最終話 「暗闇の凶気」
エンブルが鎖を持ち、慎重に堀の壁面に足をかける。
パラパラと、足場が崩れる音がする。
エンブルは、すぐさま別の足場を探す。
額から、ダラダラと汗が垂れる。
エンブルは次の足場らしき出っ張りに、ゆっくりと足を掛ける。
「よし、ここなら大丈夫か……」
といった瞬間、足場の壁面の泥が靴を滑らせる。
エンブルはその場で前のめりで倒れると、うつ伏せ状態のまま持ちこたえ、なんとか落下は避けられた。
足を滑らした反動で靴が片一方脱げて、巨人のうごめく堀に落下する。
エンブルの頭から、帽子が脱げ落ちる。
四つん這いの状態から、エンブルはなんとか立ち直る。
荒い息を吐きながら、その場であぐらをかいて、落ちていた帽子を拾う。
帽子を被り直し、立ち上がるとエンブルの目の前にアモスが立っていた。
驚くエンブルが後退り、堀へ落下しそうになるが、腕をバタバタと大きく回して踏みとどまる。
「アハハ! なかなかユニークな動きじゃねぇか! つまらないヤツだが、道化を演じれば、それなりにおまえ、愛嬌もあって、人からも好かれたかもな。しかも見事なてっぺんハゲだったんだな」
アモスが、転落を免れ、再びその場にへたり込んだエンブルを見下しながらいう。
「その不細工さに生まれたのは、同情するがよ。キャラメイクまでミスったのは、自己責任だな」
アモスがニヤリと笑って、エンブルの難有りな性格を嘲笑う。
「くそっ、貴様なんだよ! いきなりっ!」
エンブルがへたり込んだまま、アモスに向かって怒鳴る。
その怒声を受けて、アモスはさらに口元を歪める。
「個性について、語ってあげてるのよ。参考になればと思ってね」
「ほら、ご覧なさい」といって、アモスは堀の下の一匹の巨人を指差す。
「あのバケモノだけ、なんだかトロそうで、怠慢な感じよね。変わって向こうのは、やけにシャキシャキ動いて、やり手な感じよね。トロいのは絶対、今まで一回も伐採業務したことないはずよ。あたしにはわかるわね!」
アモスが何故か、自信満々でいう。
「でも、ああいうトロい感じのほうが、なんかとっつきやすいのよね、あんたにとっては理不尽でしょうけどね。あんたは本来、もっと事務的な業務が、向いてたんじゃない? 違う?」
いきなりアモスに図星を突かれ、エンブルは絶句してしまう。
「終始イライラしてたのも、不向きな内偵業務なんて、任されたからだったりするでしょ? これも正解よね?」
無言で、悔しそうにしているエンブルを見て、アモスが笑う。
「ほんと、あんたに同情しちゃうわ、いろいろとね。でもね、それもここで、おしまいにしてあげるわ。どっかでいったかも知れないけどさ、来世ってのがあれば、いい人生を送れることを願ってるわ」
そういうアモスの目つきが、突然険しくなるのをエンブルが察知する。
空を斬る音がしたと思うと、エンブルは大きく後ろに飛び上がっていた。
アモスのナイフが、エンブルのいた場所を斬り裂く。
エンブルは、アモスから斬り殺されるのを避けられたが、そのまま堀の方向へ落下する。
「うおおおおっ!」
自分でも信じられないぐらい、大きな絶叫が口から漏れたと思ったら、手に鎖の感触がする。
エンブルは反射的に鎖を握りしめる。
それと同時に伝わる腕への衝撃と、壁面に激突した両膝の痛み。
エンブルは堀から落下したのだが、その前に降ろした鎖を運良く掴み、底への転落は避けられた。
しかし、宙ぶらりんの状態で、エンブルの危機はまったく変化がない。
腕に全体重がのしかかり、大量の汗が吹きでる。
鎖をつかむ手までもが、汗で湿ってくるのがわかる。
「ウハハ! 落ちてないし! 残ってる! 笑えるっ! ますます、おまえが道化だったら、良かったと思えるな!」
