93話 「冷ややかな熱意」
水道の水音が止まる。
水浸しになった顔を、鏡に映ったヒロトがジッと見つめる。
「今日からあたしの、新しい未来がはじまる……」
ヒロトは不安に震えた声ながらも、新たな決意を込めた目つきで、自分自身を見つめる。
「上手くいくか、わからないけど……。でも、これはみんながあたしのためを思って、用意してくれた絶好のチャンスなの。それを活か……」
ヒロトが最後までいい切る前に、声をかけられてしまう。
「おい、おっせぇよガキ! 便所にいやがったか」
アモスの姿を確認して、ヒロトは飛び上がらんばかりに驚く。
「あっ!」という声を上げて、アモスに向き直る。
拭き取ってない水飛沫が、アモスの生足にかかる。
「迎えが来てるぞ、急げよな~」
水飛沫をチラリと見たが、それだけいってヒロトを階下に誘う。
「お、おはようございます!」
ヒロトは、直角に折れ曲がらんばかりにアモスに会釈する
「あら? ずいぶん、しおらしくなったわねぇ」
ヒロトの豹変した丁寧な態度に、アモスがニヤニヤしながらいう。
「今まで失礼な態度ばかりで、すみませんでした!」
腰を曲げた姿勢で、顔だけアモスに向かって、ヒロトは大声で謝罪する。
「フフフ……。あんた泣いてんの? こんな状況で引っ張ってたら、またあたしが脅したみたいじゃないのよ。はい、起立!」
アモスが、手をパンッとたたく。
条件反射的にヒロトが背筋を正す。
「そう、それでいい。ほら、行くよ」
アモスが先導して、ヒロトをトイレから連れだす。
「ちゃんと、歳相応のガキに戻れたようね。結果オーライって、感じかしらね?」
「き、昨日、あなたが……。あたしの目を、覚まさせてくれたおかげです!」
ヒロトがそういうと、アモスがピタリと歩みを止め振り返る。
ドキリとするヒロトが、思わず少し後ずさってしまう。
「あんたが、自分の意思で厚生したのよ。元から、きっかけが欲しかったんでしょ? 昨日たまたま、そのきっかけが起きたのよ。それを、あたしらのおかげっていうなら、そういうことにしてもいいけどねぇ」
アモスはクククと笑う。
「ねぇ、ヒロト?」
「はい……!」
アモスの、優しい声に反応して彼女を見たが、その表情にヒロトは驚愕する。
「今だからぁ、教えたげるわ」
アモスは口角を斜めに上げて、ポーチから例の鋭利なナイフを取り出してヒロトにいう。
「実はね、あのキモキモしい連中。あんたの目の前で、血祭りに、挙げてやろうとしてたのよ。ゆっくりザクザク、いたぶり回してね……」
アモスの動かすゆっくりとしたナイフの軌道を、ヒロトの眼球だけが追いかける。
「ストレス解消に、人斬り刻むのって、あたし楽しくてたまんないのよぉ。ここ数日、平穏無事だったし、気晴らしにいいかなってね……。あたしもハッピー。あんたも心惑わすクソどもが消えて、ハッピーじゃない?」
言葉とは裏腹に、ヒロトを見下ろすようなアモスの視線は、完全に凶気を感じさせる。
「でもね……、リアンくんに、止められちゃってさぁ。予定、狂っちゃったわけ。意外な勇敢さを、稀に発揮するのよね、あの子。可愛らしいったら、ありゃしないわ」
そう笑うアモスだが、目だけはヒロトを見据えたまま、凶気の光りを宿したままだ。
「そんなリアンくんが、なんとかしてあげて、っていうから……。あんたのこと助けたのよ。わかる?」
アモスがそういうと、ナイフをヒロトの首筋に近づける。
「つまりね、あんたが今回のことをきっかけにして。厚生して、役者として成功しなきゃ。リアンくんの熱い思いを、踏みにじった、ってことにもなるのよ。それって、許されることじゃないわよね?」
アモスにそういわれ、ヒロトは無言で何度もうなずく。
「理解は、してるようね……」
ヒロトの反応にうなずくと、アモスはナイフをポーチにしまう。
「……じゃあ、行くわよ。こっちも急いでんのよ」
アモスが表情から、凶気を消し去りいってくる。
「は、はいっ! わかりました!」
ヒロトは直立不動の姿勢で返事をする。
「フフン、その素直な気持ちは、今後も忘れないことね」
「は、はい!」
ヒロトが姿勢を正して返事して、アモスとふたりで階段を降りる。
「そういや、あんた……。自分をバカにした連中を、見返してやりたい、ともいってたわよね」
階段を降りながら、ヒロトを振り返らずアモスがいう。
「あっ、それは……」
ヒロトはアモスに指摘され、少し狼狽する。
「その怒りの感情は、絶対に忘れないことね!」
「えっ?」と、アモスの言葉にヒロトは驚く。
「そういった連中に、復讐するのはね……。死ぬほど頑張りまくって、成功してやって。見違えたあんたの姿をね、皆殺しにしてやりたいクソどもに、いつか見せつけてやることなのよ」
アモスは階段を降りながら、一切ヒロトのほうを見ずにいう。
「怒りと復讐心は、成就達成への糧よ。その感情だけは、胸の中で常に滾らせておくことね」
アモスの言葉をヒロトは黙って聞く。
「ただし……。それは態度には、出さないようにしておきな。最初に会ったような、ナメた態度……。あれ、相手によっては、あんた」
階段を降り切ったアモスが横目で、後ろにいたヒロトを睨む。
「ただじゃ、済まないことになるからね……。その覚悟があるなら、別だけどさ。ほら、もう来てるみたいよ」
アモスは早朝だというのに、騒がしいフロント方向を指差す。
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