88話 「現場検証」 其の一
室内の床に散乱する書類……。
それらを踏まないように、サルガの三人がジグザグに移動する。
キネは室内をくまなく観察しながら歩く。
天蓋つきのピンクのベッドが趣味が悪いと、キネは素直に感じた。
「ネーブ主教のヤリ部屋だな。ここで毎晩お楽しみだったわけだ、羨ましいこった」
ユーフがニヤニヤしていう。
それを無視してキネは気になるところをチェックして、メモ帳に記入していく。
室内には、すでに結構な人数の人間がいた。
エンドールの将官がひとりと、その部下の秘書武官が三人。
そして神経質そうにしている、フォールの警察関係者らしい四人の刑事。
彼らは、座り込み現場を執拗に調べまわってる、小太りのオッサンの動きにイラついてた。
部屋の隅には鑑識らしき人間が、退屈そうに、待機を命じられて五人ほど立っていた。
「ふむふむ、興味深いですね~」
そういってしゃがみ込んでいる小太りの男は、昨夜ナオという青瓢箪によるテロ未遂にあった、ライ・ローという人物だ。
彼はキネやツウィンの所属する、通称「サルガ」と呼ばれる特殊部隊の隊長でもある。
ライ・ローは地面に散らばる紙切れを観察していたかと思うと、土で汚れたベッドの上を見たりする。
部屋中を見渡し、ようやく、しつこかった刑事や鑑識への、質問攻めが終わったところだった。
刑事たちは最初、元本職なのかと思うほど、やけに質問のキレが良かったので辟易していたほどだった。
でも、どうやらこの男は、単なるミステリーマニアのオッサンだと知り、正式な身分が教えてもらえないことも手伝って、胡散臭げに一挙手一投足を監視する刑事たち。
「見よう見まねで、現場を荒らさないでおくれよ。わたしは一応、お目付け役の立場でもあるんだからな」
将官らしき軍服の男がライ・ローにいう。
エンドール軍の中将閣下と、ほぼ対等に立ちまわる胡散臭い男を見てしまうと、迂闊な対応もできないフォールの警察関係者たち。
この部屋にいる人間で、確実に最高位の人物は、立派な軍服を着たこの将官だろう。
勲章の数が異常で、彼が動くたびにジャラリと音がする。
しかしその将官は、紙コップに入ったアイスクリームをスプーンで掬いながら、モグモグ口を動かしながら眠そうにしており、まるで威厳を感じさせない。
将官の名前はスワック中将。
年齢も中将とは思えないほど若く、まだせいぜい30代といったところだった。
それもそのはずで、彼はエンドール軍に存在するいわゆる世襲将軍と呼ばれる人だったからだ。
彼らは勲功とは関係なく、気まぐれ人事で勝手に昇格していくのだ。
スワック中将の、毎度毎度のものぐさそうで非常識な行動に、彼の部下たち三人も苦慮しているようだった。
司令代理のパニヤ中将と同位の人物だが、スワック中将は元々参謀部所属なのでパニヤの良き参謀に徹し、司令官の彼と衝突しないように慎重に立ちまわっていた。
ポンコツが多い世襲将軍の中で、スワック中将は比較的有能な人物として知られていた。
スワック中将はアイスを食べながら、「余計なことだけはするなよ」という視線でずっとライ・ローを見ている、フォールの捜査関係者たちの刺すような視線に、内心ハラハラしながら観察していた。
鑑識たちも途中で仕事を中断され、突然の闖入者たちに不満気だった。
「心得ていますよ。閣下、そんなにご心配なさらずに」
「わたしじゃなく、改めて彼らに、その言葉は伝えたほうがいいよ。ほら、まもなく新顔が登場してくるんだろ?」
スワック中将にいわれ、ライ・ローが「そうですね」といい立ち上がる。
「特別に現場検証を、見学させてもらうことになったライ・ローです。訳あって、詳細な身分を明かせないことを、お許し下さい。こういった現場は、探偵小説で何度も見ているので、禁忌とかも心得ているつもりです」
ライ・ローの「探偵小説」という言葉に、顔が曇る本職の刑事や鑑識たち。
「少し気になる箇所を見せていただくだけですので、そうお気になさらずに。時間が来たら、すぐに撤収もしますので。あ、自分よりもユーフくんが心配かな? ユーフくん、次またやらかさないように、君はあんまり歩きまわらないでおくれよ……」
刑事たちの刺すような視線を一身に浴びてなお、堂々としているユーフにライ・ローがいうと、勝手口からやってきたツウィンとキネの姿が見える。
「って! キネくん! キネくん! やっと来てくれたんだね!」
そういうや、ライ・ローが、キネを両手で手招きする。
「お待たせしました、親父さん」
キネがライ・ローに挨拶をする。
また新しく登場してきた大男に、さらに胡散臭気な表情を向ける刑事や鑑識たち。
「いろいろ話したいこともあってね、訊きたいことも山ほどあるよ。何からいこうかな~」
ライ・ローはワクワクして、子供のように興奮している。
「親父さん、眼鏡が曇ってますよ」
キネが笑いながらいう。