アモスがエンブルを見下すように、眺めてくる。
手にしたナイフが、暗がりの中でランプの灯りを反射して煌めく。
エンブルの顔が、恐怖で引きつる。
「お~い、何か騒がしいなぁ。どうしたんだよって! おいっ! おまえ、下に降りるつもりか! ウヒャヒャ! 意外とそいつらが、気になっていたんだな」
エンブルが鎖を使い、堀の下へ降りようとしていると、ケリーは勘違いしている。
実際はアモスから襲われ、今まさに転落させられようとしているのだが、状況だけ見るとエンブルが、自主的に降りようとしているようだった。
しかもケリーには、アモスの「認識されなくなる能力」が効き、姿が見えていなかった。
「ケリー! 勘違いするな! 落とされそうなんだよ! 助けてくれ! それと、この女に気をつけろ!」
エンブルが必死になって叫ぶ声が、洞窟内に反響する。
「女? 女って何いってんだよ。ていうか、本気でおまえヤバいのか?」
珍しくエンブルを心配して、ケリーは橋を小走りで駆けてくる。
「ったくよぉ! この借りは、高くつくぜ!」
ケリーがやってきて、エンブルを上から見る。
「引っ張り上げてくれ! もう腕が限界なんだよ!」
絶叫するエンブルの、鎖をつかむ両手がプルプルと震える。
「待ってろ、今引っ張るからよ」
ケリーは、足元にあった鎖を手に持つ。
「うへぇ! ドロドロじゃねぇかよ、これ」
「そんな報告はいいから、早くしてくれ!」
「へいへい、了解ですよっと!」
腰に力を込め、ケリーが鎖を引っ張る。
それと同時に、ケリーは後ろに気配を感じる。
刹那、胸に激しい痛さと熱を感じる。
「ぅあががが……」
言葉にならない悲鳴を絞りだす、ケリーの口から血が垂れ下がる。
視線を下に移すと、自分の胸から、血に濡れたナイフの先が飛び出していた。
「な、なんだよ、これ……」
そういうと、ケリーの胸からナイフが抜かれる。
大量の血が、胸からあふれでる。
ケリーは鎖を掴んだまま、その場で足をくの字に曲げ、仰向けに引っくり返る。
そして、見上げると、美しい女の生足が飛び込んでくる。
「うひょう……、いい御御足だねぇ……」
ケリーは血塗れの口から、最後の言葉を吐きだすと、そのまま絶命する。
アモスが、ニヤケ面のまま、ケリーが絶命したのを確認する。
「お褒めいただき光栄だわ、ヤリ◯ン野郎さん。でも、ここでおしまいね、あんたはそんなに嫌いじゃなかったけどね。あの世とやらでも、いい女、抱きまくってなさい」
アモスはナイフを拭きながら、ケリーの死骸を見下ろす。
「うわああああっ!」
エンブルの絶叫が聞こえたと思うと、ドンという鈍い音が聞こえてくる。
アモスが堀の下をのぞき込む。
堀の底で足を押さえて、うめいているエンブルの姿が見えた。
エンブルの両足は、変な方向に曲がっている。
「あらら、即死できない、微妙な高さだったのね。可哀想に、あたしもトドメ刺しに行けないじゃない」
アモスがニヤニヤ笑いながら、エンブルを眺める。
「た、助けてくれ!」
エンブルの悲痛な声が聞こえる。
「無理よ、だってあんたのことも、殺すつもりだったんだからさ」
アモスが、聞こえていないだろうが、エンブルに対していい放つ。
地面で這っているエンブルが、地響きを間近に感じる。
すぐ目の前を、巨人の巨大な足が通り過ぎる。
「ひぃっ!」といって、エンブルは転がって逃げる。
堀の端に、逃げれば良かったのだろうが、暗さとパニックで、エンブルはどんどん、中央方面に転がっていってしまう。
巨人の足音と地響きが、エンブルをさらに混乱させる。
地面を無様に転がり回り、エンブルは虫のように逃げ惑う。
