92話 「出発の朝」
午前五時前。
「エヘヘヘへ……」
ヨーベルが少し照れながら、頭の悪そうな笑顔を振りまいていた。
どこか気恥ずかしそうにして、いつにも増してモジモジしている。
ファニール亭の、宿のフロントに集まっていた、他のメンバーが唖然とする。
その四人の注目を浴びて、ヨーベルがますます赤面する。
「あんた……」
アモスがここで声を出す。
「髪、どうしたのよ?」
アモスが指差したのは、ヨーベルの頭髪だった。
ヨーベルは、腰ぐらいまであった長い金髪を、バッサリと自分で切り落としていたのだ。
今は首が隠れるぐらいの短さにまでなっていた。
ちょっと時間をくださいといっていたので、放っておいて帰ってきたら、勝手に断髪していたのだ。
この行動には、アモス含め呆然とするしかなかった。
「ほら、昨日あんなこと、ありましたでしょ? 長いままだったら、人目につくかなって思いまして……」
ヨーベルが、髪を切った理由を教えてくれた。
確かにヨーベルの金髪は長く、人目を引くものだった。
特徴的なその長い金髪を、記憶している人間も多かっただろう。
そしてそこに、フレイア従業員と数人の女性従業員が現れる。
「みなさん、そろそろ用意できましたか?」
別れの挨拶をしに、お世話になった従業員たちが、わざわざこの日の朝のために集まってくれたのだ。
しかし、従業員たちが真っ先に、変化したヨーベルの容姿を見て驚きの声を上げる。
「あれまあっ! ヨーベルさん!」
「どうしちゃったんですか?」
従業員たちが目を丸くして、ヨーベルの髪に注目する。
「あんなに綺麗な髪だったのに、もったいない……」
「役作りのためですか?」
フレイアたちが、心配そうに尋ねてくる。
「エヘヘ、そんな感じです。これからも役を演じて、頑張らなきゃいけないので~」
ヨーベルが、そんな言葉をフレイアに返す。
すると。
「このバカッ!」
アモスの怒号がフロントに響き渡る。
全員が驚いてアモスの顔を見、ヨーベルが身を縮ませる。
「勝手な行動は、二度としないって! 昨日、約束したばっかでしょ!」
アモスがヨーベルに怒鳴ると、リアンがアモスの袖を引っ張る。
アモスの言葉に、ヨーベルは「あっ……」と漏らす。
「そ、そうでした……」
完全に忘れて、またスタンドプレイをしてしまったヨーベルだった。
「な~んで勝手に、そんなことするのよ! 誰かに相談したの!」
アモスは、チラリと袖を引っ張るリアンを見るが、リアンは聞いていないという感じで首を振る。
「ご、ごめんなさい……」
アモスの言葉にヨーベルが謝る。
アモスは大きくため息をつく。
「まあ、アモスここは……」
リアンが、アモスをなだめる。
「でも、今回は許したげるわ。それだけ、あんたもこの旅に、真剣ってことみたいだしね!」
アモスがヨーベルに、一発チョップを軽くかましておく。
「その長さでも、似あってるしさ! ムカつくわね、ほんと!」
「ヨーベルが、そこまで考えてくれての行動だとしたら、こちらとしてもありがたいよ。いろいろアレだろうからね、これから……」
バークが、含みのあることをいう。
実際ヨーベルの特徴である、長い金髪がこれで消えたことで、追手の追跡を少しでもかわしやすくなったのは事実だった。
今回の独断専行は、結果的にこの一団にとって、いい方向に傾いたとバークは感じた。
しかしアモスのいった通り、ヨーベルが勝手に判断して行動するという悪癖は、今後改善させたいなとバークは真剣に思う。
いつまた、ネーブのところに向かうといった、危険な行為を取るかわかったものでない。
バークも少し厳し目に、旅の間、ヨーベルにいい聞かせておこうと決めた瞬間だった。
「よ、良かったです~。でも、勝手なことしてすみません」
ヨーベルが、頭を下げて謝る。
「しっかし、思い切ったな!」
