90話 「剥がされた壁」
「なんだ、こりゃ?」
全員が呆然と、そこを眺めていた。
鑑識が新たに、写真をパシャパシャと撮っている。
何故か、壁が剥ぎ取られていたのだ。
壁面は木目の残る褐色の壁だったのだが、その部分だけ、打ち壊されたように穴が開いていたのだ。
穴といっても、別に表まで貫通しているわけではなく、表層の壁が剥がされたレベルのものだった。
「この穴から出ていった、ヤバい能力者が犯人だったりしてな」
ユーフの発言に、その場にいた全員が白けたような視線を送る。
「おいおい、俺はそんな展開だったら萎えるだろうなって、予防線をあえて口にしたんだぜ。愚者を演じる勇気を、少しは褒め称えろよ!」
「ユーフくん、そういうのは今は口にしない」
ライ・ローが、ユーフに苦笑いしながらいう。
「壁が、剥ぎ取られている?」
キネが、その部分を観察してみる。
「元から、壊れていたんでしょうか?」
ライ・ローもオペラグラスを出して、そこを遠目から観察する。
「壊した形跡から見ると、かなり新しいモノのようですね。古いモノ、というわけではないようです」
調べていた鑑識が、そう教えてくれた。
「その絵で、隠してやがったぜ」
ユーフが指差したのは、王都エングラスの王城が描かれた絵画だった。
「絵で隠す?」
ツウィンが、絵画と壁の穴を交互に見て考える。
「おまえごときが考えたって、何も浮かばないだろうから、無駄なことすんなって。俺みたいに直感で動けばいいんだよ、脳筋兄弟!」
「勝手に兄弟にするな!」
ユーフに、ツウィンが不満そうに返す。
「直感といいますと?」
ライ・ローが尋ねる。
「いやね、壁の感じ見て、どうもおかしいと思ったんすよ」
ユーフは、何もない壁を指差す。そういわれて、その場にいた全員が異変に気がつく。
明らかに、壁の色合いが日焼け具合で、微妙に違うのだった。
「確かに、もともと絵画は、左側にあった感じだな? しかも、例の文言の上にだ」
キネがそういい、もう一度文言を頭の中で読み返す。
「不正にまみれた変態主教に神罰を!」
文言はそう書かれ、ネーブを告発して誅殺したような内容だ。
「わざわざ文字を移動した理由は……」
キネが、絵画の裏を確認させてもらうが、特に何も見つからない。
「いちおう、この絵はそれなりに価値があるものらしい。なので、然るべき学芸員立ち会いのもと、絵は調査するそうだ」
スワック中将が、食べ終えたアイスクリームのスプーンを、指揮棒のように振りながらいってきた。
「なんで壁、剥がす必要、あったんだろうな?」
ツウィンが、壁の穴を見て首をかしげる。
「それがわかれば、こっちの刑事も仕事が楽になるだろうよ。ちなみにツウィン、おまえは何もいうな」
そういうユーフをツウィンがにらみつける。
「ほら、何かいい閃きでもないのか? 仕事の邪魔したお返しに、何か発想で貢献してやれよ」
煽るようにユーフがいってくる。
ライ・ローが失笑するが、その彼が壁にあるモノを見つける。
「おや? そこに残っているのは、口紅ですか? それとも血痕ですか?」
ライ・ローが、壊された壁の端っこに、わずかに残る赤いモノを見つけたのだ。
鑑識がライ・ローにいわれ、その赤いモノをすぐに調べる。
一気に、緊張感が走ったような空気に包まれる。
「血ではないですね、これは口紅です」
鑑識がそう答えた。
「ってことはなんだ? ここにも、何か書いてあったってことか?」
ツウィンが、壊れた壁の穴を見ながら指を差す。
「ム……」
キネがつぶやく。
「なんだよキネ、らしくない間抜けなセリフだな?」
ユーフがまた煽ってくるが、キネは無視して赤い部分を指差す。
「文字の、ムに見えませんか? ムという文字の、右下の部分のような感じがするのですよ」
キネの言葉で、全員がその部分を注目する。
「いわれてみれば、ムの一部にも見えなくないですね」
