95話 「凸と凹」 其の一
「でな、舞台の上で延々カードゲームしてる、振りだけなのよ。カードぐらい使えばいいのに、振りしてるだけ、それを真剣に観てるのよ。あれの、何が面白いのって訊いたらさ~。真剣勝負、駆け引きを演じている役者さんのお芝居を楽しむのよ、とかいうわけ。意味わかんね~よ、まったくさ。デカい声出して、大げさな身振り手振りするのが、演技なのかよって感じなわけ」
後部座席を占領するように横になっていたケリーが、つまらなさそうに爪を磨きながら吐き捨てる。
先日会った女とのデートで立ち寄った演劇の、そのつまらなさについて文句をいっていた。
そんなケリーの愚痴を、助手席のエンブルは黙って、棋譜を眺めながら無視していた。
ゲンブは、ケリーの話しを適当に流しながら、周りの風景を眺めてみる。
生け垣の向こうに、火事で消失した建物が見えた。
昨日の連続放火で消失した、それなりの規模の劇場らしかった。
ケリーが演劇の文句をいい出したのも、あの焼けた劇場を見たからだった。
けこう規模の大きな火事だったらしく、周辺の建物にも延焼が見られた。
すでに火は消し去られているが、まだ焦げ臭さが鼻を突く。
「単に、その役者が好きなだけだったんだろ。で、結局その女とはどうなったんだよ?」
ゲンブが結論をケリーに尋ねる。
「おまえ、そりゃ愚問だぜ! 演劇志望の女ってのは、あっちの時も喘ぎ声がすごくてなぁ。しかも、なんかいろいろ喋りまくるんだ、実況かよ! ってぐらい。思わず笑っちまいそうになったが、本人、あれも芸の肥やしとか思ってんだろうな」
ケリーが下品に、思いだし笑いをしながら上半身を起こし、備えつけの氷室を開けてそこから酒を出してくる。
朝っぱらから酒だが、それについては誰も突っ込まない。
「おいっ! いつまで待たせるんだよ!」
変わりに飛んできた突っ込みは、エンブルのゲンブへのイラついた怒声だった。
「もう少しだよ……。黙って待ってろよ! っていうか、まだ一時間も経ってないだろ」
ゲンブが車の時計を見て、うんざりしたようにいう。
「おまえはほんと、諜報任務に向いてないよな? 待つのが基本の、お仕事なんだぜ!」
ケリーが酒瓶の蓋を開けると、そのままラッパ飲みする。
開いた氷室には、大量の酒やつまみ、冷凍された食品が入っていた。
氷室の蓋を閉めるケリーが、冷気で曇ったメガネを拭く。
「俺たちは急いで、キタカイに向かわなきゃダメなんだぞ! いい加減にしろよ! こんなに朝早く出るから、どういった理由かと思ったら。いったい、誰を待つっていうんだよっ!」
エンブルが棋譜をたたき、運転席でぼんやりしているゲンブに怒鳴り散らす。
ゲンブはそんなエンブルをチラリと一瞥して、なんでライ・ローの旦那は、こんなヤツと気が合うんだ? と不思議に思う。
チェス仲間だというのは知ってるが、他に何の趣味が合うのかをゲンブは思い返す。
ここまで神経質に生きていて、人生窮屈なだけだろうと余計な心配までしてしまうほどだった。
「お~いっ! ゲンブ! この不細工も、うるさいしさぁ。いい加減、サプライズの件だけでも教えろよな」
ケリーがそういって、長椅子の上で風俗雑誌を読みながらいってくる。
そういやこいつも、ついさっきキネから叱責されたというが、もうケロッとしてやがるなとゲンブは思う。
ケリーはケリーで、どこまでもいい加減で、その神経の図太さがゲンブの理解を越えるのだ。
「もう少しでわかるって! 絶対、こっちに来るはずだから、待ってろって!」
ふたりに比べたら、というか色物ぞろいのサルガの中で、俺ほどまともな人間はいないんじゃないかとゲンブは思ってしまう。
そんなゲンブに、エンブルがさっそく噛みついてくる。
「来るはず! ってなんだよ! 今回ケリーのポカで、俺の評価まで下がったはずなんだ。これ以上、下手打てないのは、お前も一緒だぞ!」
エンブルが、こんなことをいってくる。
不思議なことに、フリーの傭兵のはずなのに、やけに成果や功績に拘るのも、隊員には半数ぐらいいるのだ。
改めてサルガという、奇跡のようなコマンド部隊の存在に、ゲンブは不思議な縁を感じる。
「俺たちゃ金さえもらえりゃ、それでいいんだからよ~。誰からの評価を、気にする必要があるんだよ?」
ケリーがパラパラと、女体写真多めの雑誌をめくりながら尋ねてくる。
その言葉を聞いて、ゲンブも心の中で同意しておく。
「おまえらは、組織の一員としての自覚がないのか!」
エンブルが、怒鳴ってケリーにいう。
「そんなのね~よ! いまさらおまえ何いってるの?」
ケリーの言葉に、エンブルは歯軋りをしている。
エンブルの中で、やっぱりライ・ローのところに素直に戻れば良かった、という後悔が湧き上がる。
しかし、いまさら「やっぱり帰る!」「実は帰還命令も出てた!」といいだせなかったエンブル。
エンブルは震える手で、ライ・ローが作った、車内でも駒がくずれにくいチェス盤を取りだす。
そして、心を落ち着かせるように棋譜を見ながら駒を配置していく。
そんなエンブルの様子を見ながら、ゲンブがつまらなさそうにため息をつく。
ゲンブにしても、今回のここでの張り込みは賭けだったのだ。
ひょっとしたら賭けに負けて、目的の連中と出会えない可能性もあったのだ。
若干、不安になりつつもう一度時計を見る。
「キタカイに向かう便は、あの駅からしか出てないからな。間違いなく、それに乗るために、ここを通るはずなんだよ。だから、信じて待……」
ここでゲンブが、こちらに向かってくる集団を見つける。
ゲンブが前のめりになる。
それは、賭けに勝った瞬間だった!
