91話 「軽薄の結実」 前編
とある一室。
バンッ! と、デスクがたたかれる音が響き渡る。
その音で、寝起きで朦朧としていたケリーが、完全に目を覚ます。
時刻は午前の四時過ぎ、窓から見ると、外がやや明るくなってきていた。
ケリーの前のデスクには、憮然とした表情でキネが座っていた。
報告書を読みながら、デスクをたたいた手で引き出しを開けて、手探りで目的のメモ帳を探す。
「お前の監視対象が、昨夜テロまがいのことをしたってことは……。もうすでに、サルガで広まっている。当然知っているよな?」
キネの口調が冷淡で厳しい。
目的のメモが見つからないので、いったん諦めてキネはケリーに真剣な表情で向き合う。
キネとケリーの関係は、双方孤児で、幼い頃からつるんでいた義兄弟的な関係だった。
キネが兄貴分で、ケリーは従順な弟分といった感じだった。
ケリーには腕っ節はないが、口先の上手さと潜入調査能力が、ずば抜けて高かったのだ。
生まれが東の要所シェードということもあり、ケリーには仇敵イシュタンの言語が読み書きできる才能もあったのだ。
かつてシェード要塞に、イシュタンの大軍が侵攻してきた際に、サルガが情報工作を仕掛ける時に活躍したのが、このケリーだった。
情報戦で混乱を起こさせたという点に置いて、ケリーは一等級の活躍をしたといっていいほどなのだ。
しかし、この男三下気質が抜けきらず、軽薄な性格も度々問題視されていた。
エンブルが調査に手抜きが多いと以前いったが、今回まさにそれが、最悪の形で表に出てしまったのだ。
「この大事な時期に、女と一緒とは羨ましい身分だな。おまえを捕まえるのに、相当難儀させてくれて、ありがたい限りだ」
キネが、ケリーの記した報告書を読みながら皮肉っぽくいう。
「いやぁ、まぁ、ゲンブなら、俺の居場所わかると思ってたんですけどね……。そうっ! ゲンブ! あいつが悪いっすよ! あいつ夜中中、シャッセらと走り回ってたんでしょ! 俺はちゃんとゲンブには、どこの女と逢うてことは伝えてたんですから。あいつがちゃんと宿に留まってたら、俺のこともすぐに……」
キネのにらみつけたような視線に、ケリーもいい訳を止める。
「も、申し訳ないっす……。お、俺としても、今回の件は正直、意外過ぎて……」
うなだれるようにケリーが弁明する。
「あんなキモい連中が、そんな大事起こすような度胸、あるとは思っていなかったんですよ。ニシムラガンショップの一味でしょ? どいつもこいつも、口先だけの連中にしか見えなくて。いや、リーダーのニシムラってのは、銃火器を扱う店のバカ息子ってので、警戒してましたよ。でも、ことを起こしたのって……」
キネが、ケリーの報告書を開いて見せてくる。
「印象だけで判断して、調査を疎かにしていた、ってわけか?」
「そういうわけでは、ないんですけどね……」
キネの言葉にケリーは汗が止まらない。
「おまえ、ここに書いているな?」
キネが開いた報告書を、指でトントンと弾く。
チラリとそれを見て、ケリーが困惑に満ちた表情になる。
「対象D、親族が戦争で死亡、エンドールを強く憎む思いは他者より大……。キモイ、モヤシ、弱そう、童貞確実」
キネが、報告書にある文章を読み上げる。
「や、やることは、やってるでしょ?」
ケリーが、汗を拭いながらキネにいう。
「では訊くが、この男名前は?」
「えっと……」
しばらく部屋に、重苦しい無言の時間がつづく。
「……やることは、やっていないな?」
キネにいわれ、ケリーは視線を泳がせる。
キネはケリーに向けて、調査報告書をデスクの上を滑らせて返す。
それがデスクから落ちる前に、ケリーが慌ててキャッチする。
ずれたメガネを直しながら、ケリーは報告書を抱え込む。
「お前の調査潜入能力は高く評価するが、時折雑さが目立つ! 散々、いわれてきたことだ! この情報をもっと早く伝えていれば、事件は起きなかった!」
キネの、静かな怒りがこもった叱責がつづく。
ケリーは、いつものチャラついた感じを封じ、背筋を伸ばして直立する。
「今回は対象がバカだったおかげで、大事に発展しなかったが……。下手していたら、親父が殺られていた可能性もあったんだ! 次はこんなミス、絶対にないようにしろよ!」
キネが椅子にふんぞり返り、ケリーに向けて厳命する。
「ええ……、そりゃもちろん……。次は絶対、ないようにしますので……」
ケリーはキネの叱責により、彼が本来持つ三下精神を存分に含んだセリフが、自然と口から出てしまう。
ここでキネは、大きくため息をつく。
「なんとか今回の失態、今までの功績があったおかげで、不問に済んだが。おまえひとりのミスで、俺たち全員の評価が、貶められることになりかねないんだからな。そこを、忘れるんじゃないぞ?」
「ええ、肝に銘じておきます……」
ファニール亭では見せたことがないほどの、力なさでケリーはつぶやく。
「おまえも、理解はしていると思うが再確認だ。知っているだろ? 俺たちの存在を、やっかんでる連中も多いってことを……」
「ええ、心得ています」
キネの、少し穏やかになってきたトーンの言葉に安心してきたのか、ケリーの口調がややハッキリしてくる。
キネが今いったことは作中でも幾度か触れたが、似たようなコマンド部隊や傭兵集団が、今回の戦争に多く参加している。
その中でもサルガの存在は、約十年前の「シェード防衛戦」でその名も知られているだけでなく、実際に軍本部からも過度に重用されているのだ。
当然、他の傭兵部隊も知ることだったりするので、サルガというだけでライバル視され、あわよくば妨害工作のようなことも行われるのだ。
キネがいうように、ひとりのミスでサルガ全体の評価が下がってしまい、ライバルたちに付け入る隙を与えかねないのだ。
今回のミスは、運が良かったことに、賊がライ・ローを偶然狙ってきたのだ。
これがもし、他の要人だったりしたら、今回のような穏便な処置で済んでいないほどの大失態なのだ。
しかも、ケリーはキネとの長い付き合いから、直属の部下的に見られているので、ケリーのミスはキネの経歴にも瑕をつけるのだ。
「こんな温情、次はもうないと思えよ」
「そうっすね……」
キネの言葉に、ケリーがいつものような軽い口調に戻って返してくる。
でもこれでいいと、キネは思っていたので放っておく。
この男は調子つかせて、自分の波に乗せたほうが、機動力を発揮するタイプなのだ。
抑えつけようとしたら、たちまち萎縮して使えなくなるのは、キネは長い付き合いで知っていた。
「じゃあ、この話題はここまでだ」
キネがそういって空気を変える。
ケリーもため息をついてから、いつものように、口元をニヤつかせた表情に戻る。
キネは地図を出して広げる。
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