自分でも、わけのわからない言葉を発し、必死に巨人の足から逃げ回る。
「アハハ! 頑張れよ~! ほら、向こうからくるぞ!」
アモスが堀の下で、無様に逃げ惑っているエンブルを見て、指を差して笑う。
「アモス! おまえ、何してんだ!」
声が聞こえた方向を、アモスがにらむ。
そこには、ランプを手にした、バークが立っていた。
バークは走ってくると、アモスの足元にケリーが倒れているのを確認して青ざめる。
「こ、殺したのか……」
絶句するしかないバーク。
「ご覧の通りよ」
アモスが、ケリーの死体を指差す。
そして、ケリーの上着のポケットから、アモスは手帳を取りだす。
その手帳をパラパラとめくる。
「あら、本当に調査してるのね。バーク、見てみなさいよ、こいつ本当に、ヒロトのこと調査してたみたいね。このニシムラってのは、ガンショップのとこのリーダーね。で、この対象Dってのが、あの青瓢箪かしらね?」
アモスが、ヒロトたちの一味を調査していたページを見つけて、バークに見せつけてくる。
バークがゆっくりと橋を歩いて、ケリーの死体を確認する。
「ど、どうして、殺したんだ? あとのふたりも、まさか……」
バークが尋ねた瞬間、「ひゃああああっ!」という絶叫が堀の底から聞こえてくる。
慌ててバークがランプを堀に向けると、照らされた場所に血溜まりができていた。
そして、グシャリと潰されたエンブルらしき男の死体が、堀の底にへばりついていた。
巨人に踏み殺されたエンブルを見て、激しい嘔吐感に襲われるが、バークはなんとかこらえる。
「ああ、やっと死んだか、あの不細工。もう一匹のゴリラは、向こうの小部屋で殺っといたわよ。これで邪魔者全部消えたわね、いい感じで処分できたんじゃない?」
アモスは恐ろしいことを、あっけらかんとしていう。
「旅も楽になるわ」と、アモスが笑う。
「おまえ、それ本気でいってるのか!」
アモスの言葉に被り気味で、バークが大声を出す。
「冗談で人殺すほど、無差別じゃないわ。きちんとした、理由があるから殺すのよ、あたしは」
アモスは平然といってのける。
「こ、こいつらを殺した理由は!」
また被り気味に聞いてくるバーク。
「あんたねぇ、考えりゃわかるでしょ。旅に邪魔だからよ、それ以外ある?」
アモスは、サラリといってのけた。
「おっと、いいものみっけ、土産にもらっとくか。こっちはもういいや!」
アモスは手にしていた、ケリーの調査メモを地面に投げ捨てる。
ページが開いたまま、血溜まりに浸かる調査手帳が、たちまちケリーの血で真っ赤になる。
アモスが何かを地面から拾うと、それをポーチにしまう。
バークは橋の上に立ち、呆然と突っ立っていた。
凶暴な女だとは思っていたが、まさかいきなり殺すなんて、想定外過ぎたのだ。
せいぜい、一緒になって宝探しめいたことを、するに留めるとバークは思っていた。
キタカイに行けば、自然と別れることが可能だった連中だ。
そもそも、殺すという理由もないのだ。
いくら邪魔だったとはいえ、短い期間でも一緒に、行動をともにした人間を殺すなんてあり得ないことだった。
バークは自分の荒い呼吸を、必死に収めようとする。
「落ち着け、落ち着け……」
バークは自分に、念じるようにいいきかせる。
ふと気配を感じる。
横を振り向くとアモスの凶悪な顔があった。
「ねぇ、バーク。わかってると思うけどさぁ……。ここでのことは、他のみんなには秘密よ……」
アモスの冷たい声が、バークの全身を寒気となって突き抜ける。
了
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