82話 「叱責」 前編
「んん~?」
ヨーベルが、バークの背の上で目を覚ました。
まだぼやけた視界だが、鼻孔に漂ってくる臭いに覚えがあった。
少し生臭さの漂う、川の臭いだった。
ヨーベルの視界には、ファニール亭の前に流れる河川が広がっていた。
「バーク、ここからあとは一直線だ。すっかり、忘れちまってたが……。大変そうだから、俺が替わりにヨーベル担ごうか?」
薄目で、左隣りにいるアートンをヨーベルは見た。
アートンはまるで、何かに追い立てられているかのように、狼狽しているように見えた。
「バ~ク~。替わってやぁればぁ~」
前方から、今度はアモスの声がする。
アモスの方向を見ると、その前をリアンが先導しているのが見える。
どうやら自分たちは、泊まっている宿に帰っているんだということを、珍しくすんなりヨーベルは理解した。
ファーファー亭でしたっけ、確か……、と目を閉じて宿の名前を思いだしていると、アモスの声がまた聞こえる。
「このドスケベ、フニャチン、イケメンもどきがさぁ。ヨーベルの豊満ボディの温もりを、直で感じたいんだってさ!」
アモスの嫌味たっぷりなセリフが、ヨーベル越しのアートンに投げかけられる。
「そ、そういうんじゃないって!」
アートンが、ヨーベルを負ぶったバークの前に出てきて、慌てて否定している。
「へぇ? そうなの? ずいぶん必死に、否定するわねぇ。図星、だったんじゃないの?」
アモスが、ニヤニヤしながら笑っている。
「なわけ、ないだろ……」
アモスにいうアートンだが、どこか口調は遠慮がちだった。
「あっ! もう一個思いだした! あんた、あたしの影踏むのも、禁止してたはずよね」
「そんな設定、もうとっくに忘れてるよ!」
アモスの唐突なイチャモンに、アートンは今度は大きめの声で怒鳴る。
「今ぁ! 思いだしたのっ! これからまたしばらく、このルール適用な! 破ったら脳切開!」
アモスが、そんなことをいっているのを、ヨーベルはニコニコして聞いていた。
いつものみなと一緒にいられることが、うれしくなってきたのだ。
ヨーベルにとっては、アモスの度が過ぎるほどのアートンいびりも、日常的風景としか思っていないのだ。
「アモス、ちょっともう止めろって……」
自分を負ぶってくれているバークが、さすがにふたりの喧嘩を仲裁する。
「アートンも、今はアモスも気が立ってるし。少し下がっていようぜ。ほんと、おまえなら挽回のチャンス、あるからさ」
バークは再度アートンを下がらせる。
すると、「あの~……」と弱々しくヨーベルが声を発する。
一斉に全員が、バークの背中のヨーベルに注目する。
「ヨーベル! 目が覚めたんだね!」
「あ、リアンくんだ~、おはよ~」
リアンが、さっそく元気に声をかけてきたので、ヨーベルが手を振って返事をする。
「あれぇ? 下の人は、やっぱりバークさんでしたか。なんか、すっごく申し訳ない感じです……」
ヨーベルが、自分を背負ってくれているバークに、照れ臭そうにいう。
「いいってことよ! ところで、さっそくだけどな! ヨーベル。いくつか、すぐにでも訊きたい……」
バークが早口で話していると、「スパンッ!」という、何かがたたかれる音が響き渡る。
「きゃっ!」
ヨーベルが悲鳴を上げる。
「このバカ娘! 何あんた、勝手なことしてんのよ! 手間かけさせやがって!」
アモスが、ヨーベルのお尻を引っぱたいた片手を挙げている。
それを見て挨拶してくれたと勘違いしたヨーベルが、片手を挙げ返して挨拶する。
「エヘヘ、アモスちゃん、ち~っす!」
「ち~っす! じゃないわよぅ!」
アモスが怒鳴るが、その顔はアートンに向けられた鬼の形相とは違い、本気で怒っている感じではない。
「アモス、その話しは後にしよう! 先にどうしても、訊きたいことがあるんだよ」
アモスのヨーベルへの叱責を中断させ、バークがかなり焦り気味で、割って入ってくる。
バークの必死の訴えに、アモスも空気を読んで、おとなしく引き下がりタバコを吹かす。
「バークさん、なんでもどうぞ~」
ヨーベルが、自分を背負ってくれているバークに尋ねる。
「ヨーベル、大事なことなので、よく思いだして欲しいんだけどな。ネーブやその関係者たちに、俺たちのこと、どこまで話した?」
バークの質問の意味に、おそらくヨーベル以外の全員が、その重要性を理解していただろう。
固唾を呑んで、ヨーベルの回答を待つ一同。
でもヨーベルは「う~ん」と唸って、なかなか思考が回らないようだ。
「例えばだね、どこから来たとか。誰と一緒だとか……。どこに、向かおうとしているだとか、そういった話しだよ」
バークが比較的ゆっくり目に、噛み砕いて質問をヨーベルにする。
「え~とですね……」
ヨーベルが、考え込みながら口を開く。
「大事なことなんだよ、思いだしてくれないか?」
ここでまた空気の読めないアートンが、急かすようなセリフをいう。
アモスがアートンをキッとにらみ、リアンが慌ててアモスの前に立つ。
アートンが、コソコソと後ろのほうに下がっていく。
「何も話していないのですよ~。大事なことは、ひとつもです~」
ヨーベルが軽い口調で、いまいち信用ない感じで話す。
「それは、ほんとなの?」
アモスがヨーベルに念を押す。
「はい~、もちろんです~。みなさんの心配、わかります! でも、足がつくようなヘマはしていない、わたしなのです~。あふぅんっ!」
ピシャリという音がして、ヨーベルがまた悲鳴を上げる。
またアモスにより、尻がたたかれたヨーベル。
「ヨーベル、具体的に訊いていいか?」
バークが下から尋ねてくる。
「宿の名前とか、口にしてないか? もし口にしてたとしたら、俺たち一発で終わりなんだよ。ヘタしたら、宿にもう追手が来てても、おかしくないんだ。そこは、本当に大丈夫か?」
「え~とですね……。お恥ずかしいことに、泊まっている宿の名前、最初から覚えていなくって~。なんかファーファー亭とか、いったのは覚えています」
ヨーベルが照れ臭そうにいうが、アモスがまたヨーベルの尻をたたく。
「きゃぁん!」ヨーベルの悲鳴。
「思いっきり、近い感じの名前いってるじゃないかよ! あんたがバカで、ホント良かったって、心から思ったわ! 名前覚えてたら、確実にファニール亭って、あんた口にしてたでしょ!」
アモスの言葉に、ヨーベルはたたかれたお尻をさする。
「いえいえ~、宿の名前は出しちゃダメとは、わたしでも理解してました~。これほんとです~。だから、同じように、みなさんの名前も絶対にいわなかったのです。これは大丈夫ですので、信じて欲しいのです~」
ヨーベルの言葉に、その場にいた全員が顔を見合わせる。
どうやら信じてもらえたようだが、リアンは若干不安だった。
ジャルダンで、平然と嘘をついたりするヨーベルを、何度か見ていたからだ。
でもここは、ヨーベルのことを信じることにして、リアンは黙っていることにした。
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