80話 「無謀な蛮勇」

 テロ騒動があった現場は、今やすごい騒ぎになっていた。

 犯人はあっさり捕まったようだが、警備のエンドール兵が現場付近を徹底的に封鎖。

 人々は封鎖外で事件のあった現場を、騒然と眺めて噂話をしている。

「エンドールの、要人が殺されたらしい!?」

「犯人が衛兵に殺されたらしい、教会に楯突く宗教関係者が犯人らしい」

「銃撃戦で多くのエンドール兵が、死傷したみたいだぞ」

「ハーネロ神国の残党が、裏で動いているらしい!」

「殺されたのは、オールズ教会に魂を売った売国奴らしい!」

 少し人混みを歩くだけで、様々な噂が飛び交っている。


 市庁舎の入り口付近は完全に封鎖されて、周囲の店も強制的に閉められ、店主から客まで追いだされている。

 例の花屋の老婆は騒ぎに驚いて、すぐさま店を閉めると逃げだしたようだった。

 やってきた、車高の高い頑丈そうな装甲車が道路を封鎖して、ついには事件現場付近は完全に見えなくなる。

 太鼓を叩くデモ隊が、ここぞとばかりにまた騒ぎだし、中指を乱舞させ、混沌を極める事件現場。


 そんな様子を、アートンが呆然と眺めていた。

 そのアートンのそばにいたリアンも、不安そうに騒ぎを見つめている。

 エンドールの兵士が、完全にガードを固めている。

 現場の指揮権は、フォール警察ではなくエンドール軍になっているようだ。

「向こうの騒ぎ、すごいことになっているな……」

「ほんとですね……」アートンの見たままのセリフを、リアンがポツリと肯定する。

「いったい誰を、狙ったんでしょう、あの人……」

 リアンがそんな疑問を口にする。

「リアンが、さっきいった話しだけどさ。あの犯人、ヒロトちゃんと関係していた、連中のひとりなんだよね?」

 アートンがリアンから手短に聞いた、一連の流れを再確認する。


「まいったね、本当に行動しちゃうなんてさ……。アモスがなんか余計なこと、したんじゃないの?」

 アートンが、リアンがあえて伏せていた話題を、予想していってくる。

 慌てて首を振って否定するリアンだが、アートンはどこか嘘くさいと思う。

 しかし、あえて追求しなかった。

「でもさ……」

 アートンが厳重な警備の反対側、ペンション方面を見て口を開く。

「そのおかげで、ほら……。こっちの警備が、手薄になったと思うんだよ」

 アートンが、閑散としたペンション方面を見つめる。

 リアンは、アートンの言葉に青ざめる。


「ま、まさか本気で、ここに侵入する気ですか?」

 アートンとリアンは、ペンションの敷地を見つめる。

 アートンは、警備の手薄な今こそ、ペンションに侵入すべきと考えて、実行しようとしていたのだ。

 それをリアンは、必死に制止していた。

 いくらなんでも、無謀過ぎるとリアンは思っていたのだ。

 不安そうなリアンと、決意の硬そうなアートンの表情。

「確かに、アートンさんの、いう通りかもしれないですけど……。でも、それでも……」

 リアンは不安を隠せずに、アートンに考えを改めるように訴える。

「でもなっ! 今このタイミングを逃したら、二度とヨーベルに、接触できないかもしれないんだ……」

 アートンが拳を握りしめ、鉄柵の向こうのペンションの敷地を眺める。


「でも、考えても見てくださいよ。ヨーベルが、このペンションにいるっていう保証なんて、どこにもないんですよ? アートンさんが、あの塔で見たっていう人たちも、無関係の神官さんたちだけかもしれないんですよ。ヨーベルがいるなんて確証、ないんですし」

 リアンが指で、アートンがさっき登っていたという塔を指差していう。


「それに……。仮に入れたとして、どうやって中を探索するんですか? 非常時ってことで、中の警備は一層厳しいかもしれないですよ? それからですよ、ヨーベルはまだ向こうの市庁舎に、残ってる可能性だってあるんですよ」

