86話 「チェックアウト」 後編
「劇場を狙ったんですか……。なんだか犯行の手口が、確かに変わってきた感じしますね」
バークが、腕を組んで考え込む。
「エンドールを狙った感じ、ではないようなんですが。無差別に火を点けていた犯人が手馴れてきて、人のいる場所さえも、狙いだした感じが気持ち悪いですよねぇ」
カウンターのフレイアが震えたようにいう。
「ついに昨日は、この界隈でも一件発生しましたからね。対岸の火事と、言葉通りのことを思っていたんですが、実際に発生すると不安も倍増します。未だに犯人が野放しだなんて、恐ろしいことですよ……」
フレイアの言葉に驚き、バークは地図でその火災現場の場所を教えてもらう。
フレイアが指差す放火現場を見て、バークはさらに驚く。
なんと、自分たちが勤務していた、工事現場の詰所だったのだ。
フレイアの話しでは、ここへの放火では怪我人はいないようだが、貴重な重機や資材が焼け落ちたらしい。
話しを聞きながら、バークは複雑な気持ちになる。
このことは、アートンには黙っていようとバークは思った。
何かと、抱え込むタイプっぽいアートンがこのことを知れば、精神的にダメージを受けると思ったのだ。
ひとり異国の青年を、弟子のように気にかけていたから、なおさらいえないと思ったのだ。
「物騒ですね……。でも、こちらも、どうしても行かなきゃいけない用事が。本当に急な話しで、申し訳ないですよ」
バークがフレイアに謝罪する。
「そうですか……。それなら、仕方ないですねぇ」
フレイアが、心から残念そうにいう。
「この宿のみなさんのご好意には、本当に感謝しています。初日に拾って頂けなければ、露頭に迷っていたところでしたからね」
バークは、しみじみとそう語る。
これに関しては、本当に感謝すべき事実だった。
「宿の主人にも、ご挨拶したいのですが、いらっしゃいますか?」
バークが恩人である、宿の主人バッツの居所を訊く。
「それがですねぇ……」
フレイアがいいにくそうに、視線を泳がせる。
「ああ、なるほど。ご不在ですか……。今までの宿泊代も払おうと思ったのですが」
バークがポケットから現金を取りだす。
それを見てフレイアは慌てる。
「いえいえ、お代は結構ですよ。わたしどもも、ご主人から、もらわなくていいといわれていますので」
バークがしばらく粘るが、結局、お金を受け取ってもらうのは諦める。
宿の主人、女癖が悪く家庭問題も放任するような人物だが、こういう面では義理堅いようだった。
諦めてバークはお金を戻し、ふと目の前のフレイアを見て思いだす。
「そういえば、あなたがアートンに、例の件を打診したんですよね?」
バークがそう質問してみる。
「はい、そうですよ!」
バークの言葉にうれしそうなフレイア。
「お嬢さまも、よろこんでくれたんでしょうか? 今夜なんて、久しぶりにきちんと、挨拶してくれたんですよ。なんだか人が変わったように、おしとやかになって」
そういってフレイアがうれし泣きをする。
「その件でひとつ、よろしいでしょうか?」
フレイアが、バークに対してお願いをしてくる。
「はい、なんでしょうか?」
真剣なフレイアの視線に驚くバーク。
「明日、娘が劇団のみなを、つれてきてくれるんですが……。みなさんが出ていく前に、お会いになるってことは、できないでしょうか?」
「出発前ですか?」と、さすがにバークが少し考え込む。
列車での出発は始発を利用したいので、バークたちは宿を出るのは、かなり早い朝を予定していたのだ。
そのことを理解した上で、フレイアが先手を打ってくる。
「宿の出発前に、来られるようにですね。これからすぐに、娘に相談してみますよ。別の方に店番変わってもらって、すぐに娘に会いに行きますから。従業員全員、ヒロトお嬢さまのために、今回の件は最後まで、やり遂げたい気持ちでいっぱいなんです。なんとか、出発は娘が劇団員を連れてくれるまで、待っていただけないでしょうか。絶対に始発には、間に合うようにしますので」
あまりにも真剣な表情で、言葉を繰りだしてくるフレイアの情熱にバークも圧される。
とてもじゃないが、拒否できるような空気ではなかった。
「あとですね、娘たちがあなたがたに興味津々なんですよ。なおさら、出発は少しだけ待っていただけると……。お願いできないでしょうか?」
フレイアが、懇願するようにいってくる。
「そ、そこまで、お願いされるのでしたら……」
バークも熱意に負け、チラリと壁時計を見て予定を計算する。
「ヒロトちゃんの将来にとっても、重要なことですし……。了解しました! でも、早朝五時には宿を出たいので、かなり無理をお願いすることになりますよ」
バークがその辺りを不安そうに尋ねる。
相手の劇団も、そんな早朝に来いといわれても迷惑なんじゃと、バークは心配してしまう。
「問題ありませんよ。ヒロトお嬢さまのためです! ここは、わたしや娘が悪者になろうが、なんとしても面通しはさせておきたいんですよ」
フレイアがまるで、自分の物語に酔っているかのように力強くいう。
それを仕方ないなぁと、思いながらもバークは了承した。
そんなふたりの会話を、ゲンブは物陰から黙って聞いていた。
「……ヤツらも、朝ここを出ていくのか。なるほど、交渉の手間がはぶけたぜ。こりゃついてるな!」
ゲンブはニヤリと笑う。
実はゲンブは朝に、アートンとバークが出勤する直後を狙って、ケリーと一緒に交渉を持ちかける予定だったのだ。
こちらの予定に合わせて連中を誘うわけだから、ゲンブは結構交渉は苦労すると思っていた。
それが、出発日時が一緒なら話しが早い。
しかも、今回は運が良かった。
ゲンブはついさっき宿を払うために、例のガッパー車に荷物を載せ終えたばかりなのだ。
なんだかんだいっていたエンブルも車に同乗させ、今はケリーがシャッセを誘うためにヤツが泊まるホテルに向かっていたのだ。
ゲンブは急遽、銃の整備の仕事が入っていたので、その仕事を終えるためにここに残っていたのだ。
その整備がなければ、ゲンブはあの劇団員の一団と、二度とコンタクトできなくなっていただろう。
別にそれはそれで問題はないのだが、先方には、上玉の女がふたりいるのだ……。
「なんだか、運命的なものを感じるな。こりゃ、楽しい旅になりそうだぜ」
ゲンブはそうつぶやくと、カウンターの時計を確認してから、バークという男を見る。
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