85話 「次は問題児」 後編

 壁の時計が、午前零時を知らせる。

 その鐘の音が鳴り終わるまで、誰も口を開かなかった。

 ヒロトは部屋の中心で、椅子にチョコンと座ってうなだれていた。

「なるほど……。自首するってのか……」

 バークが腕を組みながら、ヒロトの話しを聞き終えてつぶやく。

「確かに、全部包み隠さず話したほうが、いいだろうな……」

 アートンもヒロトの言葉を聞き、整理した雑誌に腰掛けながらいう。


 リアンは、薄っすらと涙を浮かべているヒロトを、心配そうに眺めながら彼女の言葉を反芻する。

 ヒロトがいうには、ニシムラなる反エンドールの革命ごっこをしていたリーダーとその仲間は、ナオのしたことを彼女から聞いた。

 そのことを聞いたニシムラたちは、すべての証拠を持参して出頭するとのことだった。

「で、あんたはどうすんのさぁ?」

 全員が神妙な顔をしているのに、アモスだけ煽り気味にヒロトに訊いてくる。

「あたしは……。もういいよって……」

 ここでヒロトが、涙を流しながらつぶやく。


「いいよ、ってどういう意味?」

 リアンが、不安そうにヒロトに尋ねる。

「あたしのことは、絶対に黙っててあげるから。心配せずに帰りなさいって」

 ヒロトの涙声に反して、リアンたちの顔が少し明るくなる。

 全面的によろこばなかったのは、ヒロトの感情に配慮してだった。

「ほほう……。あんな汚臭豚どもでも、人並みの良心は、あったってことね」

 アモスの言葉に、悲しむような表情をするヒロトだが何も反論はしない。

 ヒロトの中で、アモスは怖い女として刷り込みが完了しているので、余計なことはいわないほうがいいと、本能的に察したのだ。

 そんなアモスを、リアンが無言で袖を引っ張って言葉を制止させる。

「じゃあヒロトちゃんに、捜査の手が伸びるという可能性は、ないってことだね」

 バークの言葉に、ヒロトが「たぶん」とうなずく。


 ところが実際は、ヒロトの存在はすでに把握されてはいたのだ。

 宿に泊まっていた「サルガ」のケリー、ゲンブ、エンブルの三人組が、ヒロトのことを調査していたのだ。

 当然ニシムラなる男をリーダーとした、反エンドールグループを結成していて、彼女もそこに所属していたのは知られていた。

 そして、そこのナオという構成員がテロ未遂を起こしたことも、その後すぐ判明する。

 実はリアンたちが、まだ気づいていないだけで、ヒロトの存在とその一団はきちんと調査されていたのだ。

 ところが運が良いことに、これらすべてが露見するのは、リアンたちがこの宿を出た後になるのだ。


「まあ、良かったじゃない? あんた命拾いしたわね、フフフ」

 アモスがニヤニヤして、ヒロトの頬を突つきながらいう。

「じゃあヒロトちゃんはもう、革命、みたいなことは考えたりしないってことかい? 再確認だけど、この辺りハッキリさせておきたくてね」

 結束した雑誌類を運びながら、アートンがヒロトに訊く。

 ヒロトは、アートンのことはよく知らないが、優しそうな人だなと思いコクリとうなずく。

「は、はい……」

 即答ではなく、どこかまだ返事も弱々しいヒロト。

 でもそれは、身を挺して自分を匿ってくれるニシムラたち、かつての仲間のことをヒロトは思っていたからだろう。


「そうか、それは良かったよ」

 玄関に雑誌類をまとめたアートンが、ヒロトに笑いかける。

「だとしたら、やっぱり。アートンさんのいっていた案が、いいかもしれないね」

 ここでリアンがこんなことをいい、ヒロトが不思議そうな顔をする。

「それもそうだな!」

 バークも力強くうなずく。

「……なんの話しですか?」

 ヒロトが不安そうにバークに尋ねてみる。

 この男の人が、確か一団のリーダー役とリアンがいっていたのをヒロトは思いだした。


「あんたの今後のことよ」

 アモスが、ヒロトの肩を軽くたたく。

 少し怯えるヒロト。

「感謝しなさいよ! あんたのために、いろいろ考えてやってたんだからね」

