86話 「チェックアウト」 前編

 ゲンブは、フロント方面で話し声が聞こえたので様子を見てみた。 

 従業員のオバちゃんの声が一瞬響いたので、何かトラブルかと思ったのだ。

 もしトラブルだとしたら、泊めてもらっていた恩として、ゲンブは手助けしてやろううと思っていた。

 こういう店だから、たまに面倒な客も多いのだろう。

 整備したての銃をいつでも抜けるように準備しつつ、ゲンブは物陰からフロントをのぞいてみる。

 しかしチラリと見ると、どこかで見た男がカウンターにひとり。

「ん? あの男は……」

 ゲンブは、フロントにいる男が、例の劇団員のリーダーであることに気がつく。

 ゲンブは深刻な表情で話し合っているバークと従業員、確かフレイアとかいったオバちゃんとの会話をしばらく聞く。

 どうやら揉め事ではないようだった。


「急ですねぇ……。早朝ですか?」

 フレイアが困惑しているようだ。

「ええ、申し訳ないです。急ぎの用が、できてしまいましてね」

 バークが謝罪しつつ、フレイアに頭を下げる。

「そうですか、仕方ないですよね……。そういった理由でしたら」

 フレイアが残念そうにいい、カウンターに地図を出してくる。

「ありがとうございます。で、ここがサイギン中央駅なんですね?」

 バークが広げられた地図を見て、フレイアに場所を確認する。

「ええ、でもキタカイ行きの鉄道は、まだ止まってたはずですよ」

 フレイアが、バークたち一行の劇団設定を前提にしたアドバイスをしてくる。


 バークたちは王都エングラスに向かう劇団員という設定で、この宿に泊まっている。

 エングラスに行くには、まず南下してキタカイという都市に向かい、カイ内海を渡る必要があるのだ。

 西のクウィン要塞方面に向かうということは、心苦しいが黙ってるしかない。

「鉄道じゃなくてもいいんですよ。バスもあるんですね」

 バークは本来の目的地でない、キタカイ方面のバス路線を、わざとらしく指差して笑う。

 そして視線を移動させ、本命であるクウィン方面の路線を調べる。


(よしっ! 西のクウィン方面に向かう鉄道やバスは、けっこう本数あるな。始発は七時か、それに乗れるように準備しておくか)


 バークはクウィン要塞方面の路線を見ながら、安堵のため息を漏らす。

 ネーブたちはおそらくだが、朝まで見つかることはないだろう。

 かなり希望的観測が強いが、アモスが聞いたという、「夜の営みは邪魔させない」というネーブの方針を守ってくれるとすれば、きっと発覚も遅れるだろう。

 しかも、すぐ側では今日はテロまがいの事件があったばかりだ。

 警備の関係で、ペンションのネーブにまで手が回らないでくれ! ということを強く願うバーク。


「キタカイ方面は、これから戦闘が起きるかもしれないですし……。やはり今すぐ行くのは、危険ではないでしょうか?」

 考え事をしていたバークが、フレイアの不安そうな声で我に返る。

「無理に出発しなくても、もう少し落ちついてからで良くないです? ほら、ヒロトお嬢さまの件も、ご一緒に、話し合ったほうがいいでしょうし……」

 フレイアはなんとかしてバークを引き止めたいようだが、そればかりはさすがに無理だったし、理由も正直に話せない。

「俺たちも、そうしたいのは山々なんですがね。ほら、よく考えたらさ」

 ここで急にバークが地図を見ていて閃く。

 週刊誌でも話題になっていたことで、今になって思いついたことだった。


「キタカイに早めに行って、このカイ内海を渡航しておかないと。俺たち下手したら、カイ内海の海戦で足止め食らって、キタカイに釘づけになっちゃうかもしれないでしょ? ミナミカイへは、まだ戦闘が本格的にはじまる前に、渡っておかないと」