ヨーベルの短くなった髪を見て、バークがもったいなさそうにいう。
「ちょっと、ガタガタなんですけどね……」
ヨーベルは恥ずかしそうに、手を後頭部に当てて切断面を隠す。
「切った髪は、どうしたの?」
リアンが、素朴な疑問を訊いてきた。
「いちおう、カバンに入れてますけど……。旅先で処分しますね」
ヨーベルは、サイギン滞在中に買ってもらったカバンを見せて、中に髪があることを教える。
「とにかく! 次から何かする際には、絶対に事前に相談すること! これは約束よ! いい!」
アモスの言葉に、「了解です!」とヨーベルが敬礼する。
「あと、これから何かポカしたら、あんたも髪切れ。坊主だ坊主!」
「な、なんで急に、矛先が俺に向くんだよ……」
アモスの突然の提案に、アートンが不満そうに声を上げる。
宿の外の、舗装されていない道路を走る、若い少女がいた。
必死にファニール亭まで、全速力で走っている。
それを、宿の隣の売春宿の娼婦が、不思議そうに眺めている。
「お母さんっ!」
入り口から突然聞こえた少女の声で、フロントにいたリアンたちが驚いて振り返る。
入口には、息も絶え絶えの、リアンよりも少し年長といった感じの少女がいた。
「ま、まだみなさんいます?」
ハァハァと荒い呼吸音を整えながら、地面を向いたまま少女が尋ねてきた。
「はぁ、あ、あれ?」
少女が顔を上げると、母親だけでなく、見知らぬ顔の人物たちも目に入る。
「ひょっとして……、ハァハァ」
少女がフロントに集まっていた、リアンやアートンたちを見て指を差す。
「ええそうよ、お急ぎのところ、待ってくれてたのよ。本当はもう少し早くに、出発したかったようなのに」
フレイアがそういう。
少女はフレイア従業員の、劇団に所属しているといっていた娘だった。
「いやいや、わざわざこんな早い時間に来てくれて、感謝ですよ。本来なら、寝ててもおかしくない時間だよ。無理をいってるのはこっちだからね、気にしなくてもいいですよ」
バークが、まだ呼吸の荒い少女にいい安心させる。
「そうですか、良かった、ハァ……。ちょ、ちょっと待って下さいね。ハァ……、劇団のみんなも来れる人は全員来ますので」
少女は宿の外に出ると、大きく手招きをする。
「団長~! 早く早く~!」
少女の声が響く。
「ところで、肝心のあいつ遅いわね」
アモスが、ヒロトの姿がまだないことに気がつく。
「ほんとだね……」
リアンが呼んでこようとしたら、アモスが制止する。
「あたしが呼んでくるわ、待ってなさい」
「こ、怖いことしちゃ、ダメだよ……」
アモスの提案に、リアンが不安そうにいう。
「あら? 怖いことって、どんなことかしらぁ?」
アモスにそういわれリアンは困惑する。
「大丈夫よ、あのバカ娘の新しい門出よ。あたしなりの、激励もしてやるわ」
アモスは、ヒロトを迎えに二階への階段を上がる。
その後姿を見て、リアンは不安そうにする。
「だ、大丈夫かな……」
「平気ですよ~。アモスちゃんに、お任せしましょう~」
ヨーベルは、何を根拠にいってるのか不明だが、とりあえず不安なリアン。
あまりにも心配なので、リアンもアモスのあとを追うことにした。
しかし、フレイアの声が聞こえた。
「お待たせしました、みなさん。本当はお急ぎのところなのに、勝手いってすみません。ご紹介する劇団は、団長さん含め、みなさんいい人ばかりですので」
リアンはヨーベルに手を引っ張られ、アモスの追跡を断念させられる。
そして、フロントに五人ほどの男女が現れるのを確認する。
「お待たせしました、みんな連れてきましたよ!」
かなり呼吸も整ったフレイアの娘が、劇団員を紹介する。
「みなさん、おはようございます。わたしがこの劇団を主催している、リコ・レムレンです」