ライ・ローが腕組みしていう。
「ムだなっ! ム!」
ツウィンもいう。
「だけどよう、そう見えるだけってオチもありえるぞ? 変に先入観与えるのって、こういう捜査じゃ、ご法度じゃないのかよ」
ユーフが、キネを小馬鹿にするようにいってきた。
「おまえは痴呆症か? 何かいい閃きでもないか? と、おまえにいわれたから、俺は思ったことを口にしたんだ。先入観を与えるつもりで、いったわけなんかじゃないよ!」
キネの突っ込みに、ユーフが何故かうれしそうにしている。
「で……。ここの剥がされた壁は、どこに?」
キネが鑑識たちに訊くが、みな知らないようで首を振る。
「わざわざ剥がしたんだ、残していくわけないと思うぜ」
ユーフが何故か笑いながら、キネにいってくる。
それを無視していたキネが、「ム」について連想するワードを考えだす。
「単純に、書き間違えでも、したんじゃないのか? こういう文章に誤字があったら、格好つかねぇだろ」
「おおっ! アホっぽい意見! でも、俺もその意見は、なんか同意できるぜ!」
ツウィンの率直な感想に、ユーフが同意してくるが、ツウィンはなんだか嫌そうな感じだった。
「ドジっ子属性の変態殺人鬼、ベタだが人気は出そうだな。マスコミどもが、また面白おかしく騒ぎ立てるだろうな!」
ユーフがクククと笑いながらいう。
一方、ストプトンも無言で壊された壁を眺めながら、みなの会話を聞いていた。
彼はほとんど聞こえないような声で、キネと同じく「ム……」とつぶやいていたのを、ライ・ローが耳にする。
しかし、ライ・ローが聞き間違えたのだろうか? ストプトンは、もっと長めのワードをいったような気がした。
「ストプトンくん、今きみがいったのは、事件に関係あるかな?」
ライ・ローは、ここでストプトンに対して、カマかけのような発言をする。
本当は何をいったかわからないのだが、いったのを聞いた体で、思い切って尋ねてみたのだ。
どういった反応をするのかを、ライ・ローは見てみようと思ったのだ。
「いや、ありえませんよ……」
予想外の答えが帰ってきて、ライ・ローは驚く。
ストプトンは何かを、確実に予想しているようだった。
そういった後、ハッとした顔でストプトンはライ・ローを見る。
「……やってくれましたね」
ストプトンが少し笑顔で、ライ・ローにいってくる。
カマかけに引っかかったことに、ストプトンが気づいたのだ。
「申し訳ありませんが、もう少し時間をください。情報は、必ずお伝えしますので、少し調べる猶予が欲しいのです」
ストプトンが、ライ・ローにそう小さくいってきた。
ライ・ローはそれに対して、無言でうなずく。
ライ・ローも、キネから話しを聞いて、ストプトンのスカウトの件をすでに知っていた。
実はライ・ロー的にかなり、有意義な提案と思っていたほどなのだ。
しかし、ストプトンの主であるネーブ主教が、今回脱落してしまったのだ。
強大な後ろ盾を失ったストプトンが、今後どう立ちまわるのか、かなり難しい舵取りになるのは明白だった。
ネーブ主教の死去。
それは今後のグランティルの影響に、大きな禍根と混乱をもたらすことになる、ターニングポイント的な出来事だった。
彼の死により、教会のパワーバランスが、大きく崩れるのは必至だろう。
ネーブの後ろ盾を失った人々が、どう動くのかで、今後の政局すら変化する可能性があったのだ。
そして、ネーブの後釜を継ぐものは誰なのか?
さらに残りの四人の主教の動きも、今後の展開に大きく影響してきて、これから注目されるのは必確実だろう。
ストプトンのいう、オールズ教会という魔窟。
リアンという少年を焦点に当てた、このグランティル大紀行という物語にとっても、それは今後大きく関わってくることにもなるのだった。
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