91話 「軽薄の結実」 後編

「次の任務だが、準備はどうなんだ?」

 地図上のキタカイという街を指差して、キネがケリーに尋ねる。

「午前中にでも出発しますよ、任せておいてください。ゲンブが、昨日の夜にもう準備も終らせてるみたいっす。車も乗りましたけど、あれ最高っすよ! 走ってたら、女が、見てくる見てくる! 凄まじい入れ食い状態ですよ!」

 ついさっきまで、叱責されていたのと同一人物とは思えないほど、完全にいつものケリーに戻っている。

「で、ゲンブにだけ行き先伝えて、女とお楽しみだったわけか」

「う、ああああ……。ま、まあ、そうなりますかね……」

 途端にうろたえるケリー。

「この辺りの情報伝達も、今後徹底しろよ! それさえしてれば、あとはおまえの好きなようにしてろ。いいな、伝達! これだけは必ずやれよ!」

 キネが念を押してケリーにいう。

「りょ、了解です!」

「信じておく、長い付き合いだ……」

「ぁざます……」

 ケリーはふざけた感謝の言葉を述べる。


「ゲンブが、キタカイまでの準備を全部してるってなら、安心だな……」

「俺と違って、見かけの割りに几帳面なヤツっすからね。もうすでにキタカイでの宿泊先まで、決めているぐらいですよ。なんでもカジノがあるホテルだとか」

 キネの言葉にケリーはそう答える。

「物資調達や後方支援に関しては、ヤツは誰よりも一流だ。それぞれ特化した得意分野があっての、俺たちサルガというひとつの部隊だ。おまえは、潜入諜報能力を買われて、ここにいるんだ。キタカイにも、いくつか注意すべき連中がいる、聞いているな?」

「ええ、そりゃもちろん」

 キネの言葉のほとんどに、ケリーは軽い感じで返事をする。

「最初にいっておくが、キタカイで騒いでいる連中も、少なからずこの街のバカと同じで、目糞鼻糞なヤツらばかりだ! だからといって、今回みたいな手抜きは絶対にするなよ! これは、本気で親身になって、忠告してやってるんだぞ」

 キネが厳しい口調で、バカだが愛着の強い弟分に忠告する。


「も、もちろん、承知してます! 今度は絶対大丈夫っす! 調査報告は、エンブルにその日の内に伝えて、事務的なまとめなんかはヤツに任せますよ。本気で大丈夫なんで、安心しててください」

 ケリーは柄になく、かなり真剣にキネに訴えかける。

「よし、じゃあキタカイは任せたからな」

 キネの言葉によろこぶケリーは、まるで飼い犬が主人に褒められたかのごとくだった。

「念のため、おまえたちが宿泊するホテルの名を教えてくれるか?」

 キネが手元のメモ用紙にペンを構えて、ケリーの言葉を待つ。

「勝利の白黒うさぎ亭、って名前ですね。キタカイで唯一の大型カジノがある宿って話しです。これ。ホテルのパンフっすね。せっかくだからお渡ししときますよ」

 ケリーが懐からパンフレットを取りだして、テーブルの上を滑らせる。

 そのパンフを手にしたキネが、しばらく眺める。


「そうだ話しは変わるが、ケリー。ひとつ、訊いておきたいことがあった」

 キネはそういいながら引き出しを開けて、ケリーからもらったパンフをしまい、自分が記入した手帳を探す。

 実はさっきから探しているのだが、なかなか見つからないでいた。

「なんですか?」と、ケリーが尋ねてくる。

「うむ、デスティラ、という名前に記憶はないか?」

 引き出しの手帳を探しながらキネが訊く。

「聞いたことが、あるような気がするんだが、いまいち思いだせなくてな……。おまえ、心当たりないか? 他の連中にも、訊いたんだが知らないみたいでな。だがこの名前、俺は絶対どっかで聞いたことあるんだよな……」

