94話 「一応贈る言葉」 前編

 ヒロトが、さっそく劇団員たちに囲まれている。

 ひとりひとりに対して、ヒロトは過剰とも思える挨拶をする。

「ぎこちない笑顔ねぇ」

 そんなヒロトを見て、アモスがクククと笑う。

「でも、歳相応の女の子らしい、感じになったんじゃないか? ヒロトちゃんに、新しい仲間ができて良かったよ」

 バークがそういい、ホッと胸をなで下ろす。

 アートンも、微笑ましいヒロトのぎこちなさを見て、笑顔になる。

「ヒロトちゃん!」と、アートンが大きな声でヒロトを呼ぶ。

 ヒロトが、自分に声をかけてくれたアートンを見る。

「こうして、新しい道が拓けたんだ。そっちはそっちで、大変な生き方かもしれないけどね。この大きな転機を、チャンスに換えるんだよ。頑張って、前向きに生きていこうな!」

 アートンがヒロトを激励する。

「は、はいっ!」と、ヒロトは深く礼をする。


「君が学校に、通っていないことは、もう聞いたよ」

 団長のリコがそういい、ヒロトは少し暗い顔になる。

「きっと何か、事情があったんだろう? でも、その理由は訊かないでおくよ」

 リコの言葉を、ヒロトは神妙な表情で聞く。

「でも、どんな過去であろうと、すべてはヒロトちゃんの芝居の糧になるはずだよ」

 団長の言葉に大きくうなずく、ヒロトの目は輝いていた。

「つらい思い出に囚われず、どうなりたいかっていう未来を、見定めることよ。どんな人生でも演じられるの、わたしたちは。だから兄さんのいったように、すべてを糧にするといいわ。新しいあなたを演じるとともに、自分の個性を形成していくといいわ。ウフフ、いうほど簡単なことじゃ、ないのだけれどね」

