第5章 『聖者の忘れ物』

1話 「身軽さの重み」 前編 

「すごいっ! いい景色じゃない! 何よこれ! 最高じゃない!」

 アモスの上機嫌の声が響く。

 その声で、どこか静まり返っていた車内の空気が変わる。

 ニカ研製の最新鋭ガッパー車を走らせるアートンも、広がる青い海と空に表情が少し明るくなる。

 車は、鬱蒼とした山道を抜けると同時に、抜けるような青い世界に包まれた。

 林道から車道に入った車は、左手側を海にして、前方に見える海岸線沿いにある集落に向けて走っていた。

「わぁ~! あれがヒュルツの村ですか! なんだか細長い村ですね~」

 ヨーベルが目を凝らし、前方に見える集落を見て感想を述べる。

 集落は、弧を描く海岸線上に沿うように点在しており、ヨーベルがいう通り縦に細長かった。


「なんだか、村中で工事をしている感じですね……」

 リアンが、近づいてくる集落を眺めて感想をいう。

「本当だな、村全体が工事中みたいになってるな。何かあったのかな?」

 やけに不安そうに、運転しているアートンがいう。

「まあ、ここまで来たら、向かうしかないだろ」

 助手席のバークが、チラリと後部座席にいるアモスを見る。

「何よ、何かいいたそうね?」

 アモスの挑発的な言葉に、バークが眉をひそめる。

「ヒュルツの村への訪問理由を、もう一度確認するが……。観光で間違いないかい、アモスさんよぉ?」

 助手席に座るバークが、困ったようにアモスに確認する。


「いまさらすぎる質問ね、当たり前でしょ? ここまで来て、あの青い海の誘惑から逃れられるの?」

「無理です~」と、ヨーベルが明るい声でいう。

 ヨーベルの声のトーンで、沈んでいた車内の空気が完全に元のそれに戻った気がする。

「いいわね! ヨーベル。そのテンションよ! やっと辛気臭い空気が、吹き飛んだかもね! ついでに車内の空気を、物理的に入れ替えるわよ! ほらっ、みんな、窓開けな!」