三十代半ばといった感じの、あまり役者とは思えない中肉中背の、冴えない男性がそう名乗った。
そしてリコは、隣の女性を紹介する。
こちらはリコとは違い、明らかに絶世の美女といっていいほどの、ルックスを持った女性だった。
「こちらが妹のヒエムス、うちの役者です」
団長のリコが、妹だといって紹介した美人が礼儀ただしいお辞儀をする。
「みなさん、はじめまして。朝早くにご苦労様です」
ヒエムスは兄のリコよりも背が高く、百七十ぐらいはありそうな、細身の女性だった。
丁寧に深々と頭を下げる所作が、とても美しい。
「僕も一応役者だけど、団内では人数合わせの大根さ。他の子は……、おっと、急ぎだったんでしたね? じゃあ、今回は割愛ってことで」
リコがそういうと、少し不満そうな表情の他の団員たち。
国籍が皆バラバラで、異国情緒あふれたサイギンという街にふさわしい、劇団のような気がしたリアン。
肌の色や人種が違う役者たちは、まだ若く、全員二十代前後という感じだった。
その中でも、ヒエムスという女優だけは、際立っており彼女も若いんだろうが、年齢不詳な妖艶さをすでに持っていた。
リアンは、不思議な魅力を醸しだすヒエムスという女性に、珍しく釘づけになってしまっていた。
「こちらこそ、わざわざありがとう、こんな朝早くに。え~と、俺がここの団長の、バークです……」
バークの明確な慣れない嘘に「まあ、そうなるよな」と、アートンは心の中で思う。
「わあ~、本物さんは、やっぱりオーラが違うのですね!」
するといきなりヨーベルが、ヒエムスのところに駆けよって、彼女をマジマジと見る。
「ウフフ、あなたも同業さんって、聞いているんですけど?」
もっともなヒエムスの言葉に、ヨーベルが「そうでした~」と恥ずかしそうにいう。
「この娘は役に入り込むと、リアルでもその設定、引きずるところがあってね。つまり、そういう感じのが、今ちょっと出ちゃったのかな」
バークが慌てて、ヨーベルの行動の弁明をする。
「おおっ! 憑依タイプの、演者さんなんだね!」
リコがそういうと、他の劇団員も「すごい~」とヨーベルに注目する。
「そっちの子も、可愛らしいよ~」
若い劇団員が、リアンを指差してくる。
いきなりのことで驚いて思わず、リアンは固まってしまう。
「ほんとだ~!」
「ねぇ、君っていくつ?」
「お名前教えて~」
矢継ぎ早に、質問がリアンに飛んでくる。
するとクンクンと、ヨーベルがなんだかまた、犬のように臭いを嗅ぎだす。
ビックリして全員が、ヨーベルの奇行に注目する。
「なんだか、焦げ臭いですね~。誰かパン、焼き過ぎましたか?」
そして突然、ヨーベルはこんなことをいう。
「アハハ、この娘はこういう人なんですよ。いろいろ変わってってね」
バークが取り繕うように笑う。
そのおかげで、リアンへの質問責めは中断された感じになって、リアンはホッとした。
フレイアの娘さんが、リアンに手を振ってきたので、リアンが軽く振り返す。
リアンはなんだか赤面してしまう。
「で、今回紹介していただける、ヒロトちゃんはどちらです?」
団長のリコがそう訊いてきたが、まだヒロトの姿がない。
「今、準備しているようですよ。ちょっとだけ、待ってもらえますか?」
バークが、リコに待ってもらう。
リアンは、劇団の人たちから自己紹介を受けていた。
東洋系の人もいれば、イシュタン系の人種までいた。
リアンはアップアップしながら、慣れない会話をしていた。
そんな中、ヨーベルだけがまだかすかに、クンクンと鼻を動かして、臭いを嗅いでいるのが気になった。
焼き立てパンの臭いなら、この場にじゅうぶん漂ってきているのに、何を気にしてるんだろうとリアンは不思議に思う。
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