「デスティラ……、ですか? デスティラか、俺もなんか知ってる感じがしますね……。なんで知ってるんだっけか?」

 ケリーが、メガネを直しながらその場をうろついて、思いだそうとする。

「絶対、耳にしたことがあるはずなんだが、あと少しってところで出てこない」

「誰だか、思いだせないか?」といったあと、キネが目的の手帳を、引き出しの中から引き当てる。

「待ってくださいよぉ……。俺も絶対、その名前知ってます、思いだせると思いますから」

 ケリーがその場でうろうろして考え込む。


「こんな奥にいってたか……」

 ケリーが思いだしている最中、キネはようやく目的の手帳を見つけて取りだした。

 その手帳を開いて、ページをめくろうとすると、ケリーがパン! と手をたたいた。

「思いだしました! あいつです!」

 ケリーがそういってきた途端、キネは手にした手帳を落としてしまう。

 パサリと落ちた手帳のページが折れ曲がり、キネの几帳面な性格からか少し不快になる。

「あいつ、っていうと?」

 手帳を拾い、折れたページを直しながら少し不満そうにキネが尋ねる。

「ほら、アムネークで!」

 ケリーが、エンドール王国の王都の名前を出してくる。

「よくわかんない、ゴシック趣味のガキを相手にした、歌劇団やってる連中! あそこの劇団長が、確かそんな名前だったはずっすよ!」

 ケリーが大げさな身振り手振りを交え、演技しているかのようにそう教えてきた。


「ああっ! あいつか……」

 キネも、ケリーの言葉でようやく思いだした。

 同時にポスターによく載っている、白塗りで目や鼻筋をバッチリ化粧した男の顔を思いだす。

 確かそれなりに、いい男として評判だった気がする。

「なるほど、一応劇団の長をするほどの、有名人だったわけか。どこかで、聞いたことあるはずだ……」

 キネが納得したようにうなずき、折れ曲がったページがそのままの手帳をデスクに置く。

 ずっと気になっていたワードだったので、キネは胸のつっかえが取れたような気分になった。


「デスティラなんちゃら歌劇団、とかいう連中ですね。っていうか、なんで急にデスティラなんすか?」

 ケリーが不思議そうにキネに聞く。

「ネーブの事件の、重要参考人に浮上してきた名前でな」

「ああ、謎の女神官とかいうヤツでしたっけ」

 ここに来る途中で聞いた話しを思いだし、ケリーが途端にニヤついた顔になる。

「相当いい女、だったって聞いてますよ! どれぐらいなんですか? チヒロが女のことを褒めるなんて、珍しかったぐらいですよ」

 ケリーが興味津々という感じで訊いてくる。

「おまえには今回は関係のない話題だ、キタカイのことに集中してろ」

 ケリーの下衆い表情に不安を覚えたキネが、ピシャリとこの話題を打ち切る。

「そりゃないっすよ、どんな女だったんですか? ちょっとぐらい教えて下さいよ~」

「ダメだっ! ダメだ!」

 キネが手を振って、ケリーの要求を却下する。

 それと同時にキネは考える。


(有名人の名前を、偽名に使った感じか……)


「ちなみに兄貴!」

 ケリーがバンと、デスクを両手でたたいて迫るように話しかけてくる。

 その時の振動で、またキネの手帳が地面に落ちる。

 また少し、イラッとしたキネだが、ここは我慢する。

「あの舞台のチケットは、女に人気あるんすよ! いい餌になるんですよ! あの劇団! なんでかは俺も、よくわかんないんですけどね!」

 ケリーが、デスティラという男が主催する劇団を力説してくる。

「そういう話なら、興味はない!」

「兄貴もいい男なのに、もったいないな~。もっと女遊びしても、おかしくないぐらいですよ」

 女絡みの話題には、不思議と乗ってこないキネを、ケリーは不思議がる。

 キネが、別に同性愛者ではないのを知ってはいるが、ケリーにはこの辺りの貞操の硬さが、理解不能だったのだ。

 ちなみに、ケリーをここに運んだチヒロも、そういった浮いた話しとは無縁の仲間だった。

「この話しはもういい、じゃあ行ってこい」

 キネが手を払うようにして、ケリーに退室を促す。

「はいよ~」といって、最後にはいつもの適当な完全体のケリーに戻って、彼は部屋から退室した。


 ケリーが出ていってから、キネはしばらく腕を組んで考える。

「デスティラか……。ミシャリって名前も、同じ劇団関連なのかな……」

 キネは考えながら、さっき落ちた手帳に手を伸ばす。

 そして拾い上げたと同時に、ひとつの疑問が湧き上がる。

「ん? おかしくないか? デスティラの歌劇団って、フォールでも知名度あるのか?」

 そう思った瞬間、キネは頭を振る。

「いやいや、待てよ……。あの女は教会関係者の可能性が、あるかもしれないんだよな。だとしたら、エンドールの人間の可能性もあるわけか? なら、デスティラを知っていても、別におかしくはないか……」

 キネは手帳を手にしたまま、しばらく考え込んでしまう。

「……何か、見落としている気がして、気味が悪いな。なんだ? この不快感は……」

 そう悩むキネの手元の、折れ曲がった手帳の裏側……。

 そこには、ヨーベル・ローフェの名前と、彼女の特徴を描いた似顔絵があった……。

 そして、そこに書き記された一文。

「すごく頭が悪そう」

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