 アモスが、恩着せがましくいう。

 ヒロトはチラリとリアンを見て、彼と少し目が合う。

 ひょっとして、リアンと話した内容で何か進展があるのかもと思い、ヒロトの心の中がパッと明るくなる。

「じゃあヒロトちゃん。これから、ちょっとお話しいいかい?」

 雑誌を束ね終えたアートンの言葉に、ヒロトがうなずく。


「なら俺は、その間に宿払ってくるよ。ヒロトちゃんに、例の件話しておいてくれよ」

 バークが立ち上がりフロントに向かう。

 バークの言葉でヒロトは、ようやく部屋の状況に気がつく。

 リアンたちは、もうこの宿を出ていく気なのだと。

 荷物がまとめられ、一箇所に集められている。

 ヒロトは意外と早い展開に、心の準備がまだできてなくてドキドキとしてきた。


 そんな時だった。

「みなさんっ! 着替えてきました~! おネムもバッチシ、吹き飛びましたよ! あっ、バークさんお出掛けですか?」

 いきなりヨーベルが、浴室のドアを開けて飛びだしてきたのだ。

 シャワーも浴びたようで、ヨーベルは衣装も普段着に戻っている。

 バークから宿を払うために、フロントに行くことを聞いているヨーベルをヒロトは眺める。

 あの脳天気そうな女の人がきっかけで、自分の運命が大きく変わったのを、ヒロトは心の中で感謝していた。

 最初はバケツをぶつけるという、とんでもなく失礼なきっかけだった。

 そのことは、絶対に謝らなきゃと、ヒロトは改めて決意する。


「ヨーベル、僧衣はいちおう、またカバンに詰めといたよ」

 アートンが、大きなかばんの中身に詰めた僧衣をヨーベルに見せる。

 ちなみに、アモスが買ってくれた薄いピンクのジャケットは、ネーブと会う前に捨ててきたようだった。

 その件をアモスが嫌味のひとつでもいうと思われたが、意外や不問だったのだ。

「お願いだけど、今度はこれ着る場合はきちんと相談しような」

 アートンが、おうかがいを立てるようにヨーベルにいう。

「了解なのです!」と、ヨーベルが元気よく敬礼してくる。


「あんた、本気でわかってる? 今回の件、もう綺麗サッパリ、忘れてんじゃないの? 次また、僧衣着ようとしたら、あれ焼き捨てるわよ!」

 アモスがキツ目の口調でいい、ヨーベルが再度神妙な顔で敬礼する。

「あれっ! 話題満載の、ヒロトちゃんですね!」

 ここでヨーベルが部屋にヒロトがいて、椅子にチョコンと座っているのに気がつく。

「こんばんわ~! なんだか、雰囲気変わったですか~?」

 ヨーベルが相変わらず脳天気に、ヒロトに話しかけながら歩いてくる。


「こ、こんばんわ……。い、いろいろご迷惑おかけしました」

 ヒロトはヨーベルに謝ろうとするが、彼女のテンションに圧されてキョドってしまう。

「いやいや、迷惑かけたのは、わたしなのですよ」

 そういって、ヨーベルは照れ臭そうに笑う。

 スパンッ! と、ヨーベルの尻がまたアモスに引っぱたかれる。

「やっぱあんた、ことの重大性に、まだ気づいてないんじゃないの?」

「いえいえ、そんなことはないのですよ。全部わたしの、バカな行動が原因なのです」

 そういって、アモスに向けてヨーベルが頭を下げる。

 その下がったヨーベルの頭に、アモスが手刀を一発たたき下ろしておく。


 それらの行為を眺めながら、自分もあの怖い人から鉄拳制裁とか、いっぱいされるんだろうかとヒロトは若干不安になる。

 その瞬間、ヨーベルがハッとヒロトを見てきたので驚く。

 ヒロトがヨーベルから凝視され、オロオロと戸惑ってしまう。

 あまりにも狼狽したヒロトは、思わず椅子からコロンと転げ落ちる。

 ヨーベルは、ヒロトがひっくり返ったのを見ながら、自分の長い髪をいじりだす。

「う~む……」といって、ヨーベルはうなる。

 ヨーベルの視線の先に、リアンから手を貸してもらって立ち上がる赤面したヒロトと、ケタケタ笑ってるアモスが見えた。

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