに尋ねる。

「ネーブの一件については、それほど新しい情報は得られなかったけどね。それでも、俺がこうして、ニコニコしてられる分の情報はあったよ。それとね、ふたつの大きなニュースが、キタカイから電信で届いたよ」

 バークの言葉に、リアンは興味を引かれる。


「電信? 新聞記事ではなくてですか?」

「ああ、リアンが目を覚ます二時間前にね、緊急速報だといって、キタカイから電信が届いたんだよ。電信だなんて旧式の連絡手段を、まだ使える人間がこの村にいたのが驚きだよ。なんでもその人、昔軍属で……って、そんなことはどうでもいいか」

 バークが余計な話しを中断して、本題に入ろうとする。

「ひとつは、キタカイが無条件降伏したってニュースさ」

「わぁ、エンドールが勝ったんですね。しかも血が流れなかったんですね。良かったですね。でも、フォールの人にとっては、どういう気持ちなんでしょうね、こういう時」

 眉をハの字に下げて、リアンがつぶやく。

「アシュンもハイレル爺さんも、争いで血が流れなかったことを純粋によろこんでたよ。特に悔しそうって、気持ちもないようだったね。村が一丸となって、リゾート化を目指している時期だから、祖国の存続とかは案外興味ないのかもね。彼らが見てるのは、エンドールによる、統治後のビジョンみたいだからね」

 バークがテーブルの上に広げられている、ヒュルツ観光事業部が作成したパンフレットを、ちらりと見て苦笑する。


「僕らとしては、このニュースにどう反応したらいいでしょうか? やっぱり多少残念がっていたほうが、自然な感じでしょうか?」

 リアンは、自分の立ち振る舞いがどういうのが自然なのか、今後の設定についてバークに尋ねる。

「その辺り、変に取り繕う必要もないと思うぞ。村自体が無関心なんだし、俺たちも同じようにしてればいいと思うよ」

「なるほど、そうですね。ところでもうひとつあるんですよね、ニュース」

「ああ、こっちのほうは、なんとも不可解なニュースでね」

 バークが、眉をひそめてつぶやく。

 そして、新聞にあったフォールの地図を指差す。

 バークの指は、フォールの最南端にある地域を指差していた。

 不思議そうに首をかしげ、リアンはバークの言葉を待つ。


「ここにね、リットという街があるんだけどね……。驚いたことに、このタイミングでフォールに、反旗を翻したらしいんだよ」

「反旗? といいますと、エンドールに寝返ったってことですか?」

 バークの言葉に驚いて、リアンは目を見開いて尋ねてくる。

「いや、そうじゃないんだよ。独立宣言をしたそうなんだよ。“ リット大公国 ”そう名乗ったそうだよ」

 バークの言葉を聞き、リアンは不思議そうに首を左右に揺らす。

 リットと聞いて、リアンは過去ヨーベルが話していたことを思いだしたのだ。

 確か、破壊神ハーネロが生まれた土地だったような……。


「このタイミングで……、独立宣言ですか?」

「な、不可解だろ?」と、バークが半笑いでいう。

「エンドールという、直近の脅威が迫る混乱期に乗じて、フォールから独立を果たしたんだろうが。その先の展開、どうする気なんだろうな?  エンドール統治後、何か特別な待遇を受けるのを見越して、外交的なアピールなのかもしれないね」

「なるほど……、そんな理由かもしれないですね」

 バークの言葉に、リアンも同意する。

「このニュースだけど、なんだかハイレル爺さんが、やけにヒートアップしてたのが印象的だったね。いつもは朗らかな爺さんだけど、やけに怒ってたのが気になったよ」

「怒ってたんですか? 僕にも想像できないですね」

 リアンが、バークの言葉に驚いて目を丸くする。


「目に見えて怒ってたわけじゃないけど、言葉に怒気が含まれてて、やけに不快そうだったからね。まったくあの連中はって、何度もつぶやいてたのが、やけに印象に残ってたよ」

 新聞紙をたたみながら、その時見せたハイレル爺さんの怒気を、バークは思いだす。

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