 劇団の花形でもありそうなヒエムスが妖艶な声で優しくいい、ヒロトを励ましてくれる。

「今朝は来てないけど、あなたと歳の近い子もひとりいるのよ。彼も、同じぐらいの歳の友達欲しがってたし。ヒロトちゃんの入団、きっとよろこぶわ!」

 利発そうに話すフレイアの娘がいい、ヒロトの手を握る。

「あなたの人生にとって、この劇団は、決して無駄にならないってことを約束するわ」

 ヒエムスが美しい姿勢を保ったまま、優しくヒロトに語りかけてくる。

「は、はい……」と、ヒエムスの女優オーラに、さっそく圧倒されたようなヒロトが神妙にうなずく。


「俺たちと、一緒に旅するっていう選択肢もあったろうけど、やっぱりそれは、現状から逃げるだけかもしれないからね」

 アートンが、ヒロトにそんな言葉をかける。

 しかしヒロトにいったその言葉に、リアンは反応してしまう。

 昨日ヒロトに告白したように、現状から逃げてる自分を認識しているリアンが、心苦しい気持ちになってしまう。

 でもアートンは、別にリアンを責めるつもりで、いったわけではないことも理解していた。

 少し表情を引きつらせ、リアンはうつむいてしまう。

「この街に留まって、新しい人生を歩んでいくという、生き方、ヒロトちゃんにとって、それが一番いいはずだよ」

 アートンの激励が、そう締めくくられた。

「はい、わかりました」と、ヒロトが元気に返事をする。

「みなさん、これから! ど、どうぞ、よろしくお願いします!」

 ヒロトが改まって、劇団員の全員に頭を下げる。

「こちらこそ、よろしくな、ヒロトちゃん」

 リコが、ヒロトの下げた頭を軽くなでる。

「新しいメンバーとして、歓迎するわ。決して甘い世界じゃないから、そのあたりは覚悟しててね?」

 ヒエムスが静かだが、どこか厳しい口調でそう語りかける。

「はいっ!」とヒロトは姿勢を正す。


「ヒロトちゃんは、もう大丈夫そうな感じですね~」

 左手で、後頭部の辺りを押さえたままの姿勢でヨーベルが、ニコニコしながらいう。

「だなっ!」とアートンも即答。

「ほ、本当だね。き、きっと、ヒロトなら大丈夫だよ……」

 まだアートンの言葉のダメージから、回復しきってないリアンが、無理からそう口にする。

「団長さん、ヒロトちゃんのこと、よろしく頼みます」

 バークがそういい片手を振る。

「ええ、任せてください」

 リコがバークに会釈して返す。

「で、あなたたちはこれから、エングラスに向かうんですって?」

「ああ、い、いちおうね」

 リコの言葉に、バークがちょっと狼狽しながら返事する。


「演劇の本場に行けるなんて、羨ましいなぁ~」

「だねっ! だねっ!」

 若い劇団員たちが、羨ましそうにはしゃぐ。

「そこのあなたは、いい役者になれる素質がありそうだわ」

 ヒエムスが、美しい所作でアートンを指差してくる。

「あ、そりゃどうも」

 咄嗟だったので、アートンは陳腐な返事をしてしまう。

「このお兄さんは、ルックスも性格もいいしね! わたしゃ期待大だよ~!」

「サインも、大事にさせてもらいますからね~」

 従業員たちが、アートンを褒めちぎる。

「若干、気が弱そうな感じがするけど……。度胸は、場数を踏めば、ついてくるからね」

 リコが笑いながらアートンにいう。

「こいつのキョドりは、なかなか治んなくてねぇ! それさえなけりゃ、舞台でも映えるかもしれないのにねぇ」

 アモスがいつの間にか、アートンの真横に来ていう。

 それに対して、アートンが不満そうな表情になる。

「ふふ、いつか同じ舞台に立てることを、楽しみにしているわ」

 ヒエムスが、憮然としているアートンを見ていう。

「あ、ああ……。そ、その時は、どうぞよろしく頼むよ」

 アートンが急いで姿勢を正して、アモスの視線を気にしながらいう。



「じゃあ旦那さん、また来てね~」

「もちろんだよ、ここでの仕事も慣れてきたようだね~」

 薄暗い階段で、ファニール亭の親父バッツが若い娼婦と抱き合う。

「最初は怖かったけど、お客さんみんな、いい人で良かったです~」

 若い娼婦が、バッツの首に手を回して抱きつく。

 そんなふたりが建物から出てくると、驚いてしまう。

 隣の宿の前で、すごい人数の人々がたむろしていたのだ。


「あっれ~……。なんだいこの騒ぎは? 団体さんかい?」

 バッツが、集団の中に娘のヒロトを見つけて、慌てて娼婦を建物に帰す。

「あっ! と、父さん!」

 若い娼婦が、バッツに追い立てられるように建物の階段を上がっていくと、ヒロトが父親を見つける。

 慌てて「な、なんだい、ヒロト」と、しどろもどろになりながらいう。

「こ、こちらの、あれ? ヨーベルさんたちもですか! 皆さん、こんな朝早くに、どうされたんですか? しかも髪っ! どうされたんですか?」

 バッツが長い髪を切ったヨーベルを発見して、驚きの声を上げる。

「バークさん急いでましたよね、詳しいことは、わたしたちが後で話しておきますよ」

 フレイアが、バークにそう耳打ちしてきてくれた。


「父さん!」

 するとヒロトが、大声で父親にいう。

 なんだか顔つきまで変わって、別人のようなヒロトの、真剣な口調にバッツも身を正す。

「あたしっ! これから、この人たちと一緒に演劇の勉強するから!」

 ヒロトが、リコたち劇団員を紹介してそう宣言する。

「え、演劇?」

 突然の娘からの告白にバッツは驚く。

 しかし、バッツにとっては、特にあまり興味のないことだった。

 むしろ引きこもってたり、例の反エンドールの集会で騒いでいるよりかは、マシと判断したのだ。

 面倒さえかけなければいいわけだし、演劇なら好きにさせておけば、いいかと思ったのだ。

 父親とは思えないぐらい、いい加減な人間だが、バッツは教育方針には母親に任せていたので、ノータッチだったのだ。


「はぁ……。別に構わんが、母さんに迷惑だけかけないようにな」

 母親のことを少し口にしたが、すっかり愛情も興味も失っているバッツにとっては、形式的な言葉にすぎなかった。

「しかし、ずいぶん急だが、どうしたんだよ……。やっぱり、ヨーベルさんたちと一緒にいて、影響受けたのか?」

 バッツの問いに、「そ、そんな感じ……」とヒロトは答える。

 全部が全部嘘というわけでもないし、ヒロトはそういうことにしておいた。

「はじめまして、お父さま」

「おほぅっ!」

 いきなり、ヒエムスから声をかけられて、露骨にバッツがうれしそうな顔になる。

 ヨーベルとはまた違った、可憐で高貴なイメージを持つ美女の出現に、バッツのテンションが上がる。

「娘さんの選んだ新しい道を、お父様からも応援してくださると、うれしく思いますわ」

 ヒエムスは、透き通った美しい声でバッツにいう。


「責任持って、ヒロトちゃんを、育てさせていただきます! お父様も、どうぞご安心ください!」

 リコがつづけてバッツにいうが、ヒエムスに夢中のバッツは、視線をずっと彼女に向けていた。

「お、おおぅ。そ、そうですか~」

 ようやくリコの存在に気づき、バッツが照れ臭そうに頭をかく。

「クソ生意気な娘ですが……。まあ、どうぞよろしくお願いしますよ。逃げだしやすい性格なので、その時は簀巻にでもして、拘束してやってください」

 とても、父親とは思えない言葉をバッツは吐く。

「あたし、今回は本気で、頑張るつもり。だ、だから、構わないよね?」

 しかしヒロトは、バッツに真剣にそう尋ねる。

「まあ……。おまえが、それを選んだっていうなら、それでいいけど」

 バッツは、まだヒロトをどこか信用していない感じを、隠しもせずいう。

 親子としての関係が、拗れた期間が長かったから、仕方ないかもしれなかった。

 でも、今回のことをきっかけに良い方向に進むことを期待するように、バークは一連の流れを黙って見ていた。


 父親からの承諾が出たことで、ヒロトや劇団員がよろこんでる。

 リアンたちも、ヒロトに「良かったね」と声をかけてる。

 そんな賑やかなヒロトたちを見て、バッツがまた頭をかく。

「なんだか、わたしは邪魔そうだから……。とりあえず、退散しとくよ。ヒロト、お前の人生なんだから、好きなようにやりな」

 バッツがヒロトに語りかける。

「落ち着いたら、どうなったか話してくれや。う~ん、あと母さんにもな……。じゃあ、頑張れよ」

 バッツは、手を振ってそういうと、宿には戻らず路地裏に消えていく。

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