「あれだっ! あいつらだよっ! こっちに来てる、あの団体だよ!」
ゲンブが興奮気味に、まだ人通りの少ない歩道を、集団で固まって歩いてくる男女の姿を指差す。
「んん?」
ケリーが座席から身を乗りだし、メガネをかけた目を細めて、ゲンブの差す方向を見る。
「うっおおおおっ!」という声を絞りだすケリー。
「女が! ふたりも、いるじゃね~か! あれがガイドだってのか! サプライズってそういうことか!」
ケリーがゲンブの座席をユッサユッサ揺らして、興奮しながらいう。
「ああ、そうだ! で、揺らすな!」
ケリーを一喝すると、ゲンブがハンドルに手をかける。
「決まりだっ! 決まりっ! 即決だろ、こりゃっ!」
ケリーがゲンブの肩をバンバンたたき、出発を促す。
「だろ? どうよ? 待った甲斐が、あったってもんだろ?」
得意満面のゲンブがアクセルに力を込める。
「早く早くっ!」と叫ぶケリー。
「落ち着けっ! 色魔っ! ゲンブ! なんだあいつらは?」
エンブルが、興奮しっぱなしのケリーをにらみながらゲンブに尋ねる。
「同じ宿に泊まっていた連中で、エングラスに向かってる劇団員らしい」
ゲンブがそう説明して車を動かす。
道行く人々が、ゲンブの運転するガッパー車を、興味深く立ち止まって眺める。
「同じ宿? 劇団員?」
エンブルが、駒をいじりながら怪訝な顔をする。
「そんなこと、どうでもいい! 女だよっ!」
「どうでも、いいことあるかっ!」
ケリーに、持っていた駒を投げつけたくなる衝動を、エンブルは必死にこらえる。
「あれを見ろっ! 両方レベルが高いぜ~!」
「ん?」と、いってケリーが考え込む。
「同じ宿に?」
ここでケリーが、ゲンブの言葉の意味に気づく。
「ファニール亭だっけか、あそこのことか?」
「ああ、決まってるだろ。何度か、宿の従業員と、話してるのを見かけてな」
ゲンブが、ケリーに説明しながら、ゆっくりと目標の集団に近づく。
「お、同じ宿に、いたのかよ……。俺は……、全然、知らなかったぞ? ちっくしょう。あんな年増じゃなくて、あっちのが良かったぜぇ……」
ケリーが、手をつけたヒロトの母親のことを話題に出し、どこまでも下衆いことを口にする。
「お前は黙ってろ! この色ボケっ! 見ろっ! ガキまで、いるじゃないか!」
エンブルがそういうや、前方の路面列車の踏切が警告音とともに下がりだす。
「ちっ! 渡れゲンブ! 見逃しちゃ、もったいねぇ!」
ケリーがゲンブを急かす。
「バカ、ヤツらはキタカイ行きのバスに乗るために、ここを通ってるんだ。この道から、どっか行くわけないだろ」
踏切が閉まり、ゲンブたちを乗せた車が停車する。
ソワソワしているケリーが、女ふたりにばかりを気にしている。
「ガキだけじゃなく、野郎ふたりも一緒じゃないか」
「んなこと、関係ね~よ!」
エンブルの声に、ケリーが煽るようにいう。
「関係なくないだろっ! 二組の夫婦で、ガキがどちらかのカップルの子供だったら、どうするんだよ! なんだ? 旦那とガキ殺して、女かっさらう気かよ!」
エンブルが、冗談とも思えないことをいう。
「夫婦だろうが、そういうのは愛欲の前には、些細なことなんだよ!」
「同意見だっ!」というゲンブ。
「別に、旦那とも仲良くしていいだろ。上玉の女が一緒、っていうのがポイントなんだよ! ほんと、この不細工ちゃんは、わかってないな」
ケリーに煽られ、エンブルが手にした駒をプルプルさせる。
回送列車が四両、目の前をゆっくり通過する。
エンブルは、列車の音で気分を落ち着かせ、ゆっくりチェス盤に駒を並べていく。
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