 バークの咄嗟についた嘘は、なかなか信憑性が高かったらしく、フレイアを納得させる。

「なるほど、そういえばそうですよね……。ミナミカイへの航路がなくなったら、エングラスに絶対向かえませんものね……」

 バークの会心のハッタリと思ったこの嘘だが、これはケリーたち三人組の前任者が、とっくに気づいていた戦況予想だった。

 それにいまさら気づいたのは、バークが最初からキタカイに向かう予定はなかったとはいえ、遅すぎるかもしれなかった。

 実はこういったバークの思考のムラは、今後この物語で度々頻発するのだが、今はまだ致命的な問題には発展しなかった……。


「別に引き止めるつもりで、いうわけではないのですが……」

 フレイアがそう前置きして、バークに話す。

「なんか今日ですね。すごく物騒な事件が多発したようですし。こういう時に動くのは、なんだか不安ですよ……」

 フレイアが表情を強張らせ、地図上のサイギン駅周辺の公園を指差す。

「物騒な事件が多発? どんなことが、あったんですか?」

 なんだか気になったバークが、フレイアに尋ねる。


(まさか、もうネーブの件が見つかったとか、勘弁してくれよ……)


「ええ、なんでも……。昨日、反エンドールのデモ隊と警察隊が、ついに衝突したみたいで。サイギン駅の広場付近は、そりゃすごいことになってたらしいですよ。逮捕者続出で、怪我人も多く出たようですよ」

 フレイアが心配そうにしていたのは、そういう理由らしかった。

「ほう……。サイギン中央駅で、ですか?」

 驚いたように口にするバークだが、ネーブの件でなくて安心する。

「ええ、今までにない規模の、衝突事件だったらしいですよ。現場はまだ、警備も厳しいのではないでしょうか……」

「なるほど……」というバーク。

 内心、警備が厳しくなったという箇所が気になったが、いまさら後に引けないバークだった。


「あとね……。ここのところ、続いていた放火事件なんですけどね。夕方ぐらいに、同時多発で発生したとかで……」

 フレイアが、バークに教えてくれる。

「同時多発の放火?」

 そういえば、そういう事件もあったなと、いまさらながらバークが思いだす。

 確か、エンドールによる占領前からこの街では、連続放火があるとかアートンがいってたし、そういう記事も読んだ記憶があった。

 当のアートンも、サイギン初日に遭遇したといっていた。

「模倣犯、なんでしょうかね?」

 バークが少し興味深そうに、感想を口にしてみる。

「なんにせよ、物騒なことですよ……。この街、今後、何事もなければいいんですけどねぇ。エンドールは、サイギンを平和的に統治したいようだけど、それに反発する人も多いですからねぇ」

 フレイアが年甲斐もなく、乙女のように怖がるような仕草をする。


「やっぱり、反エンドールに関連した、抗議とかなんでしょうかね? 同時多発ってことは、元の犯行に便乗したのか。それとも単に、それぞれ独立した事件なのか……」

 バークは、いいながら少し考えてみる。

 今夜市庁舎前で見かけた、やたら威勢の良かった、反エンドールの活動家たちを思いだす。

 連中の過激な印象は強烈だったが、単に騒ぎたいだけの連中という印象も拭えないバーク。

 ああいったお祭り騒ぎに便乗してるだけの連中が、放火という明確な犯罪行為に走るだろうか? と疑問に思ったのだ。

 でも、とバークは思い直す。

 そういえば実際に、テロ行為に走ったバカもいたんだったな……。

 なんらかのタガが外れた過激な連中が、有象無象の勢力から現れても不思議はないのかもしれない。

「どうなんでしょう?」と、フレイアが考え込む。

「放火のあった場所が、ゴミ捨て場だったり廃墟だったり……。そういう場所だけかと思えば、小劇場からも火が出たみたいで。明らかに、人がいる場所を狙ったりねぇ。犯行の手口が、今までと違うというか……」

 フレイアが、地図上の放火されたという劇場を指差す。

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