 アモスが発破をかけ、全員に窓を開けさせる。

 せっつかれたように、リアンたちが車の窓を全開にする。

 潮の香りを乗せた空気が、車内に入り込んでくる。

「ほら、これでもう元通りでしょ! だから、しょうもない過去は忘れるのよ!」

 アモスが、運転席のアートンとバークの座る座席を、ゴンとたたいていう。


 しょうもない過去とは素直に思えないが、ここは渋々納得するしかないアートンとバーク。

 窓から入ってくる潮風が、ふたりの髪をなびかせるとともに、一時的に沈んだ気持ちを晴れやかにさせる。

 バークとアートンが無言で見つめ合い、しょうがないといった感じで、同時にため息をつく。


「本当にあの人たち、置いてきて良かったんですか~?」

 すると、ヨーベルが触れたくない話題を口にする。

「キタカイってところに、急いでいたと思うんですけど?」

 本気でいってるのか、演技なのか、ヨーベルの天然ぶりは理解不能だった。

「いったじゃない! あいつらは、洞窟ですごい発見をしたから、村に残るみたいだって」

 アモスが平然と、そんな嘘をいう。

 その言葉を聞いて、リアンや前座席のふたりが緊張したようになる。

「そうなんですか~。お仕事、大丈夫なんでしょうかね?」

 ヨーベルはリアンに訊いてくる。

「ど、どうなんだろうね……」

 リアンは困ったように、そう答えるしかなかった。

 車内には当然、サイギンから同行していたゲンブ、ケリー、エンブルの姿はもうない。


「ヨーベル、まあ、も、もうその話しはいいじゃないか……」

 バークが、狼狽したようにヨーベルにいう。

「きっとあいつらにも、あいつらなりの考えが、あるんだと思うよ」

 バークが非常に曖昧な言葉で、話題を打ち切ろうとする。

「そうですか……。でも車まで、もらちゃっていいんですか?」

 ヨーベルが首をかしげる。

「一時的に借りるだけよ。ヨーベル、気にしすぎだって」

 すかさずアモスがいってくる。

「面倒な連中がいなくなったんだから、もうちっと素直によろこべばいいのよ」

 アモスがヨーベルに、また軽く手刀をたたき込みながらいう。

「はい、そうですね~。じゃあ、わたしも気にしないようにします! なんだかこの話題は、空気が悪くなるようなので、以後封印しておきます!」

 ヨーベルが、どこまでも能天気にいう。

「よしっ! それでいい!」

 ヨーベルの決意にアモスが、全肯定するようにうなずく。


「あ~、そうそう、ヨーベル」

 すると、アモスが突然思いだしたようにポーチを漁りだす。

「はい? なんでしょう?」

「あんた、目、悪いんだったわよね」

「はい~、頭も悪いみたいで、もう大変です」

 照れ笑いを浮かべながらいうヨーベルの表情は、妙に明るい。

「その分、顔がいいんだから大丈夫よ。はい、これっ!」

 といってポーチから、アモスはメガネを出してくる。

「あれ? これって? あのメガネさんのじゃないですか?」

 アモスが出したメガネは、ケリーがしていたメガネと同じものだった。

 あの洞窟での出来事の際に、アモスが実は奪っていた物だった。


 その光景を見たバークが、引きつったような表情をする。

 リアンもすぐに察し、絶句する。

 一瞬で、また車内が凍りついたような空気になる。

「お、おい、おまえ……。ど、どういうことだよ……」

 動揺を隠しきれないバークが、複雑な顔をして訊いてくる。

「どうもこうもないわよ、せっかくだから使えばいいじゃん。何その心配そうな表情、度数が合うのか不安なのか? ヨーベル、早く掛けてみな!」

 アモスはポーチから出してきた、ケリーの使っていたメガネをヨーベルに渡す。

「でも~、あの人のでしたよね? なくなって、困ってないでしょうか?」

「スペアぐらい持ってるでしょ。これは、お別れの記念だってさ。俺のこと忘れないでくれよぉって、バカみたいね」

 クククといって笑う、アモスの言葉は当然嘘だった。

「ほら、どうなの? 見える? 見えない?」

 メガネをかけたヨーベルに、アモスが感想を催促する。


「あ……」と、ヨーベルが驚いたような表情を浮かべる。

「すっごく、よく見えるようになりました。これは、まるで魔法のようです! わぁっ!あの海、あんなにも青くて綺麗なんですね! 遠くの景色までバッチリです!」

 メガネを掛けたヨーベルが、無邪気によろこんでいる。

「あんた、そんなに目悪かったの? なんでメガネかけるとか、してこなかったのよ」

 はしゃぐヨーベルに、アモスが訊いてくる。

「メガネを掛けるという、発想がありませんでした~」

 ヨーベルがあっけらかんという。

「あとですね~……。ずっと見えにくいのが、普通なんだと思っていたので」

 ヨーベルのうれしそうな言葉を聞き、そういうのってあるかもと内心リアンも思ったりする。


 バークは微妙な顔をして、はしゃぐヨーベルを見ていたが、リアンが助手席のバークにこっそり耳打ちする。

「次の街に着くまでの、つなぎ程度でいいじゃないですか」

「それもそうだな……」

バークは、リアンの空気を読んでくれた発言を聞き、そっとつぶやく。

「今度、新しいの買ってあげるわよ。それまで借りるってことに、しておけばいいのよ」

「それもそうですね~」

 アモスの言葉に、ヨーベルは素直に肯定してみせた。

「じゃあ、少しの間、借りようと思いますね。赤い色は、本当はあまり好きではないのですが~」

 ヨーベルが、赤いフレームのメガネをいったん外してしげしげと眺める。

「この状況で、贅沢いってるんじゃないの! 街で売ってるの見かけたら、ちゃんと新調してあげるわよ!」

 アモスが、ヨーベルの頭にまた軽く手刀を落としていう。

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