 アートンは、リアンの指差す市庁舎を見上げて、無言になる。

 リアンが考えられる可能性を列挙して、必死にアートンの無謀な行動を止めようとする。

「な、中に入りさえすれば……」

「ならないですって! れ、冷静になってください!」

 力なくつぶやくアートンの両腕を、ガバリとつかんでリアンがいう。

「もし、見つかりでもしたら……。ここでアートンさんとも、お別れじゃないですか」

 しょんぼりとするリアンと、放心したような無力なアートン。

 騒然とする周囲に反して、ふたりの間に、重苦しい沈黙だけがのしかかる。


「あの……、人多くなってきましたよ……。もう少し向こうに、行ったほうが良くないですか?」

 リアンが、そういってアートンに場所移動の提案をする。

 確かにエンドール兵の警備が増えてきて、フォール警察もデモ隊の撤収に動きだしていた。

 このままここにいては、いつか面倒事に巻き込まれかねない。

 身分証の提出なんかを求められた時点で、アートンはもうそこで、おしまいなのだ。

 アートンとリアンは、ペンションの正門あたりまでトボトボ歩いていく。

 途中、野次馬の根拠のない噂話が耳に入るが、どれもだいたいが似たようなものだった。

 デモ部隊の人々が、フォール警察から尋問を受けているのが見える。

 尋問は、リアンとアートンも受けるわけにはいけない身だった。

 怪しまれないようにゆっくりと、尋問されている集団の側をリアンとアートンが通り抜ける。


 ペンションの正門を越え、リアンたちは入り口の詰所を通り過ぎる。

 詰所を、リアンとアートンがチラリとみる。

 今は衛兵たちの姿がなく無人のようでもあったが、近づくのも危険と判断したふたりがそこを素通りする。

「か、考え直してくれましたか、アートンさん?」

 リアンが、不安そうにアートンに尋ねる。

 やや長い沈黙ののち、アートンが口を開く。

「そ、そうだよな……。やっぱ根拠のない不確かな情報で、危険な潜入は避けるべきだよな」

「そ、そうですよ!」と、アートンの悔しそうな言葉に、反面リアンはうれしそうになる。

「ヨーベルはですよ。ネーブ主教に、助けてもらいたいって、相談に向かったんですよね?」

 リアンが、意気消沈しているアートンに質問する。

「ああ……。ヒロトちゃんの、お母さんの話しではそうらしい」

 アートンがそういったあと、リアンを見据える。

 突然のアートンの決意に満ちた表情に、リアンはまた不安になる。

 アートンは決意を表明する際に、決まって無茶なことをいう傾向があるので、リアンは思わず身構えたのだ。


「なあ、リアン……」とアートンがいう。

「は、はい……」

 リアンは弱々しく返事する。

「ヨーベルはそもそもさ! ジャルダン島から、抜けだす理由なんてないんだよな?」

 いきなりアートンが、そんなことをいってきた。

「そ、そうですね……」

 アートンの言葉に、いいにくそうにリアンは返事をする。

 リアンのリアクションには、当然理由があった。

 ジャルダンの洞窟で話した、あの時の不穏なヨーベルが想起されだのだ。


 本当はオールズ神官じゃないんだといった、洞窟内でのヨーベルのあの告白……。

 そして、自分は人を殺したこともある、という信じがたいセリフ。

 なによりも、あの時のいつものヨーベルとは思えない、別人の女のような印象。

 それらがリアンの中に、まるで思いだしたくない悪夢のようになって、一気に去来する。


 しかしアートンは、構わず話しを継続する。

「だとしたらさ……」

 アートンのつぶやくような言葉で、リアンは我に返る。

「ヨーベルはここでエンドールに、保護してもらったほうがいいかもしれないな。……残念だけどさ。無理に俺たちの、危険な旅につきあわせる必要も、ないかもしれない……。これから危険な、旧マイルトロン領の横断とかも控えてるんだ」

 アートンが、少し元気を取り戻したようにいってくる。

「ほ、保護ですか……」

「ああっ! 保護だよ!」と、アートンはまるで自分にいい聞かせるようにいう。

「俺もこんな形で、彼女と別れることになるのは嫌なんだが。……この状況では、手の打ちようがないのが事実だよ」

 アートンが、リアンの肩に手を乗せていってくる。

「確かに……、そうかもしれませんね……」

 アートンの力強い言葉に、リアンはしぶしぶ納得したようにいう。


「ネーブは好色だが、ひどい目に合わせるような、残虐な人間性はないというじゃないか。彼女もそっちのほうが、安全かもしれないし……。下手に救い出してもみろ……。ヨーベルは、一生追われることに、なりかねないんだぞ……」

 そういうアートンだが拳を握りしめ、決して本心でいっているわけでないことが、リアンにもわかる。

 彼の心の中の悔しさや自責の念が、痛いほど理解できるリアンは何もいえなかった。

「すまないな……。元はといえば、俺が初日にあんなヘマしたからだよ……。あの件がなければ、ヨーベルもこんな無茶しなかったはずだよ……」

 アートンが後悔したような口調で、またサイギン初日での失態のことを口にする。

「そのことはもう、終わったことじゃないですか……。お金に関しては、アモスが何故だか知らないけど、調達してくるし……」

 リアンが慰めるようにいうが、アートンは完全にうなだれてリアンの言葉も、耳に入っていないような感じだった。


「自分の不甲斐なさに、ほんっと! 情けなくなるよ!」

 ここでアートンが、悔しさのあまり鉄柵をバンと拳で横殴りする。

 大きな音がしたが、さいわい警察は気づいていないようだった。

「俺の、くだらないミスで……。また人ひとりの人生を、狂わせちまった!」

 悔しそうにアートンは言葉を絞りだす。

「ア、アートンさん、そんなに思いつめないで……」

 リアンは必死にアートンを慰めようとするが、言葉は彼に届かない。

「俺って、なんで周囲の人間を、毎回毎回……。疫病神なのかな、俺ってさ……」

 悔しそうに目をつむり、アートンはペンションの鉄柵にもたれかかる。

 そんなアートンに、リアンはかける言葉が見つからない。


 しかしその時だった……。

 リアンは鉄柵の向こう、ペンションの敷地に、信じられない人物の姿を見つけた。

「えっ? あ、あれってっ!」

 リアンがビックリしたように、鉄柵に駆け寄り、それを両手でつかむ。

「アートンさん! あれっ!」

 リアンが、鉄柵の向こう側を指差す。

「ん?」

 アートンもつられて、リアンの指差す方向を眺める。

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