「興奮しすぎだからね、仕方ないよ! あ、彼はキネくんだよ、今回ここに招いた最後のひとりですよ。あっ! キネくん足元には注意して、あと、何かあっても手を触れないようにね」
ライ・ローからそういわれ、キネは不満そうな刑事たちに、一応礼儀として敬礼をしておいた。
「じゃあ、じゃあ! まずはネーブさんと、面会といこうかな。昨日、君も会ったんだよね?」
ライ・ローが興奮気味に、キネに尋ねてくる。
「会ったというか、こいつと同じで」と、いってツウィンを指差すキネ。
「どんちゃん騒ぎの現場を、見かけたぐらいですよ」
「それでもいいさ。どんな印象だった? 意見、是非聞かせておくれ。さぁ、こっちこっち!」
ライ・ローが、足元の紙切れを避けながら隣の部屋に向かう。
キネは、いつもとは明らかに様子が違う、上機嫌のライ・ローに面食らいながら、部屋の状況をポケットから取りだしたメモ帳に記入する。
天蓋つきのベッドにはネーブの姿がなく、ベッドの上は土で汚れている。
その奥には豪華な化粧台があり、やたら荒らされている。
床には、化粧品の類が転がって散らばっている。
大きな絵画のモチーフは、どうやらフォール王国の王城エングラスのようだった。
サイドボードには高価な時計や貴金属が並び、向こうのキッチンにはワインセラーまであった。
そして、いたるところに鑑識による、現場保持のための措置が取られていた。
ライ・ローは本来、空気を読む能力に長けている人物だが、今回ばかりは興奮が先んじて、自分がとんでもない邪魔者であることすら気づいていないようだった。
キネは、軽く書いたメモを確認する。
ベッドの荒れ方から見て、襲われた場所はベッドか? 高価な貴重品が多いが、物取りの犯行ではない模様。
足元に散らばる紙切れは何か? やたらと部屋中に散らばり、歩く際に邪魔で仕方がない。
速記なので、相変わらず他人からは、何を書いてあるのかわからないキネのメモ。
キネは、ベッドの天蓋で死角になって見えない位置で、刑事と鑑識がいて何かを話しているのに気づく。
死角に何があるのか気になって、のぞき込もうとしたが、ユーフがキネの肩をつかんでくる。
「おい、キネ! 早くしろって! 警察の仕事を、取るような真似すんなよ。いつもの、仕事できますアピールのつもりか? 感じ悪いぞ、優等生」
ユーフがキネを煽ってくる。
「うるさいよ! おまえ、なんか、さっそくやらかしたって聞いたぞ。なんでそもそも、おまえがいるんだ? 明らかに場違いな人選だろ、ゴリラは檻の中で、バナナの時間まで寝てろよ」
キネがユーフを煽り返し、それに対してうれしそうなユーフがニヤリと笑う。
「へへへ、早起きして暇だったからだよ。それ以外、理由があるか?」
「フン、意外と普通で、つまらん答えだったな……」
キネはそう吐き捨てると、ライ・ローの向かった部屋に歩いていく。
足元の紙切れが、やはりやけに気になるが、キネは今は後回しだと思う。
「さ、こっちだよ!」
ライ・ローが、部屋の境界で手招きしている。
格子つきの鉄製の重たそうなドアは、完全に解放されている。
「親父のヤツ、かなり上機嫌だな……」
キネは、こんな早朝からやけに元気なライ・ローを見て若干引き気味だった。
「ああ、起きてからずっと、テンション高くてな。もともと、推理モノが好きなオッサンだったろ?」
「おい、あの件は止めてやれよ。黒歴史は誰にでもある」
キネがツウィンに耳打ちする。
「わかってるよ、下手の横好きって……」
「だから、あの自作ミステリーの話しは止めとけって」
キネが再度、ツウィンの言葉を止めるために腕を軽く殴る。
「お~いっ! 早くこっちだよ! 僕らには時間制限があるんだよ、急いで急いで!」
ライ・ローが、大きく手招きしてキネたちを呼ぶ。
「リアルで、こういう体験できたもんだから、ご覧の通り浮かれまくりだ。今回も特別に、スワックのオッサンに頼んで、入れてもらったらしい。いつもは自発的な要求なんかしないのにって、あのアイスクリーム男も面食らってたな」
ツウィンが、キネにそうささやくようにいう。
ライ・ローは、軍部に深く入り込んで信用を得ているが、自発的に何かを提案したりする積極性は、あえて放棄していたのだ。
そんなポジションを維持していたのに、今回ばかりはと、スワックに頼み込んだというのだ。
「殺人事件か……。確かに、俺たちの任務で、この展開は初めてだな」
キネがポツリとつぶやいて、ドアの両サイドにある鹿の頭の剥製を見る。
そして、右が雄、左が雌と速記でメモする。
「こっから先の光景も、初めてのモノかもしれないぞ?」
ツウィンが、ニヤニヤしながらいう。
「どういうことだよ……」
眉をしかめながらキネが、隣の薄暗かった部屋に入る。
そして、そこで見たモノを見て、絶句してしまう。
「な……。なんだこれは……」
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